田畑 佑樹さん のコメント
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最初の妻と暮らしていた頃、友人の西村くんとその息子が来て、部屋で楽しく話している。
突如、「しまった今日はイベントだ」と気がつき、時計を見ると、開演の1時間半前だった。やばいやばい。行かなくちゃ。ホームパーティーしている暇はない。
西村くんと一緒にタクシーに乗って、歌舞伎町のマンションまで戻る、マンションは手放してしまったが、すぐ隣のビルに前の事務所があって、そことはまだ契約しており、物置になっているのだが、そこに、今日使う機材が全部置いてあるのだ。
旧事務所の手前でタクシーを降りて歩いていると、もう夜中だった。
突如として、という感じで、道端に見慣れた黒いバックが置いてある。ペラッペラな布地のやつで、同じものを3つぐらい持っているうちの1つだ。西村くんとはどうやら離れて離れになってしまったが、まあ、良い。明らかにアレは僕のものだ。事務所のまどか何かから落ちたのだろう。
それを拾い、袋を開けると、<いつか取り出そうと思って、とりあえずしまってあったもの>がぎっしり入っている。
“映画会社の重役がビリオネアでもなくなった。映画界は今、コンテンツビジネスで禄を食んでい” る状態は、数年前から急速に定着しはじめましたね。日本以外でも少年誌連載漫画のアニメ映画がヒットしているのは、「実際の役者をアクションさせると後に多方面から問題が出かねない(内部者からの差別的待遇告発など)から、生身ではない絵を見ていると安心できるようになった」という奇妙な癒しを与えているからではないかと勘ぐりたくなります。
先月にYouTubeを観ていたら見慣れない絵柄のアニメ広告が流れてきて、「ああ、幸福の科学が制作してる類の映画かな。だからこのへんに広告を打つ必要があるんだ」と思っていたところ、思いのほかキャストが豪華なので「これは違うかも」と思い直した件があり、それが菊地さんの日記中にあるアニメ映画だったので(笑)、アワードにまで出てくるタイプのものだったんだなと驚かされました。
しかし(原作タイトルの時点でそうだとはいえ)、オセアニアにおける日本軍(連合国に押されている枢軸国)の境遇を、ナチスの支援によって空爆された町「ゲルニカ」になぞらえるというのは、だいぶすごいネーミングだなと思いました。もしかすると2020年代に生きる人の歴史観は、90年も経っていない過去のスペインで社会主義者側がごっそり殺された(しかも「反乱軍」が殺す側だった)という認識すら無いのかもしれません。件の原作漫画家は明らかな反戦メッセージを作品に込めたと思うのですが、そのネーミングに「ゲルニカ」を持ってきていることで、「自国がゲルニカを爆撃した枢軸国側であることを解ってるのかな……?」ということが気になりすぎて、絵柄の特殊さなどいつのまにか忘れているほどでした。以前菊地さんから「戦争を語るときにその悲惨さばかりが取り沙汰されるのは前性器期的」というご返信をいただきましたが、ここにも同じ規制が働いているのかなと思います。
昨日のXでは、現首相のトランプ接待ぶりが右派よりもむしろ左派の憤激や詠嘆を招いていたようでしたが、その中でひときわ面白い現象が認められました。
「英語圏では #geishatakaichi というハッシュタグがトレンド入りしたようだ」という日本語文の投稿がいくつか見られ、それなりに拡散もされていたのですが、実際に当該ハッシュタグを覗いてみると、そこには「現首相をゲイシャとして面白がっている外国人」の投稿など一切なく、前述の左派っぽい日本人が何か架空の現象を憂いている投稿だけが表示されたのです。
もちろんハッシュタグの投稿表示は、DVDビデオのリージョンのように国ごとに分けられているわけがなく、なおかつそのような投稿が多く流されているかはハッシュタグのリンクをタップするだけで確認できるのですが、それでもあれらの左派っぽい人たちは、「英語圏では #geishatakaichi というハッシュタグがトレンド入りしたようだ」という架空の現象を実際に定着したものと疑わず、「最悪」「ちょっと自分でも信じられないほどメンタル食らった」などの、もはや自己目的化した憤激や詠嘆のようなものを書き続けることに疑問を抱いていないようでした。しかもそこには、芸妓への明らかな職業差別意識までもが合理化されているという。
もはや「死への欲動」とか「二分間憎悪」とか並べる必要もないほど明確に「病的」なこれらの様体を前にして、私は単純に、「“外国人はこう言っているらしい” 類のデマを見抜けないまま拡散してしまうって、それ震災のときに在日外国人を虐殺したかつての日本人と同じ心性じゃない?」と言いたくなりました(笑) 日本人がとくに英語圏人からの評価に過敏になり、自分たちの英語の発音が笑われていないか気になってしょうがないタイプの自意識過剰はある程度20世紀的ですが、それが「日本初の女性首相がトランプの接待役に徹したことへの許し難さを外部(=架空の英語圏人の投稿)に投影した」という機制にまで極まってしまったというのは、ちょっと日本人として情けないとしか言いようがないですね(笑) なんで外部に投影しなきゃ自国のことを恥ずかしがることすらできないんだよ自力で解決しろよその問題、と思いました。もっと言えば、自分が属する文化圏の問題を外部からの視点から見たがる倒錯に関して、これらの左派っぽい人たちが前提としている論理形式はいわゆる在日外国人へのヘイトを撒き散らしている(通常は右派と認定される)人たちのそれと同種ですらあります。
現首相はヘヴィメタルのヘッドですが、私のような90年生まれと現首相のようなバブル生まれでは同じ音楽でも愛好しているモノが大きく異なり、それは政治一切関係なしに世代の異なる同好の人々と話していても解ることです。現首相は明らかにジョー・リン・ターナー期のレインボーあたりを特に愛好しているタイプの人で、そういう人の典型として「90年代以降の音楽の話になるといきなり黙る」という特徴があります。つまりバブル期に自分の権能を置いている人ということであり(笑)、それがヴィレッジ・ピープルの曲にあわせて踊っているトランプと会ったらそりゃあバブルノリにしかならないでしょうよ。と、これらの洞察はすべて音楽だけで得られるのですが、X上に可視化されている、見た感じ政治に興味があって自国の現状を憂いていそうな人たちはそのあたりを全く見過ごしたまま架空のハッシュタグに苛立っていて、とても面白いと思いました。2025年にもなって「X上で自己目的化した軽鬱の精神性が定着しているのは問題だ」などと言うつもりはなく、ここまでくっきりと、間違った義憤と解離によって現実原則への対処が不可能となった人々の姿を見ることができるのは純粋に凄いことだと思います。そして菊地さんの日記には、そういう現実失調の要素が無いのでとても安心します(その内容には夢的な内容が多分に含まれているにも拘らず笑)
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