虎山さん のコメント
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昨夜、ラジオデイズを録音したのだが(ピアノの練習スタジオにて)、毎度お馴染み、「最初に言おうと決めていたことが言えなかった」と言うパターンになったので、江戸の仇を長崎で、とは言ったものでユダヤ人はドイツ人に(メインの)仇を打たなかったし、人は父に向けた、母に向けた「敵討ちの刃」を、直接向けられないのでファザコンになったりマザコンになるわけで、「では尊属殺(血族殺し)はどうなるんですか?」っちゅうと、あれは本当に言えば殺したくない場合がほとんどなのである。外側の物語に従っているだけで、人形浄瑠璃の人形のようなものだ。
ので、最新のラジオデイズの顛末から初めて、いかに<コステールの親和性>は使っていけない虚仮脅かし、つまり無教養人への威圧であり、はっきりと NG 素材であるか、大谷くんの「フリージャズ研究」はとても志高く、1~3章までの取材とそれをつなぐ力はさすが谷王ということろはあるんだけ
端的にドミューンを観ている最中に何度か「菊地さんが子供のような表情をされている」と感じました。もっといえばそれは幼少のような顔であります。菊地さんは多く人の顔を見て語られることもありますので、釈迦に説法ではありますが、子供のような顔は老若男女がある一瞬浮かべるものですすよね。逆にどんな子供でも大人や老人の顔を浮かべることがあります。ですのでこれは瞬間瞬間の相貌であると思っています。
それでですね、先のドミューンでその子供ような表情を菊地さんがしている。と私が受けた時が何度かあったのです(配信中ずっとされていたわけではない。瞬間に何度かあった)。長年、菊地さんのファンをしている私は(ですが)初めて見ました。これを私は(メルマガで書かれている)プライベートのことの影響かな?あるいは書かれているそれ以上のこともあったのだろう?と邪推しておりました。ら答えを聞いてからの事として、キレていた、ということに合点がいきました笑。それはファンの私がその表情を始めてみた、という事も含めてであります(カメラがあるときにその顔を初めてみたのです。とはいえ・・・すべての作品を見ているわけではありませんので、そういったファンの主観ではあります)。
そしてそれが私の主観で「菊地さんすごくいい顔だなぁ」と思ったのです笑。ここからはファンの移入としてこれまた許してほしいのですが、私は女性から「怒っている時の顔が好き」と言われた経験が度々ありまして苦笑。それに関して合点がいったというか、嫌な気分だというか笑。なるほどなぁ、と膝を打った次第です。
コステールの批評に関しては、どこかで講義された際は、なんとかモグって(センターパートにして眉毛を書いて笑)拝聴しようと思います笑
そしてまた勢いで書きますが、旧Twitter(現X)でタトゥーのことも菊地さんはポストされておりました。これに関しても書かせてください。本邦においてはタトゥーと入れ墨は分けることができるのではないか?という思いと共に、それらは個々の身体を強調する者であり、タトゥーという範囲でも同一に語れないのではないか?と思ったのです。
というのも私もタトゥーをいれて……というのは嘘で、タトゥーシールを張ってみたのです。それもドンキで売っているようなものではなく、依頼して作ってもらったものですぐには消えないものです(3週間は綺麗なままでした)。張った理由は私個人の動画作品(MV)に必要だと思ったからで、つまりコスプレであり、本当に墨を入れている方の前では恥ずかしいものですが(シールごときで興奮したガキの文章であります)。
そこでタトゥーとはこれほどまでに個人の身体を拡張、倍増するものだと実感しました。端的に結構恐れらてしまったのです。私はいわゆるデカい身体なのでそれがオーバードライブされている感じを受けました。胸元や腕から少し見えるものですが、これほどなのかぁという感じです。(これは実験でもあったので服装はタンクトップ、Tシャツ、スーツなど着ましたがそのどれでもです。とはいえ一番威圧があったのだろうはスーツでこれはさもありなん、という気もします)いっぽうで私からみてもタトゥーを入れている方でも、威圧を感じる人も、まったく感じない人もいます。それはタトゥーがその人の身体、身体性を周囲に倍増させるからだと思った次第です。もちろんそれは内面の倍増もあるとも思います。
さらに思ったのは、タトゥーは年齢によっても意味は異なるだろうという事です。これはタトゥーを入れている人の年齢ではなく、いつそれを入れたのか?ということであります。それはそれを見る他者が無意識に感じるというか即座に把握できるものだと思います。例えば二十歳で入れて四十路になった者と、40歳で入れたものではタトゥーの意味が、本人のみならず、周囲の、一周の判断でも違うのではないか?ということです。というのもタトゥーはその者の身体の倍増の中で、肌の質感の倍増もあると感じたからです、肌の老化と、タトゥーの老化(もちろん再度墨を入れるメンテナンスなどもがあることは存じておりますが)は一致しないということでもあります。
コードとして、入れ墨とタトゥーを同一視できないように、タトゥーの中でも同じと言えず(これはタトゥーを入れているかたのなかでの差別や、すでに議論されつくしたものかもしれませぬが)彫っている内容はもちろん、その多義性、スペクトラムに、日本でのタトゥー文化の受容があるのではないかな?と感じました。
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