菊地成孔さん のコメント
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なんだか知らないが、僕を現代音楽から縁遠いか、ひょっとしてちょっと嫌いぐらいに思っている人がいてもおかしくない。そいつはバカではなく、「パブリックイメージ」の同一性がほぼ完全に散逸し、しかも誤解や偽記憶に関して、フロイディアンほど自覚的でない、が故に、強烈である民が、黒澤の「羅生門」なんて児戯以下よ、というぐらい、無茶苦茶なイメージを信じ込んで平然としている世の中になったからな。 AI のお陰で。
なので、正解としては僕は現代音楽が死ぬほど好きな現代音楽マニアで、今日初めて実際に演奏した。のでもう関係者だ。神話破壊とまでは言わないし、権威に対してスカートめくりをしたがる道化の属性もそんなにないけれども、信じがたいリアルを記すことにする。
今、「高橋悠治 Vol.2 MULTIPLE 」の全員一緒の楽屋にいて、そこはそこそこ狭くて、大体、6畳間とかそういう感じだ。そこに高橋悠治、渋谷慶一郎、石上真由子、朝吹真理子(まあ「朝吹」と言えば我が世代のシス老人はケイトで決まりなんだが、真理子先生は、親戚の集まりに必ずいる、一番若くて全員に可愛がられる子のポジション。を取りにかかる、写真のイメージからも、ついでに朝吹ケイトからも程遠く、「ひゃあ、ひゃあ、その楽器(バリトンサックス)おっきいですね。バイクみたい!!一回倒れたら起こすの大変そう!!」とか言って、僕は知らないが、スタジオジブリとかの作品にも出てくるキャラクター設定かもしれない)、菊地成孔、あと、渋谷さんのライブには必ずいる、渋谷さんの取り巻きというか、なんか世界を股にかけた仕事をなさっている人もいて、ぶっちゃけ密です!はいそこ密です!という感じなのだが、渋谷慶一郎さんと、取り巻きの「イランと仕事をしている」らしい人、と、朝吹先生しか喋っていない。トランプはどうしようとしてるとか、ワイトハウスの内部はこうなってるとか、ああなってるとか。
ヴァイオリン奏者の石上さんは、ものすごくシリアスな人で、美しいが怖い。という類型にあまりにもバッチリはまりすぎて、「ひょっとしてこんなにハマるという事は、完全な演技ではないか?」と思うのだが、紳士協定ならぬ淑女協定、などと言っては老害まっしぐらだが、朝吹先生の「ねえ、なんか最近、夜寒いよねえ。ねえ、寒くない?」という声掛けに、「そうだねえ。昼間暑いのにコートが手放さないよ笑」と、静かに口を開いたのだが、その「革のコート」は高い確率でエルメスなのであった。
僕はメシアンは狭義の「現代音楽」だとは思っておらず、「近代音楽」だと思っているのですが笑、まあ、メシアンはダルムシュタットで教師の立場にいた(ストックハウゼン、ピエール・ブーレーズ、ルイジ・ノーノが生徒)、と言うわかりやすさもありますが、シェーンベルクも「現代」ではなく「近代」としており、近代音楽は、宗教とベッタリ。と把握しています。メシアンのカソリック進行は狂信的と言っても良いですよね。
僕は、高橋悠治というより、藝大閥は1人残らず、洗礼を受けていようがいまいが、実家が熱心な仏教信仰を持っていようが、全員カソリックだと思っており、今回、「それでも軽症だろ」と踏んでいた「現代音楽」から、むせかえるようなカソリシズムを感じて痺れたわけですが笑、高橋はシュトックハウゼンというよりも、また、ジョン・ケージというよりも、何せ圧倒的にピアニストですので、コンポジションとしてのコンセプトも、というか、自分で自作でないぴあの曲を弾く事が一番素晴らしく、あとは「適当」だとお持っており、ストックハウゼンのような大歌舞伎やカソリシズムの、生々しい罪の感覚、などなどは感じませんでした。それより、日本人の得意な、輸入文化を音構造だけではなく、バックボーンとなる宗教までコスプレせざるを得ない属性を強く感じました。自作のあり方が、モロにカソリシズムであることに、全く気がついておらず、そういうものからは自由。と思っている節があるので笑。
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