田畑 佑樹さん のコメント
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昨夜、ラジオデイズを録音したのだが(ピアノの練習スタジオにて)、毎度お馴染み、「最初に言おうと決めていたことが言えなかった」と言うパターンになったので、江戸の仇を長崎で、とは言ったものでユダヤ人はドイツ人に(メインの)仇を打たなかったし、人は父に向けた、母に向けた「敵討ちの刃」を、直接向けられないのでファザコンになったりマザコンになるわけで、「では尊属殺(血族殺し)はどうなるんですか?」っちゅうと、あれは本当に言えば殺したくない場合がほとんどなのである。外側の物語に従っているだけで、人形浄瑠璃の人形のようなものだ。
ので、最新のラジオデイズの顛末から初めて、いかに<コステールの親和性>は使っていけない虚仮脅かし、つまり無教養人への威圧であり、はっきりと NG 素材であるか、大谷くんの「フリージャズ研究」はとても志高く、1~3章までの取材とそれをつなぐ力はさすが谷王ということろはあるんだけ
あのDommuneを全編観たとき、以前菊地さんが書いてらした「我々(DCPRG関係者)は微分的アフロ・ポリの分析と実践に注力してきたが、ヴィジェイやティグランの影響力が目覚ましくなるにつれ積分的インディア・ポリに関する本格的な再分析と再批評の必要性を自覚するようになり、そのことを少し悔やんでいる(、という話を坪口とした)」件を坪口さん本人が語っていらしたので、ああ、やっぱり今でもその要請があるんだな(菊地さんも Animals as Leaders 関連で言及していた気がするし)、というのを確認できたようで反射的に嬉しかったのですが、あの放送中は全くそれどころではなかったのですね(笑) 私は大谷さんの著書を読んでおらず、ハーモニックメジャーのくだりで『3月の水』と『LitSwD』を弾きながら復習するのが楽しかったくらいで、あの放送の中で私は「坪口・菊地がまだ積分ポリについて論じ尽くしていない件」のミートボールだけを大喜びで食っていたことになります(笑)
「新興宗教的 "理論" の分析」という課題は、菊地・大谷両氏が21世紀初頭から2006年あたりで主眼に置いていたトピックのように思われ、とくに菊地さんは以前「自分は占い師を前にしても精神分析的に見てしまう」というパンチラインを放ってもいらしたので、適任かつ毎回面白い知見が得られていたと思うのですが、現在の大谷さんがフリージャズ分析に適さない理論と人力midi入力採譜という方法論で著書を出したことは、20年前に片付いたかなと思われた問題がそのまま現在に帰ってくるという意味で、現状の政治的シチュエーションをそのまま反映しているようで面白いです(笑、っちゃいけないのかもしれませんが)。 最新のラジオデイズはこれから聴きます。
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