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【ボクタク】「3.11を振り返る」開沼博の2年 【烏賀陽弘道×開沼博】
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【ボクタク】「3.11を振り返る」開沼博の2年 【烏賀陽弘道×開沼博】

2013-03-27 00:00


    第三回『ボクタク』「3.11を振り返る」開沼博の2年 


    INDEX



    ■イントロダクション


    ■3.11の「1秒前」から


    ■人体解剖を手術に生かす術を求めて


    ■3.11は「リトマス試験紙」?


    ■善意という決意を形に


    ■マージンからの逃亡


    ■3.11後の狂乱の果てに 


    ■学者とメディア学者


    ■不浄なる思想を抱いて


    ********************


    ■イントロダクション


    「3.11を振り返る」開沼博の2年 


    3.11直前、修士論文を書き上げたばかりだった開沼博。未曾有の大震災は、その人生を一変させた。しかし、開沼の探求のスタンスは、震災の前から一貫して揺るがない。震災前後を通じ、「あってはならぬもの」とされながら、社会の底流に存在続けるあまたの現象を直視し、描き出す試みは、未だその端緒についたばかりだ。



    ◎この対談について

    ・この対談は、2013年3月8日にニコニコチャンネルの生放送で配信された対談です。当日の内容は、Youtubeにもアップされています。

    こちら(http://youtu.be/aQ_KAuH2aHE)からご視聴いただけますので是非ご覧下さい。


    ◎対談テキストについて

    ・対談内の人物表記は、(U)烏賀陽氏、(K)開沼氏 と表記しています。

    ・対談内容のテキスト化において、口語部分等内容の一部修正をしています。


    ◎対談音声の聞き方について

    ・『ボクタク』チャンネル購読後に配信されるメールの、「電子書籍で読む(本記事のみ)」のURLをクリックしてEPUBファイルをダウンロードし、EPUBリーダーにてご視聴ください。

    ・また、ニコニコチャンネルの『ボクタク』ブロマガ記事(この記事)からダウンロードする場合、本ページ右側上にある「電子書籍」タブをクリックすることでダウンロードできます。


    ・各章の最初に音声を聞くためのリンクが設置してあります。

    ・ご視聴いただく周りの環境にご配慮の上、お楽しみください。ご覧いただくリーダーによっては、音声の再生が行えない場合があります。


    ◎推奨環境について

    ・『ボクタク』のePubファイルは推奨環境として、下記のリーダーでの動作確認を行っております。 (※各URLよりダウンロードできます。)

      *Readium【Windows】 http://goo.gl/6eN8k

      *Murasaki【Mac】 http://goo.gl/i0tLh

      *iBooks【iPhone・iPad】 https://ssl.apple.com/jp/apps/ibooks/

       (※またはitunesの検索機能から「iBooks」で検索ください。)


    ◎bokutaku.comについて

    ・『ボクタク』ではニコニコチャンネル以外に、ご利用の方々、運営チーム、出演者等が交流を持てる場所として、bokutaku.comという公式サイトを設けています。

    サイト内の交流用掲示板で、みなさんのご要望・質問・意見などを自由に交わすなど、是非ご活用ください。

     

    ・ボクタク公式サイト

    http://bokutaku.com

     

    ・ボクタク交流用掲示板

    http://bokutaku.com/bbs/


    ********************


    『ボクタク』第3回 「3.11を振り返る」開沼博の2年  



    烏賀陽(U) 

    開沼(K)



    ■3.11の「1秒前」から 


    U「皆さんこんばんは。今日は3月8日です。開沼さんが花粉症に苦しんでおられるということでも分かるように、すっかり一気に春めいてきました。3月も早8日というと、やっぱり、ああ今年も3月11日が巡ってきたんだ、って体が思い出すというかですね、もちろん東北ではあの時も雪が降ってたりしたんですけども(東京に暮らす者にとっては)、ああ2周年が来たんだなと思わせる陽気なんですよね。さて、開沼さんは3.11を機に『フクシマ論』という本が大ブレイクしたんですけれども、その前って何をしておられたんですか。3.11が起きる1秒前まで時を戻すと、その頃は何をしておられたんでしょう?」

    K「ええと、まあいろんなことをやってきたんですけども、(地震が起きたときは)目黒方面から南北線に乗って、後楽園で丸ノ内線に乗り換えるところでした。丸ノ内線の…2階とかなのかな、その地上の入り口から入って、電車に乗った瞬間だったから、(人の乗り降りで車両が)多少揺れるので、その揺れかな、と思って」


    U「ああ、電車の中にいたんですね」


    K「で、座った瞬間、あ、これは相当な揺れだな、と。これはおかしいなと」  

    U「ああ」  


    K「で、皆がザワザワし始めて、人がドンドン降りていって……。(そこで携帯の)ワンセグをつけたら『ああ地震だ』と。(電車は)止まってるし、これは震度3~4の話じゃねえなと思ったら、なんと7とかって地域があるらしい事が分かって。結局それきり電車は動かなかったので、歩いて…まあ家が近いんで、そのまま帰ったんですが」


    U「その時に東北が震源だってことは……東北沖が震源だったことは分かってたの?」


    K「そうですね。(ワンセグに)震度が出たんで。はい」

    U「じゃあ自分の故郷である福島も被害を受けているだろう、っていう心配も、すぐ始まるわけだね、そこから」


    K「そうですね」


    U「なるほど。ところであの『フクシマ論』という本は、その(震災の)前から準備されていたわけですよね。で、そこにあんな大地震、大震災が来て、さらに福島第一原発の大事件が起きて……っていうのはまったくの偶然なんだよね」

