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田畑 佑樹さん のコメント


「菊地成孔は大友良英と友人なのにそんなことを言うのか、大友さんは常に戦争反対の意見を表明しているのに」という紋切り型の投稿があの時期のXで複数見られ、ああ、この空間では「友人」という関係さえ一面的に塗りつぶされなくてはいけないのか、と唖然としたことがありました。
 学友だったけどダリのファシズム傾倒ぶりに嫌気がさしたロルカとか、ドゥルーズと仲が良くて同じデモにも出ていたけど彼の思想に対する批判は著書や講義の中で絶やさなかったフーコーとか(笑)、そういった友人と思想(友人の思想)に対するディールの力が、X空間では無菌化を通り越して免疫不全による全面的な無力にまで達したのかもしれない、と思います。

「戦争を知らない子供」の何世代目かである私とその同時代人(西暦1990年前後生まれ)には、アニメでやってたからギター弾いてみる、アニメのイベントやってるからクラブ行ってみる、アニメ映画でやってたからジャズ聴いてみる、アプリゲームでバズってるから競馬とか麻雀やってみる、など「クールジャパン導入」とでも呼ばれるべき他文化接触の経路があった(未だ強固にある)のですが、そこから他文化圏内の移民になるほどにオタク的な熱心さを発揮するかと思うとそうではなく、観光客的な興味のルートを経て自陣(日本国内オタクのファンダム)に帰っていく、という例がほぼ全てでした(『ブルージャイアント』の映画について興奮気味の感想を書いていたオタクが多くいたので、その人々のブログに馬場智章のアルバムやライブの感想がアップされないか数ヶ月間注目していた時期があったのですが、いずれもジャズ関連の投稿はなにもなく、以前通りのアニメ感想に戻っていきました)。これは「オタク」という共同性が「日本国籍保持者」とほぼ同じカテゴリに入っていて、そのために他文化との接触において「観光」以外の行動様式を持てていないからではないか、と、東浩紀の論に寄せたようなことも思います(私はゲンロンに陣を移して以降の彼の著書は読んだことがありませんが)。その「観光」客的な態度とは真逆のものとして、「国内移民化するオタク」みたいなキャッチコピーを考えるだけで私はちょっとワクワクしてしまうんですけども。あと「北米系難民」とか「日系難民」とか。

「オタクによる反戦デモ」のようなものが複数続いていること自体はとても良いことだと思うのですが、デモに出てみると同じ目的で集まったはずの人々の中にも「あっ、ちょっとマズいな」と思われる例が少なからず見つかるわけで、そこに前述した「友人と思想」に対する潔癖な無力感があわさった結果「デモはもういいかな…」と、政治参加に関しても「観光」客化してしまう例が(原理的に)発生しうる、その構造があったうえで路上の人々の心的機制が今どうなっているかが気になっています。より具体的には、「同担拒否」・「地雷」と自らが愛着する「国土」の中で他者の存在を拒絶するマジックワードを無数に発明した(そう考えると「地雷」というのは実に見事な表現だと思います、それを誰が仕掛けたのか? 踏むのは誰で/踏ませるよう仕向けたのは誰なのか? という重要事を一切不問にしてしまうことも含めて)オタクが、共通の目的で路上に集まるデモの現場でもソーシャルメディア的な他者への潔癖さを発揮して「観光」客化するのか、それとも別のものに変容するのか、ということですが。
 もし後者だった場合、より身近な「クールジャパン文化に限られた中での多文化への接触」の態度にも変質が見られるのではないか。つまり「新しい変化が起こるとしてもそこで動員されるのは過去の語彙であり、どのような語彙を当たり前に使っていたかが次の変異に直接作用する」という原理についての話ですが、私は「(ネット上のではない、路上の)オタクの抗議行動参加」の成否を「国内移民化するオタク」への変異の契機として位置付けています。

