田畑 佑樹さん のコメント
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「ミキティってさ、イタリア女みたいだよねえ。顔は細くて綺麗だけど、首から下がマツコぐらい行っちゃってるよねあれ」と言うと、女友達の100%が「えええええ?ミキティ細いよお」という。いんやあ物凄いヒステリー的な失視だなあと思う。日本人の女性は、渡辺直美とかぼる塾まで行かない限り、肥満を肥満と認識できないのだろうか?あるいは超自我からの政治的忖度なのだろうか?(その場合、厳密には「口にできない」が正しいのだが)
ミキティは本当に頭の切れる女で、長期に渡り、地上波では亭主と一緒に出演していなかったのだが、「そろそろ女たちにもバレる(厳密には「口にできるようになる」なのだが)」というタイミングで、亭主と一緒に並んで( CM によっては、ペアルックで)出るようになった。
亭主はムキムキの細マッチョなので、自分と並んだ時、あるタイミングまでは「バレる」リスクがあったのだが、並ぶことで「自分は
「ギルティ感」のキャッチコピーは、現在のリベラリズムを前提としても無意識下に抱えている肥満体型への差別意識を誤魔化させ・そのうえで接近させるためのデコイだった、ということでしょうか(笑)
内心で「肥満者に偏見があってはいけない」と思っている非肥満者が、実は無意識下に「自分も肥満体型に近づきたい、なんだったら成りたい」という欲望を持っていて(自我がエスの愛する「肥満体」という対象を偽装する状態)、意識にのぼっている限りで善きゴールを目指すスローガンとして「(肥満体型を含む全てのルックの)ユニフォーム化」が充当され、その変化にゴーサインを出すための魔女の予言(マクベス)が「ギルティ感」というポップな標語だった。と考えるのは、ちょっとクローネンバーグっぽすぎますかね(笑) 『サブスタンス』(観てない)はかなり女性クローネンバーグっぽい映画だったと聴いております。
ここ数日の菊地さんの文章を読んで納得させられたのは、「多様性」こそ最大マッシヴのカテゴリで、その広さ・多さをいきなり押しつけられた状況で人は多くのことを(少なくとも表面上)合理化せざるを得なくなる。という構造なのですが、「健康と美容のためには肥満してはいけない/肥満者への偏見や差別があってはいけない」という背反を抱えている人間が、ご指摘の藤本美貴の件に解離せざるを得なくなっている。というのは、ありそうな話ですね。
ジェーン・フォンダの件は、「戦争やめさせなきゃ!」のリベラリズムを供給していた原動力が自他の体型にも向かって「“健康的”に痩せさせなきゃ!」の派生物を産んだ、として解釈すべきでしょうか。
ちなみに今回、菊地さんのご指摘によって初めて藤本美貴の近影を画像検索してみたのですが、最初の顔写真の時点で「えっ、部分だけですでに徴候が……」と思い、顎から下の画像を数点見て抱いた印象は「あっ、湯山玲子」でした(笑)
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