    K「はい」

    U「そこで今日のテーマなんですけど、それ(震災)を機に、開沼さんの人生がどう変わっていったかを教えて欲しいんです。ちなみに『フクシマ論』って本はその時すでに本として並んでたの? それともまだだった?」


    K「ちょうど並べようと努力をしていて……つまり2011年の1月に一応論文書き終わって、2月に審査があって、3月に修了というか卒業する感じだったんです。で、まあやっぱり実績として書籍化をしたいなと思っていたんですね。前回も言ったとおり、ライターをやっていて、色々ツテがあったので、企画書を書いて売り込んだんですね」  

    U「ほう」  

    K「(その時の)細かいメールの文面を含めて、『フクシマの正義』という本にそのまま載っけてるんですけども、こんな地味なテーマで出せるか!みたいなのが、ある出版社の編集者から返ってきて」 

    U「つまりダメ出し……ですね?」  

    K「で、こっちも『ですよね~』みたいな(苦笑)。まあ田舎に原発があるってどういうことなのか、というような話は昔から散々言われてる古いネタだ、みたいな。企画書の段階だから(この本で僕が)どう論じるかは(編集者には)分かってない訳ですけれどもね」   

    U「その後どうなったんですか。3.11の、いつごろから、取材の申し込みとか始まった…というか、入ってきたの?」  

    K「一番最初はニコ動が一番大きかったと思います。それが4月の1週目か2週目で、他の出演者は飯田哲也さんと武田徹さんだったんですけども」  

    U「すごいメンツですね」  

    K「そうですね。そこにわけの分からない院生を入れていただいたというのは有り難かったんですけども」  

    U「武田徹さんって、東大でジャーナリズムを教えてた先生でしょ。で、もう一人が飯田哲也さん」  

    K「飯田哲也さんですね」

    U「山口知事選挙に出たっていう」

    K「そうですね」  

    U「で、(その2人に続いて)開沼さんが来るわけだ」  

    K「そうなんです。まあ不毛な種まきといいますか、(単行本の)企画書を色んな所にばらまいたんで、直接タッチしてないところにも(企画書が)行ってたはずなんですけど、それを見てくれた、元々テレビ局にいたニコ動のスタッフの方が、これはいけるってことで押し込んでくれたんです」

    U「へええ」

    K「……というのが最初だったんですが、それと同時並行で、これもまったく同じ経緯で、文春……月刊の文春本誌(文藝春秋)で、やっぱり編集者の方が『あ、これは』と(目に留めてくれたんです)。で、じゃあ(震災の)直後、どういう状況に……元々僕が関わってた所がどうなっているのかっていうルポを書いて欲しいということで、4月締めの原稿を書いたというのがもう一つです」

    U「それは福島に行って書いたんですか? それとも……」  

    K「それはもう福島に、それから新潟、加須にも行って(書きました)。だから、今は本当に恩義を、その編集者の方には感じてますね」  

    U「やっぱり、そういう目利きがいるんですね。文藝春秋とか」  

    K「そうですね」  

    ********************


    ■人体解剖を手術に生かす術を求めて  

    U「開沼さんは、あくまでもアカデミシャンというか、学者というか、そういう立ち位置をその時から変えてないわけですね。ただ逆に言うと、どうなんですか、今のポジションっていうのは変えないつもりでずっと来てるの?(本当は)そこで物書きとかになっちゃってもよかったんだけれども、そのままいる訳だよね」

    K「そうですね」

    U「それはやっぱり学者(という立ち位置)に、自分の居場所があると思ったからなのかな」

    K「(そう)思ってますね。アカデミズムにこだわりがあるのかと聞かれたり、ジャーナリズムで食っていく気はないのかと聞かれたり、色んな文脈でありますけども、やっぱり震災前から僕がやっていたっていうのがある意味で一番、アカデミズムの価値だと思っているんです。前にも話したかもしれないですけど、ジャーナリズムは手術で、アカデミズムは人体解剖みたいなものだと言うんですね。死体解剖だとも言う。で、死体解剖というのは、別に急いでやる必要はないし、いくらでも切り刻んででもいいっていう状態にあるものを徹底的にやるっていうアプローチです。一方、手術と言うと、もうその場で死にそうな人をサクッと診て、いかに助けるのかっていうところなんですが、僕が『解剖』をやっていく価値というのは、それがまだ社会に足りていないと思ってるからだし、それによって自分が『手術』にどれだけ力を添えられるかわからないですけど、それもまあやっていきたいな、っていう思いですね」

    U「そういう立ち位置をアカデミズムに置いていて、3.11の前と後で周りは変わったんですか。開沼さんは、社会学のコミュニティにずっといるわけですよね。あるいは東大とか…東大社会学、文学部というようなコミュニティに(いるわけ)ですね。3.11の前後で、その世界って変わったんですか」

    K「そうですね、まあ、良くも悪くも全く変わっていない、と思っています。もちろん流行りネタとして震災シンポジウムやってみたり、原発の事を考えよう、みたいなのはあったけれども、ある種例えばイラク反戦とか、湾岸戦争反対みたいなノリで原発の問題も扱っているような所があると思うんです。でも、それってやっぱり遠くにある話だから、言ってみれば理想を語ってもいいわけですよ。確かに湾岸戦争反対とかって、理想を語らなくちゃダメだし、そういう人間も必要だったと思うけれども、でも、今回のばっかりは違うだろうと……」

    U「どう違います?」

     
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