隼人さん のコメント
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第58号 2013.10.15発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※“おもてなし”から“土下座ブーム”そして“謝罪外交”…今週の「ゴーマニズム宣言」は日本人の精神の危うさを直視する!「お客様は神様です」が、ついには「消費者は権力者」という感覚にまで行き着いてしまった日本の消費社会。 クレーマー容認、サービス業は奴隷…日本が誇る「おもてなし」の精神とは一体何なのか?
※「ザ・神様!」打って変わって、肉食系モテ男に生まれ変わったオオクニヌシ。ただいま狙っているのは、越の国のヌナカワヒメ。夜中に突然部屋の外に立ち、中へ入れろと戸を叩き、挙げ句の果てには恐ろしい和歌を詠む!相当にキテる危ない男の夜這いに、どうなるヌナカワヒメ!?
※大人気「Q&Aコーナー」!女性の下着「見せパン」はガン見しても良いの?AKB48大島優子との恋愛を妄想した?消費税増税にはなぜデモが起きない?関西ローカル番組『たかじん…』には出ないの?宮藤官九郎・脚本のドラマに描かれるような共同体は、やっぱり絵空事なのか?好きで楽しみにしている漫画雑誌等はある?Amazonのヘイトレビューはどう考えるべき?NMB48の城恵理子復帰についてどう思う?…等々、読者からの質問によしりんが直接回答!!
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第60回「土下座、おもてなし、へりくだりを考えよう」
2. しゃべらせてクリ!・第19回「止まらない食欲の秋ぶぁ~い!の巻〈後編〉」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第19回「オンナを安売りするなかれ――才女・ヌナカワヒメの恋文に学ぶ」
4. よしりん漫画宝庫・第53回「『しんすけ』ツッコミ不在の毒っ気パロディ!」
5. Q&Aコーナー
6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
7. 読者から寄せられた感想・ご要望など
8. 編集後記
第60回「土下座、おもてなし、へりくだりを考えよう」 「土下座ブーム」だそうだ。
ドラマ『半沢直樹』の最終回のクライマックス、「100倍返し」達成の土下座シーンは香川照之の演技過剰がほとんどギャグの域に達していたが、46.2%という驚異的な視聴率を記録したという。
もともと土下座は身分の高い人に対する儀礼であり、謝罪という意味合いはなかったらしい。
古くは『魏志倭人伝』にまでさかのぼり、「 あるいは蹲(うずくま)り,あるいは跪(ひざまず)き,両手地により恭敬をなす 」と記されているんだそうだ。
江戸時代の大名行列で平民が土下座していたのも、同じ意味である。もっとも実際には時代劇のように道端に人々が深々と土下座しているということはなく、しゃがむ程度だったらしいが。
土下座に「謝罪」という意味合いが強くなったのは戦後のことで、NHK『クローズアップ現代』(10月8日)の調べでは、辞書の「土下座」の項に「謝罪」の意味が記されたのは、確認できた限りでは昭和49年(1974)が最初であり、NHKのカメラが土下座による謝罪を写したのは平成8年(1996)、薬害エイズ事件で製薬会社「ミドリ十字」の幹部が被害原告団に対して行なったものが最初だったという。
奇妙な因縁である。当時わしは「薬害エイズ訴訟を支える会」の代表をやっていて、この時は訴訟の和解を成立させるために製薬会社に「加害責任」を認めさせるべく、大阪のミドリ十字本社前まで行っている。
ただし人集めに利用されただけで本社の中にも入れなかったので、土下座までさせたというのは後で知り、何とも後味の悪い思いをしたものだ。
製薬会社にしてみれば、加害責任を認めたという時点で完全に罪を認めたに等しく、その責任は和解条件の中で果たさなければならず、それだけでも十分重いのに、さらにそのうえ土下座を強要され、 その無様な姿を日本中にさらし、家族や社員にも目撃され、ほとんど人間としての尊厳を踏みにじられ、それでも許してもらえずに、その後歴代社長3人が逮捕され、刑事責任を追及されたのである。
わしはこのことを踏まえて『ゴー宣』で「 心からの謝罪など無意味! 」と描いたこともある。
ところが21世紀に入ると、何か不祥事があると土下座というシーンを頻繁に見るようになり、「土下座」の価値はどんどん安くなっていった。
そして今や「 土下座のデフレ・スパイラル 」とでもいうような有様で、必要がなくても客に要求されれば土下座するという事態まで起きている。
先日は、店員の土下座写真をツイッターに投稿した43歳の女が、強要容疑で逮捕されたという事件があった。
女は衣料品店で購入した980円のタオルケットに穴が開いていたと抗議に訪れ、返金を求めて受け取った。さらに交通費を要求して拒否され、激怒して店員に土下座を強要したようだ。
