田畑 佑樹さん のコメント
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自分から取りに行かなくても入ってくる情報。それがポップ(広告)だ。と口に出してみるも、もうかなりノスタルジックである。勿論、これは原理に近く、今でも通用する構造である(どころか、今、<全部それ>状態に近い)こともわかっているのだけれども、流石に63年と5日も生きていると、僕がこのセリフを心中で誦んじる時、頭に浮かんでいるのは<渋谷 PARCO のグランバザールが今季は何月何日から何月何日まで>とか(当然ながら、僕はこれを、テレビから流れてくる音声として「暗記」していた。スケジュール帳すら持たなかったから当然なのである)、ずーーっと後になるが、<今、 J-POP チャートを席巻しているのはビーイング、ビーグラムというレーベルのタレントさん=多くはバンド>で<サブカルに当たる「渋谷系」にはフリッパーズギターという、ものすごく若くて顔が可愛い王子様が2人のユニットだ」とか(つまり僕は、21世紀になるまで「フリッパーズギター」のアルバムはガッツリ聴いたことがなかった)、「秋葉原の小劇場みたいなところを拠点にしていたのが AKB で、センター取りのためにファン投票を総選挙と呼んだり、腕相撲?で決めたりしているようだ」とか、そういうやつだ。一瞬、古すぎて目眩がした読者も多かろう。
ただ前述、この情報理論は原理ぐらい普遍で、最近だと「アイドルマスター=アイマスのアーケード版ができると、270兆円産業が300兆円産業に膨れ上がった」というのがある。
“「ほとんどの日本人(男性?)」が、いかなゲームとはいえ、熱狂的に行なっている事を、僕は実業としてやっている”=『大日本人』感 がアイドルマスターに繋がるとは思いませんでした(笑)
自分にとっては「音ゲー」の存在が長らく謎なのですが(サンプラー買って叩けばいいんじゃないの? とか 作曲すればいいんじゃないの? なぜ音そのものをゲームに? と思ってしまうので)、USAで出た『Guitar Hero』シリーズがすごい売り上げだということまで知らされた頃には、もう「ギターを…弾けば…いいんじゃないの?」とは思えなくなっていました。「これは絶対にゲームの中でなければならぬ」という何かがあるんだろうと。
“「自分の声」を、人は、録音、再生しない限り、客観的に聴く事はできない” という原理を精神分析的に言えば、「個人が主観的に(骨伝導で)聴いている自身の声は他者が聴いているそれと同様ではありえず、録音物という<第三項>の介入によって “他者が聴いている自身の声” が通達される。個人と他者間のコミュニケーションで満たされていたはずの自己愛が、<第三項>の介入によって裁かれる」というよりは、「個人が主観的に聴いている自身の声は、<鏡>という装置の効果によって与えられた自己像にすぎず、個人は<鏡>である骨伝導や録音物を絶えず参照しながら、その対象=自己像を愛したり憎んだりする」というほうが近い気がして、やっぱりフロイトよりラカン寄りなのかなと思いますが、この見立てを画像・動画に適用した場合、菊地さんの仰るとおり、サイジングの問題に直結するようです。
ここ3年くらいの話ですが、日本国内で活動している(おそらく日本出身・在住の)コスプレイヤー(ほとんどが女性ですが、男性キャラクターをプレイしていることも多い)が写真をアップロードするとき、鼻(とくに鼻翼)のあたりが執拗な修正によってほとんど消失しかかっている例が散見されるようになりました。
日本人にとって自身や他者の「鼻」がもたらす屈辱感、およびそれがマンガやアニメ表現においてどのように省略・簡略化されてきたかについて、さらにはオタク文化が憧れられたい(オタク文化に憧れたい)欧米において「高い鼻梁」はむしろ劣等感のもとになる要素として見なされ、それとユダヤ差別の歴史は関係あるのか、などについての具体的な研究も既にあると思うので踏み入りませんが、Photoshopの定着からAI使用の加工が新たに一般化したあたりで、「鼻翼を完全に消したがるコスプレイヤー」の姿が画像データとして観測されるようになったのは、文字通り「自分の嫌いな部分対象を消滅させたい」というエスカレートしたサイジング=リダクションの潔癖性として、音楽・映像・画像作品のすべてに共通してあらわれるようになったと思います。実際、「鼻翼を完全に消したがるコスプレイヤー」の画像を見ていて私が直接的に連想するのは、演奏データの完璧なグリット配置と波形編集によって全くアラが無くなったモダンヘヴィメタルの音楽です(その不気味さ・あられもなさも含めて)。
その真逆としてですが、鼻翼どころか鼻の穴をグイッと長時間見せても平気な作り手がいて、私が初めてキリンジ feat. YonYon『killer tune kills me』のビデオを観て驚かされたのはそこでした。あのビデオに映っていた女性が、最後に(半ば感情を抑えた感じで)やや斜め上を向いている様子を正面から撮り、その(両鼻腔がカメラを向いている)状態が10秒くらい維持されていたからです。
「おおお、クールジャパン表現で蛇蝎のように狩られている・もしくは屁のように解離されている “鼻の穴” の存在をこういうふうに映してくるのか、しかも韓国出身シンガーとの共作曲で。やっぱすごいなあキリンジ」と思ったのですが、あれから7年を経て、菊地さんのプロデュースによるルアンさんのアルバムジャケットも両鼻腔がカメラを向いているパターンだったので、ああこれは間違いない、と聴く前から思っていました(笑) ただ、ルアンさんの作品は Vovios 使用によって<鏡>との折り合いがまた別の段階に入っており、そこでジャケットの印象と少しズレているのが素晴らしいと思います(レコードの内容がほぼ無編集で、ジャケットでもシンガーが鼻の穴見せる感じで写ってたら、それは20世紀的なパンクの範疇に収まると思うので)。
まとめますと、アイドルマスターの男性ファンたちがポッドキャストとかX上のスペース機能とかでダラダラと話しているのを数年前によく聴いたのですが、「うわっ俺の声こんなキモかったんだ、って録音聴いてから思うんよね」と紋切りのように言っている例が多く、これは先述した聴覚と<鏡>の関係に初めて気付かされた、つまり鏡像段階の入り口に立ったばかりの人のリアクションであり、20〜30年間もそのことに気付かないまま生きてこられる(=音楽の録音・実演が一般的な生活と切り離されている)日本の社会はある意味すごい。あと、匿名でのテキスト投稿ですらあれほど自意識をこじらせていたはずのオタクたちがポッドキャストや顔出し動画を制作することに躊躇を抱かなくなった、その変化がたった25年程度で定着したのもすごい。なので「アイドルマスターをプレイするタイプの、標準的な80-90年代生まれオタクたちの自己の画像・音声イメージの変遷」についての研究論文がほしい。ということです(笑)
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