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田畑 佑樹さん のコメント


 先日、イランの名称がそもそもアーリアに由来することを思い出し(Farya Faraji 曰く、「ペルシア」は外部、とくにギリシア側からの呼び名であり、ジョンブルにとってのアルビオンのような雅称として「ペルシア」が使われるのは相応しくないのだそうです)、ああそうか、イスラエルとUSAが執拗にイランを破滅させたがるのは「アーリア国家」だからなのかと、図式的な納得をしました。
 80年前に「(カギカッコ必要な)アーリア」の末裔を自称する国家から虐殺された人々が、今でも悠々と自身の統治性を保っている(カギカッコ無用な)アーリア国家の存在を許せず、そこに世界史上において果たせた良い貢献が対ナチス戦くらいしか無いUSA軍のポテント回復欲が合流し、あのように複合的な奇態に達したのだと。

 ナチス支配下でのショアーによって抑圧者への憎悪と恐怖(それらは人間として当然であり、必ずしも抑圧しなければいけないものではない)を抱いたユダヤ文化圏側が、ナチス以降のドイツ国家に正しい報復をしていればパレスティナの惨状はそもそも成立していなかった。というのは原理ですが、完全にラリったスネ夫とジャイアンであるイスラエルとUSAは、「一度やったことのある悪いやつ」の名称としてアーリア=イランを指差し、その誤認のせいで人死には多いけど実態の動かなさは滑稽ですらある現状が固定されているのだと。

 アル・ジャジーラの記事を読む限りでは、イランの民衆にとってハーメネイーの爆殺はジャイアンとスネ夫が期待したような内部からの瓦解を呼んだわけではなく、むしろイランの民衆がふだん抱いていた不満と外からふっかけられた戦争とはそもそも何も関係がないことを、呆れまじりに納得させる結果に終わったようです。この、「“悪の総統”を殺せば抑圧されているかわいそうな人々も蜂起するはず!(あと単純に“悪の総統”を殺してみたい。あのときは逃しちゃったし)」という奇妙に合理化された献策がそもそも全く役に立っていない事態は、自身と他者の欲望をはきちがえたままガツガツくるコミュ障の行動そのものだと思います。

 それに加えて、いまイランが巻き込まれている事態を人道的に問題視して「戦争反対!」のスローガンが叫ばれることによって、さらにコミュ障が倍加されます。(国際法等を前提に)まともに考えると、あれはそもそも戦争として成立していないのであって、むしろ私は「それを戦争と呼びたいのなら、もうちょっとまともにやれませんか?」とUSA・イスラエル陣営に向けて言いたくなります。そして少なくともUSA軍にとって対イラン戦は「(かつて強制収容所を解放したときのような)良い戦争」なので、その狂態に対し「戦争反対!」とは何も言えていない。つまり「相手がどのようにイカれているかの構造を理解したうえで罰し、有罪性を受け入れさせる」流れに戦争犯罪者も抗議者もどちら側も導くつもりがないという意味で、「政治と軍事そのものである運動の現場がそれぞれのコミュ障によってすれ違い、空振りしている」有様は、究極に2020年的な現象だと思います。

「同じ名称なのに違う存在(その違いがわからないまま自己や他者を愛したり憎んだりする)」、「本来法的に罰されるべき対象の移動(によって一部の者たちの有罪感が免れる)」、まさに20世紀的精神分析の理論にそのままあてはまり、いやあ本当すごいなフロイト、そして自身の文化圏の遺産すらまともに読めなくなった全然ユダヤじゃないユダヤ人たちの情けないこと。などと思いました。
No.1
3日前
このコメントは以下の記事についています
   まあ、体調も働きながらだと治りもイマイチ悪いし、こんな話をするのは嫌か嫌じゃないかでいえば嫌な方に入るんだけれども、今や毎日のように全国で行われているデモを僕は全面的に支持する。選挙するより1000倍良い。というか、僕にとって選挙はゼロだから、比較できないけれども。    さて、全面的に支持する事であろうと、褒め殺す事はできないので、ちょっとだけ苦言を呈したい。みなさん、今から検索を使わずに答えていただきたいのだけれども、イズラエルを漢字で書くとどうなるか?あるいは全部書けなくとも、たとえば伊太利亜を「伊」とするように、1文字にすると何になるか?   <以色列>=<以>    である。アンチオディプスが強すぎる人には「お前はそんなことも知らないのか?」と聞こえると思うが違う。知ってるわけがない。使われないからだ。    僕は音楽の著作権がそもそもおかしいと思うのと同じように「中東戦争」
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