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田畑 佑樹さん のコメント

「C6」や「藤井風のライブはAI最後の敵」にも似た、えっあの人たち(Xユーザー)にとって音楽はこんなモノなの? と驚かされた系列の話ですが、つい数日前、とあるアニメのオープニング曲としてニルヴァーナの『Breed』が起用されたことに対する賛否両論(もちろん賛にも否にもなってないのですが)が持ち上がっているときいて、もう、あらゆる角度から「そんななんだ?」と思わざるを得ませんでした。主に “90年代ノットデッド平成人間” の文脈で。

 私は90年代初頭USAで売れまくっていたバンド音楽が大好きですが、今まで日本の評論家(在野含む)がそれらについて語ってきた言説がどれも実質に擦りもしないクズばかりだったので、「ニルヴァーナやアリス・イン・チェインズを本当に尊敬する人間が取るべき態度は、(少なくとも日本国内では)その音楽について一言も語らないことだ」とさえ思ってきました。そんなところに、「男だと思ってたコが実は女=同性でどうしよう既に気になってるんだけどギターやっててかっこいいしドキドキ」みたいな、①セクシュアルマイノリティでもないノンケオタク向けに作られたモノセクシュアル表象 と ②音楽やってるわけでもない人間向けに作られたなんとなく音楽やってる気にさせるミュージシャン表象 という、マンガでこの両方やって売れなかったらそっちのほうがおかしいよなという原作のアニメ化にニルヴァーナの曲がついた。というのは、もう、日本人である限りは “90年代ノットデッド平成人間” の軽音部室から逃げられないのか? と洋館ホラーめいた錯覚に囚われました(夏だからでしょうか笑)

「カート本人がクィアだったかどうかは別として、彼がUSAにおける男性フェミニストの先駆け的フィギュアであったことは間違いない。『Breed』は歌詞だけ読むと “自分の体内の出産能力と外部からの性的圧迫の両方に折り合いがつかなくておかしくなってしまった女性” みたいな話で、ポランスキー『反撥』っていうかフェミニズムにもギリ接続できそうな内容だけど、でもそれを百合モノのテーマとして選曲するのは明らかにハズしてるというか、サビの“she said” だけ聴いて「女性ロッカーの魂の叫び」みたいなのだと思って決めたんだろう多分いや絶対。それにしても去年のLA山火事コンサートでやった St. Vincent の『Breed』はひどかった。バークリー中退でニルヴァーナやりたがるっていうその中途半端な下降志向が彼女の音楽そのものにも表れていてキツいし、カート経由のフェミニズムを継いでるのだとしても、女性の当事者性を美しく見せることにことごとく失敗してるUSAってほんとあらゆる意味で終……いやそれより、多様性がどうとか言ってる人々の語り口こそが典型的なノンケ的保守性にしかなっていないのは一体何なんだろうか? カートが “アルバム完成直前もしくはリリース後に音質が気に入らないと言い出してミックス直しまでしたがる” という行為を2回反復していたのは、あれ双極性障害と関係あるんだろうか。そして2020年代にもなって何故誰もこういうことをちゃんと言わないのだろうか、とくにカニエすらろくに助けられなかった業界の人たちは。いやもういい、私はこの辺の音楽について一切語らないことに決めたのだから。『In Bloom』のイントロコード進行だけでどれだけ平然と破格なことが為されているかを指摘すらできなかった評論家どもの末裔みたいな奴らの言うことなどどうでもいい」などと思いながらトピックを追っていたら、件のアニメ公式アカウントでデイヴ・グロール本人に原作者がインタビューした動画が上がっていて(笑)、これにはさすがに噴き出しました。
 菊地さんがコロンボ研究でご指摘なさった「関係者にインタビューすることを叶えた段階で、ルポライターでありジャーナリストでもある、〈インタビューする側〉に、過度なポテンシャルが生じ得る、という有毒性」が満ち満ちた内容で、原作者が「認められたいフィールド」の所在が率直に吐き出されており、それを見せられた私などは「力を入れる場所が間違ってるでしょ(笑) “本家メンバーもこう言ってくれてます” って動画を本編放送5ヶ月前に流すって、スティーヴン・キングと仲良くして公式推薦コメントを言わせたがる男性映画監督と同じくらいマッチョな行為だよ(笑) ほんと岡惚れのさせることってすげえな、直々に原作者が出てくるんだ(笑) あなたインタビューで “マスキュリンな女性が好きなので” って言ってたけども、それクィアでも百合でもなくて “他者の中にある男性性” 渇望ってことで普通に異性愛だよ(笑) いっぱいいたわ “自分の中の同性愛志向”みたいなのについて語ってたはずがいつのまにかファルス羨望の話にすり替わってた90年代ロックやおい腐女子(笑) そんなんでクィアに理解がありますみたいな顔しないでくれよ頼むから。それでも根っからの善人であり90年代のパパであるデイヴ・グロール(ユダヤ系ながら、イスラエルとの距離の取り方も絶妙)は、キミに対して優しく接し続けてくれるだろうけども」と思わざるを得ませんでした。

 Xは文字通り、「任意の数値を代入せよ」という感じで、(ネット媒体発祥の作品であればあるほど)それを出した人間の過入力・過脱力の両方が明らかにされる、精神分析と整体の両方に適合した装置みたいになったと思います。この奇妙な愉快さは、前回の日記で菊地さんが書いておられた “エヴィデンスとかソースとか言い出した頃から、嫌だなあTwitter。と思ってきたんだが、それが極まで行くと、自爆するようになるのかーと思ったら好きになってきた、というか、楽になってきた” こととも直接関係があるのでしょう。
No.1
5日前
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 今、トランプが「これで最後だ。あいつ(ら)とはもう関わりたくないんで」と「それ、別れ際の恋人のセリフじゃん」みたいな事までとうとう言い出したぞと思いながら、熱中症に備えて「なぜ?」と思いながら、ヒカキンが作った麦茶を飲んでは「とても旨い」と思ってびっくりしているわけだが(びっくりしているうちに飲み終わってしまう)、誰にだって、「こいつらこの話出たら止まんなくなるな」と内心で思った。という経験はあるはずだから、逆に「え?こいつらこんなにこの話で盛り上がるの?!」という経験も併せ持っているだろう。人の経験はそのほとんどが合わせ一本というか、半音と半音で全音というか、そういう形を採るが、ほとんどの主体は「併せではない」と思っている。    と、最近になって「え?なんか良いじゃん」と思ってきた。と書いたばかりの X だけれども、やはり期待通りというか、スージーなんとかいう人が(僕はスージーと言えばスージー甘金しか知らないんだけれども、もう70過ぎでしょ。まだ描いておられるのだろうか。そして、「さよならノワール」見たら、僕の PC がもう「理10号」としか変換しなくなってしまった、確か利重剛、、、、で合ってるかな?と荒川良々が出ていて、どっちも、そこそこのおじいさんなのだけれども、自分が荒川良々の10コ以上上で、理10号と2つしか違わないと知って、今更ながら小びっくりした。これは「びっくりの、、、ええと<小>で」と言い換えても良い)藤井風を「 AI の最後の敵」と言って盛り上がっていると書いてあって、「そこまで落ちたか笑。何か、己を含め、誰もかもが笑」と思いつつも「なんか、自分たちの世代にしかわからない<気が利いた物言い>の<腹が立つ版>の方だよな」とも思い、何だこの感じ?と思っていたらミュージックマガジンだった。  
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