『戦争を知らない子供たち』のパンチラインは「僕らの名前を 覚えてほしい」の、とくに「覚えてほしい」の部分だと思います。
 もし「覚えていてほしい」だったら特攻隊のようにこれから消え去る若者、喪われた(もういない)側からの声で、日本人が好きな「過去から現在に語らせる」パターンだなと思うだけですが、「覚えてほしい」というのはどこまでも現在系で、それが(沖縄以外)地上戦にならなかった日清戦争以降の日本国の「戦争を知らな」さと直接合致しているところに凄味があります。あらかじめ失われた部分として(郷愁、慨嘆のダシとして)過去の流れを使うのは凡庸ですが、「僕らの名前を 覚えてほしい」という構文の現在だけの強さは、「あなたがたに行っておく/ほんとうに言っておく」という聖書での反復作用がもたらす効果にも似ていると思います。そういえば、丹生谷貴志が原爆資料館の碑文について「“忘れない”のと“覚えている”のは全く別のことだ」という大意のことを書いていたかもしれません。
(あと今回、ジローズ版の音源を初めてまともに聴いたのですが、2つのボーカルトラックのパンが文字通り極左・極右に分けられているのが素晴らしいと思いました笑 先に左が唄いはじめて右がハモる流れまで含めて、20世紀がイメージした革命の音像として正しいと思います。)

 反戦歌コレクションに関して思い出したのですが、 Prefab Sprout が『Protest Songs (1989)』・『Let's Change the World with Music (2009)』というまんまなタイトルを2作出しているにも拘らず、私はそういうものとしてまともに意味を考えたことがありませんでした。アイルランド系イングランド人はごくふつうにプロテストソングを出す、という印象がかえって注意を妨げていたのかもしれません。
 菊地さんがお好みのジャンルかはわかりませんが、 A Perfect Circle というバンドが2004年の大統領選直前にリリースした『eMotive』というアルバムがあり、これは21世紀USA勢からの代表例として見ることができると思います(結局ブッシュが再選したことも含めて)。
 このアルバムに『Imagine』の脱構築的なカバーが入っているのですが、数年前にTwitterで町山智浩さんが「今でも『Imagine』は世界的な平和への讃歌として歌い継がれている」と言いたいがための連投をしていて、その『Imagine』の21世紀形態として重要であろうAPCによるカバー版は完全に無視されていた、つまりロック側の人間にとって「音楽と平和」のイメージは20世紀時点で止まったまま現在系を見出せていないらしい、という知見として私は記憶しています。
No.1
23時間前
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 例によって例の如くだが、仕事がオーヴァーフロウして倒れてしまった、今僕は、大切な友人がガンになって(ドラムの秋元ではないです念の為。秋元に寛解のテレパシーを送ってくださいみなさん。でないと、僕が「ポピュリズムに屈せず=石若を絶対に雇用しないというストイシズムの王」であることが見えなくなっちゃうじゃん。逆か?笑)、術後(かなりの大手術)のリハビリをちょこっとサポートしながら生活している訳だが、「ああ、介護疲れみたいなやつですね。介護するほうが倒れたりするんで気をつけてください」といったアレではなく、ガン患者の術後は免疫力がガタ落ちするので酷い風邪を引いてしまい、そのままそれをガッツリ貰ってしまった笑。    ちょっと前に謎風邪で声が出なくなった時、多分アレは宇川くんと同じやつだったんだと思うが、今またアフターコヴィッド 19 として、新型のウイルスができているので、車とか AI の業界のようだ。僕は完全な非喫煙者になってまだ8~9年で、その前は40年ぐらい吸っていたので、今になって肺気腫がちょこっと出来ているので、新型の風邪なんかくらうとすぐ肺にくる。 X ー RAY の結果「軽い肺炎ですこれは」と言われて、いろんな吸引役とか貰った。親父が肺ガンで死んだので、僕もそうなるだろうきっと。肺ガンは日本人男性の死因の1位だからコンサバである。  
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