田畑 佑樹さん のコメント
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「ビットコイン」が最初に出てきた時(それは東日本大震災の年だけれども)、僕はそれがどんなもんで、どうやって手にするかもさっぱりわからなかったが、バブリーなオモチャだとはあんまり思わなかった。
それより「ああ、貨幣や金で帝国主義が回っていたのがすっかり元気なくなったんで、<新しい貨幣(金 =GOLD に似た)>が生まれたんだな。結局世界は帝帝政時代を求めてるということね。まあそれもいいね」と思っていた。まだトランプが1回目の当選をする前だ。
ビットコインが生まれた年の大統領はオバマであり、中国共産党書記長は胡錦濤(こ・きんとう)で、ロシアはプーチンだったが、今ほど皇帝化していなかった。そして北朝鮮では、オレたちの女神であるプリンセス・テンコーを「家に帰さないぞ」とか言っていたジョンイルが1月に亡くなり、ジョンウンがデビューした年でもある。皇帝デビューは、ジョンウンが一番乗りだという事は押さえておいたほうが良い(嘘。別にどうでも良い)。
"今はダメだが、未来には夢があるという、間違ったまま硬直した未来観"の陰画として、「まさに今こそが、過去の文学や映画が予告した暗黒の未来だ」と言いたがる精神性の持ち主も、2010年代半ばには大勢存在しましたね。「ディストピア」という空虚な表現をやたらと使いたがる言論人たちがまさにそうでした。
これも菊地さんの述べておられた転向論と骨絡みで、「ディストピア」を取り扱った文学や映画作品から「まさに現代世界のありさまを逆照射している」みたいなことを言うとき、その発話者は同時代に在る諸問題に警鐘を鳴らしているよりも「ディストピア」のイメージに欲情してその到来を熱望している者でしかなく、結局のところ文学や映画をダシにして現今のまずさを固着させる役割しか担えていない。という例があまりに多すぎて、その集合に属する者のほとんどが良心的左派の言論人でした。「ディストピア」を萌え対象として認識できない私のような者からすれば、「既存作品の力をそういうふうに使うのは過去の作家たちに対する侮辱ではありませんか?」としか言いようがないのですが(フランツ・カフカでさえ、その手の実質的な侮辱でしかない偽リスペクトを塗りつけられるようになって久しいので)、あれから10年ほどが経ち、トランプが当選したばかりの頃「ディストピア」の到来を云々していた人々の現在における無力ぶりは驚くほどです。とはいえ、無意識下では自分の欲情した未来が本当に来て安堵しているのでしょうし、無力ぶりはその具体的表出でしかないとも考えられます。しかしその安堵はおそらく、欲しくてしょうがないエロ本をついに部屋に持ち帰ったあとの思春期の少年のような、索漠とした満足でしかないのでしょう。
ビットコインをはじめとする仮想通貨と期を同じくして、フォロワーやチャンネル登録者の数に銀行口座残高と同じような価値が付与されたと思うのですが(「かならず高評価とチャンネル登録お願いします」という、奥ゆかしい日本人なら恥ずかしくて絶対に言えなかったろうフレーズを多くのクリエイターが平気で発しているのを見るたび、その末世ぶりに驚かされます。もし「高評価やチャンネル登録はお気持ちで」と言っている人がいたらすぐさま好きになってしまうであろうほどに)、そのソーシャルメディアにおける登録者数=預金残高を高値にキープするタイプのクリエイターであることを受け入れた=転向した例がサカナのぐっさんであり(笑)、このあたりも菊地さんの転向論と噛み合うところがあるかもしれません。
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