田畑 佑樹さん のコメント
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ラ・ボエムには「新宿御苑店」があって、ここは何故だか、ここ数年?「聖地」と呼ばれているので、ずーっと、なんでかな?と思っていたら、どうやらあの、気持ち悪い方の笑「君の名は。」の舞台だからだそうで、最近、腰から砕けることがめっきり多くなったが(一応念のため、アニメというカルチャーが気持ち悪いのではないよ。新海誠が気持ち悪いだけだ)、僕の世代は、まだボエムが名前も定まらず、伝説の「六本木ゼスト」の一部として開店した時に、「うおー。もうキャンティ族とかの時代は終わった」なんつって笑、夢のような気分になった、という経験を持っている。1号店が西麻布、次が六本木。
その後、僕が「第一期スパンクハッピーとティポグラフィカと菊地成孔トリオ」+「スタジオミュージシャン」だった1990年代に、ボエムは「イケてる店」として業界人、芸能人が集まるさびカルチャー・パワー・スポットになった。いやあまあ懐かしい
『M/D』をはじめとする菊地=大谷著作のなかには、「実は当たっていた批判」にまつわる指摘が多く、いつも新鮮な刺激があります(マイルスvsオーネット戦の件など)。
自身が半ば以上の自信をもってやっている分野に対して「9割以上当たっている批判」をもらうことは、とても幸福かつ有為なことで、マッチョイズム的な「直し」の教養ではなく真の癒しと向上を与えるものだと思っています(自分の経験則では、「半分だけ当たっている賞賛」も同じくらいの意義と友情をもたらしますね)。
逆に、Xを極例とするソーシャルメディアの世界は「当たっている批判」と「ボンクラのたわごと」を峻別する能力を失わさせ、「批判」という一色で絶対的に(もらうのもあげるのも)忌避すべきものとする意識が定着したと思います。もう10年くらい前からずっとそうですが、そもそもソーシャルメディアに入り浸りたがる人々は、今まで「9割以上当たっている批判」をもらうどころか、そういう例が歴史上いくらでもあったことを(伝記的研究の読まなすぎによって)知る機会すら持てなかったのではないか? と思っています。
それによって「嫉妬」や「他責」などのマジックワードが防衛機制のエサとして供され、そういうソーシャルメディア上でしか蔓延しない自家中毒を道徳的に批判する(もちろんソーシャルメディアの内部で)という茶番も自己啓発的ビジネスモデルとして定着すらしましたが、以前、菊地さんがこういう「批判が止まらない人は単に嫉妬しているだけなのだと知ること。そういう人は〜」的なバズり投稿を「移民が日本語の勉強のために読むやつじゃないのこれ?」と仰っていたことを未だに面白く思い出します(笑)
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