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unicoさん のコメント

津田さんと音楽の出会いは、かつての私と音楽の出会いのようです。
対象のアーティストは違いますが、音楽から受ける、言葉も理性も超えたただ本能とか感覚だけに訴えてくる衝撃や感動は一生ものです。
この辺りの感覚も全く一緒です>僕の耳には恐ろしくチープに響き中身がないように感じる曲が日本ではなぜかちゃんと流行ってしまう

だから私も、自分の感覚だけを信じて聴いてきたらたまたま洋楽ばかりに偏りました。
そうして音楽とともに歩んできて、そしてXに、YOSHIKIの音楽に出会いました。90年の5月でした。すぐにBLUE BLOODを買いました。
とんでもないバンドが日本にいたと興奮と喜びで一人部屋で聴きながら、津田さんのライナーノーツにも感動していました。
「僕はバンドを探していた」で始まるあのライナーノーツはBLUE BLOODという名盤に更に付加価値を与えていました。何度読んだかわかりません。
私と同じ共同体はたくさんいるはずです(笑)。

一ファンからしたら、YOSHIKIは本当に津田さんと出会えてよかったと思っています。
アーティストの可能性と才能をまっすぐに信じて、全面的にサポートしてくださる方がプロデューサーという立場でいてくれることはどれだけ頼もしかったんだろうと思います。
おかげで、ファンとしてリスナーとしてどれだけ幸せか、何度感謝してもしきれません。


初めてENDLESS RAINを聴いてから、23年経ってこんな素敵なエピソードを公開していただいて有難うございます。
この曲がまた特別なものになりました。

やっぱり、音楽の力を純粋に信じることが絶対正しいんだよ。
私は間違ってなかった。
No.2
136ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 僕が音楽に目覚めたのは、バッハの曲がきっかけでした。  小学4年の頃。  毎日、同じことの繰り返しにうんざりしていて、未来に希望はあるものの、その未来を 自分自身が創っていく方法も鍵もまだ見つからず、もしかしたら灰色の毎日が限りなく続 くだけの、つまらない人生をこれから何十年も送っていくのかな、そんな不安が時々よぎ る頃でした。  その日の音楽の授業は、音楽鑑賞でした。  流れ出したのは、バッハの「小フーガト短調」  それを聴いた途端、僕は胸が苦しくなって、机に突っ伏していました。  そして、生まれて初めての感覚を、はっきりと意識しました。  「心臓から涙が流れている。体が感動で泣いている・・・」    音楽で、体が変わるほどの感動を得ることを初めて知った日でした。  それからは、大好きだったベートーベンやチャイコフスキーのレコードの聴き方も、気 がつくと少し変わっていきました。  聴きながら、何となく「心が泣く」ような瞬間を探すようになったのです。  そうすると、今まで気がつかなかったところに、そのポイントはいくつもありました。  そして、その切ない旋律や美しいハーモニー、心を震わせる和音の響きが、自分の心を 浄化してくれて、おまけに強いエネルギーで満たしくれることに気づきました。    その力を持っているのは、クラシック音楽だけではありませんでした。  「Let It Be」がリピートで流れていたのは、ラジカセを選びに行った電気屋さんの店頭 でした。  僕は目的を忘れ、聴いたことのないその曲を繰り返し聴き、そのメロディーの持つ魔力 に取り憑かれ、その場を動けなくなりました。そう、あの感覚が、延々と続くのです。  その曲がビートルズというアーティストの作品だと知るのは、それから半年以上も先の ことでした。何しろ、まだ小学生でしたから。  その、身体が変わるほどの感動を与えてくれる音楽は、さらにもっと大きなものを僕に 与えてくれました。  
音楽プロデューサー 津田直士の 「人生は映画 主人公はあなた」
音楽プロデューサー/作曲家の 津田直士が、その経験から得た、「主人公という生きかた」をもとに、① 人生の悩みや迷いへの答えを分りやすく答える『その答えは』 ② 世間の話題や素晴らしい作品、アーティストプロデュースや音楽制作などあらゆるテーマで自由に綴る『本能が吠えるまま』 ③ 伝説のバンド X JAPANと共に過ごした記憶が瑞々しくリアルに綴られた著書「すべての始まり」に記されなかった舞台裏とプロデュースの原点を新たな視点で描く『夢と夕陽』 ④ 自分らしい人生を積極的に生きている人にインタビューをして、生きかたのヒントを見つける『ある人生 』といったブログを定期的に展開します。