女は勝利宣言のつもりなのか、その写真をわざわざ自分でツイッターに上げ、店員の容姿や名前まで書いたらしい。さらに店員を自宅に呼びつけて、謝罪の念書も書かせている。
しかしこのツイッターが「炎上」し、この女の氏名や年齢、住所、職業、家族構成、顔写真等々、あらゆる個人情報が調べ上げられてネットにさらされ、ついに逮捕に至ったというわけだ。
なお「強要罪」とは、相手を脅して義務のないことを無理やりやらせることで、3年以下の懲役になるという。
この事件がきっかけで、現在の日本社会では「土下座」が日常化しているという実態が各メディアで報じられた。
テレビの街頭インタビューでは、「土下座を強要された」という体験談が意外なほど多く出てくる。
「 領収書の宛名の書く位置を間違えたら、お金を投げつけられ『土下座しろ』といわれた 」
「 職場の管理者をやっていますが、部下の言葉遣いが悪かったということで、客から土下座を強いられた 」
「 デパートへ勤めていたことがあるので、土下座したことはよくあります。取りあえず謝ろうと 」
デパートに勤めていれば、土下座はよくあるというのが普通の感覚になっているのが驚きだが、店の側も、謝るのがサービスの一つという風潮があるらしく、これにつけ込んで、クレーマーみたいな人がどんどん増えているようだ。 客という立場を利用して居丈高に無理な要求を押し付け、断られたら罵詈雑言を吐いてもいいというような状況がいま、作られつつある。
中には土下座を強要された屈辱に耐えきれずに仕事を辞める者や、精神に傷を負う人も出てきている。「人間としての尊厳のある仕事がしたい」という悲痛な声もある。それでもサービス業では「お客様は神様」だと耐え忍んでいるケースが多いようだ。
「 お客さまは神様です 」
…というのは歌手の三波春夫が流行らせたフレーズだが、本人がこのフレーズに込めた真意は「 自分は神前で祈るときのように雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な芸が見せられないから、お客様を神様とみて、歌を唄う 」というものだったそうで、三波春夫といえどもマナーの悪い客まで認めていたわけではない。
それが「クレーマー容認」の言葉のようになっているのは不本意だということで、三波春夫オフィシャルサイトでは本来の意味を説明している。
http://www.minamiharuo.jp/profile/index2.html
しかし実際のところ、「お客様の意向は絶対であり、店の側は客の言うなりにならなければならない」という意味での「お客様は神様」の感覚が日本に蔓延してしまっているのは事実である。
『AKB48論』 の第7章に 「 消費者は権力者ではない 」 という話を描いている。あれはAKB48の握手会に特有の問題ではなく、この消費社会そのものの問題点だ。
「 モンスター・ペアレント 」という言葉も流行ったが、 この消費社会そのものが、消費するだけで個人の人格が完成していると思い込む馬鹿を育ててしまった。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
私も先週の「クローズ・アップ現代」を見ました。詳しい内容はライジングで書かれているので土下座のことはさておき、出演されていた東京大学史料編纂所教授山本博文氏の言葉に心打たれました。それは「本来武士の思想とは皆で一緒にやることではなく、自分の心を顧みて正しければ、皆から反対されてもそれを行うものだ。」というものです。
今月のSAPIOでも頭山満の言葉で「一人でいてさびしくない人間になれ」とあるように彼の大衆や世論が作り出す空気に屈せず自らが信じたものを貫き通す信念、そしてたとえ一人となっても打ちひしがれない精神をひしひしと感じました。
中学生の頃を思い出します。「学級崩壊」という言葉が広まりましたが、私の中学校は「学年崩壊」でした。男子は「二大派閥制」でどちらに所属するかどうかで学年内の地位が変わり、暴力・嫌がらせは当たり前でした。女子は部活動ごとで抗争を繰り返し、さらにその部内ですらイジメだらけで教室に来れず「保健室登校」をする者が続出しました。教師たちは生徒たちを手におえずただ黙認していました。
ある日、そんな学校に怒りを抱いた私は暴力を振われた際男子のトップに反抗したため、その日から男子も女子も私に近寄らなくなりました。その代わりに派閥グル-プから執拗な嫌がらせを受けました。勉強道具を隠されたり、暴力・暴言、挙句の果てには無関係な弟にまで。それらに抗って私は生徒たちや教師たちに学年の改善を一人で訴え、戦い続けました。 そんな体験をした私にとってこれらの言葉は身に染みて実感します。たとえその集団の中にいる者たちにとって「悪人」となろうとも、己の信じる正義を貫かなければいけないときがあると思います。そこで「現実主義」と「実力主義」のどちらかを選ぶかでその人物の真価が問われると思います。
ところで・・・当時KY(空気読ま・めない)という言葉が流行って、もちろん私に対しても使われました。でも私は「空気は読むんじゃねー!吸うもんだ!!」と切り返してました。(笑)
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