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どうも、
管理者のNDです。
1月20日は、
山形県大鳥鉱山雪崩災害から101年です。
先日紹介した雪崩史上最悪と言われた新潟三俣大雪崩と同じ年かつ、
その雪崩災害に次ぐ死者数を出した雪崩災害で、実に154人が亡くなりました。
現在の山形県鶴岡市で発生したこの災害は、新潟のと合わせればこの年だけで300人以上が
雪崩災害で命を落としていることになります。
この雪崩災害の最悪だったことは、鉱山の飯場に留まらず、
小学校を含む集落にまで襲った雪崩の規模の大きさにありました。
高さ200mのところから、ブナを倒して学校に襲ってきたという文献も残っており、
その威力の凄まじさを物語っています。
この雪崩災害がこれほどまでに大規模になった原因は主に3つあり、
まず、当時の気象条件が大正7年豪雪というシーズン全体が大雪の当たり年だったことです。
この大雪はそもそも前年12月から数十年に1度クラスと言えるほどだったため、
この鉱山周辺では元々豪雪地帯ですが、輪をかけて4~5mの積雪深に達する状態でした。
2つ目は、急傾斜の筋状地形に加えて、草地が広がる雪崩にふさわしいとも言える地形的要因です。
雪崩はもともとこういった地形でよく起きますが、その奥には1500人が住む居住地があったことが
被害を拡大させる要因になりました。また、尾根に挟まれた雪崩が元々集中しやすい地形である所に
家屋が多数立地していたことが被害を大きくさせる原因でした。
そして3つ目が、この雪崩が発生したのは運悪くこれも午前2時~4時という人々が静まり返り、
かつ、当時長屋(昔のアパートみたいなもの)で多数の家族が密集している所に雪崩が襲ったために
これだけの人的被害が出ました。
今回は、
「安全を理由に消える村や集落」をテーマにお伝えしていきます。
現在ではこういった観点から、豪雪地帯では希に集落全体が半年間人の立入りさえ許されない、
そんな場所が存在していることがあります。中には道路が封鎖されてしまう場所もあり、
実質の閉鎖となってしまう場所も珍しくありません。山地なら九州や四国にもそういった場所が
存在します。それが故に廃村・消滅集落となった場所も昨今では多く見られているのです。
酷い場所では、秘境の極みとも言えるような所が現在の日本でも数多く存在したりします。
一概に人々の暮らしが豪雪のせいというわけではありませんが、山村を中心に現在更なる過疎化・
消滅している地域があります。自分も含めて秘境は残って欲しいと考える人もいますが、
現実を考えると、本当にこのような場所で暮らすというのは極めて過酷な要素が備わります。
冬季の通行止めに苦しまされるような人は、旅行好きじゃなければ都会人じゃまず縁がないとは
思いますが、こういった場所は常に雪害と隣り合わせに生きています。
道路が設備されて人口流失していき、冬場は通行止めになり不便だからという理由で
どんどん廃れる山村が後を立ちませんが、少し視点を変えると安全面では、むしろ
山村が廃れていくのは致し方ないことだと思える時が最近考えはじめてきました。
自分も、何度か愛媛在住時は、市内のはずれにある山あいの集落にママチャリで出向いたことも
ありますが、まだ雪が降らないだけマシですが真っ暗で街灯もない道で豪雪ときたら
さぞ恐ろしいこと間違いありません。たまに温泉などで「冬が通れないから不便」と言いますが、
冬季にも無理やり道を通れるようにしようとすると、莫大な費用を要してしまうのです。
時に日本の実情を知り、"安全"というものが理由で廃村や消滅集落が増えていることを
考えてみると、致し方ない部分と考えることができるかもしれません。
しかし、都心部への一極集中は時として経済的には長期的な目で見ると逆効果を生みますし、
何よりも災害時のリスクは、人が集まるほど一気に高まって来ます。
今小さな集落や山村で暮らしている人が、安全を理由に移住を考えているのであれば、
せめてまずは近くの市街地ぐらいに住んでいくなどする方が、日本全体としてはまだ活気を
維持できる要素があるのかもしれません。
都会は確かに便利でとても豊かですが、この空気を止めなければ
一極集中した都心部に一度大災害が起きれば経済はたちまち壊滅的な影響を受けてしまいます。
時として、小さな町並みというものは震災のリスクを下げるひとつの要因として
成り立つことがあるとも言えますから、大都会に移住するよりワンランク規模が小さい
