ソフトブレーン創業20周年記念パーティーに呼ばれてうれしい。創業時、まさ
か20年ももつとは思いもよらなかった。

私は好きで経営を始めた訳ではない。彼女とすぐ別れられないから博士号取得
後に合法滞在のために一年のワーキングビザをとった。適当な中小企業に入社
したが、2ヶ月後にその会社が倒産した。

もう就職したくないから大学院で開発した土木設計ソフトを売り歩いた。それ
がソフトブレーンの創業だった。経営の志があった訳ではなかった。

今だから素直に言えるが、私は経営に向いていなかった。人を管理するのが嫌
だった。特に人事評価が嫌だった。誰が良いかについて差を付けてお金で表現
するのが嫌だった。しかし、それが経営だ。本当に嫌だったら辞めるしかない。

創業数年後、私はもう会社を辞めたかった。しかし、社員と顧客が居るから無
責任に辞められなかった。

証券会社の仲介で上場企業に会社を譲渡しようともしたが、「創業者が会社を
売るなんておかしい」と怪しまれたため、奮起して自分で上場してやろうと思
い付いた。

そのために東京に移り、そのために土木ソフトを捨て、そのために営業支援の
ソフト開発とコンサルティング事業を立ち上げた。

私は運が良かった。インターネット時代に出逢い、日本のベンチャーブームに
出逢った。今のソフトブレーンを支える幹部達は殆どこの時に出会った方々だ
った。彼らはもっと良い会社にいけるにも関わらず、まだ弱小のベンチャー企
業ソフトブレーンを選んでくれた。

私は安心して会社を辞めるために上場を目指した。しかし、それが私に大変つ
らい経験をもたらした。

とても苦労した末、東証はソフトブレーンの上場を承認してくれた。しかし、
ある事情で、上場申請を取り下げざるを得なくなった。結局は、半年後に無事
マザーズ上場を果たすのだが、それが決まるまでの半年間はとてもつらい思い
をした。

紆余曲折があったが、やっとの思いで2005年には東証1部上場を果たした。こ
れでソフトブレーンは堂々としたパブリックカンパニーとなったため、私も安
心して辞めることができた。

しかし、その3年後にやってきたリーマンショックが当社に危機をもたらした。
当時の経営陣の放漫経営でソフトブレーンが一時存続の危機に瀕した。

前社長秋山さんと現社長の豊田さんが私のところにきて再建を助けてほしいと
頼んだが、その気は無かった。つぶれても戻らないと最初から言っていたからだ。

しかし、気になって会社に行ってみると気分が変わった。もっと良い会社に簡
単に再就職できる古い社員達が逃げずに必死に頑張っていた。その姿に心を動
かされた。

恥を感じた私は半年だけ会社の再建を助けた。それからまた会社に行かなくな
ったが、会社への思いはすっかり変った。

さきほど豊田社長が将来の大きな目標を発表したが、私は一個人としてそれよ
りも強く願いたいことがある。それはここで勤める社員の一人一人の個人の幸
せだ。仕事に没頭して家庭を築けない社員がいないか。忙しさで結婚しても赤
ちゃんが作れない社員がいないか。

私は経営者として失格だが、ソフトブレーンを創業して良かったと思う。なぜ
ならば皆さんと出逢ったからだ。

さきほど、「宋さんが創業してくれたから私達がいる」とある社員が言ってく
れたが、違う。私はそんな立派なことを考えて創業した訳ではない。実際に途
中から逃げ出した。

今私がここに居るのは皆さんのお陰だ。あなた方がいるから私がここに居る。

我々が次の40周年記念パーティーを開けるかどうかは分からない。でも続くこ
とが会社の目的ではない。短くても、あなた方がここを通じて幸せな人生を過
ごせることが私の心からの願いだ。

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