そんな場所で住んでみることが、防災面としても意外に得策とも言えるのかもしれません。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。
管理者のNDです。
1月20日は、
山形県大鳥鉱山雪崩災害から101年です。
先日紹介した雪崩史上最悪と言われた新潟三俣大雪崩と同じ年かつ、
その雪崩災害に次ぐ死者数を出した雪崩災害で、実に154人が亡くなりました。
現在の山形県鶴岡市で発生したこの災害は、新潟のと合わせればこの年だけで300人以上が
雪崩災害で命を落としていることになります。
この雪崩災害の最悪だったことは、鉱山の飯場に留まらず、
小学校を含む集落にまで襲った雪崩の規模の大きさにありました。
高さ200mのところから、ブナを倒して学校に襲ってきたという文献も残っており、
その威力の凄まじさを物語っています。
この雪崩災害がこれほどまでに大規模になった原因は主に3つあり、
まず、当時の気象条件が大正7年豪雪というシーズン全体が大雪の当たり年だったことです。
この大雪はそもそも前年12月から数十年に1度クラスと言えるほどだったため、
この鉱山周辺では元々豪雪地帯ですが、輪をかけて4~5mの積雪深に達する状態でした。
2つ目は、急傾斜の筋状地形に加えて、草地が広がる雪崩にふさわしいとも言える地形的要因です。
雪崩はもともとこういった地形でよく起きますが、その奥には1500人が住む居住地があったことが
被害を拡大させる要因になりました。また、尾根に挟まれた雪崩が元々集中しやすい地形である所に
家屋が多数立地していたことが被害を大きくさせる原因でした。
そして3つ目が、この雪崩が発生したのは運悪くこれも午前2時~4時という人々が静まり返り、
かつ、当時長屋(昔のアパートみたいなもの)で多数の家族が密集している所に雪崩が襲ったために
これだけの人的被害が出ました。
今回は、
「安全を理由に消える村や集落」をテーマにお伝えしていきます。
現在ではこういった観点から、豪雪地帯では希に集落全体が半年間人の立入りさえ許されない、
そんな場所が存在していることがあります。中には道路が封鎖されてしまう場所もあり、
実質の閉鎖となってしまう場所も珍しくありません。山地なら九州や四国にもそういった場所が
存在します。それが故に廃村・消滅集落となった場所も昨今では多く見られているのです。
酷い場所では、秘境の極みとも言えるような所が現在の日本でも数多く存在したりします。
一概に人々の暮らしが豪雪のせいというわけではありませんが、山村を中心に現在更なる過疎化・
消滅している地域があります。自分も含めて秘境は残って欲しいと考える人もいますが、
現実を考えると、本当にこのような場所で暮らすというのは極めて過酷な要素が備わります。
冬季の通行止めに苦しまされるような人は、旅行好きじゃなければ都会人じゃまず縁がないとは
思いますが、こういった場所は常に雪害と隣り合わせに生きています。
道路が設備されて人口流失していき、冬場は通行止めになり不便だからという理由で
どんどん廃れる山村が後を立ちませんが、少し視点を変えると安全面では、むしろ
山村が廃れていくのは致し方ないことだと思える時が最近考えはじめてきました。
自分も、何度か愛媛在住時は、市内のはずれにある山あいの集落にママチャリで出向いたことも
ありますが、まだ雪が降らないだけマシですが真っ暗で街灯もない道で豪雪ときたら
さぞ恐ろしいこと間違いありません。たまに温泉などで「冬が通れないから不便」と言いますが、
冬季にも無理やり道を通れるようにしようとすると、莫大な費用を要してしまうのです。
時に日本の実情を知り、"安全"というものが理由で廃村や消滅集落が増えていることを
考えてみると、致し方ない部分と考えることができるかもしれません。
しかし、都心部への一極集中は時として経済的には長期的な目で見ると逆効果を生みますし、
何よりも災害時のリスクは、人が集まるほど一気に高まって来ます。
今小さな集落や山村で暮らしている人が、安全を理由に移住を考えているのであれば、
せめてまずは近くの市街地ぐらいに住んでいくなどする方が、日本全体としてはまだ活気を
維持できる要素があるのかもしれません。
都会は確かに便利でとても豊かですが、この空気を止めなければ
一極集中した都心部に一度大災害が起きれば経済はたちまち壊滅的な影響を受けてしまいます。
時として、小さな町並みというものは震災のリスクを下げるひとつの要因として
成り立つことがあるとも言えますから、大都会に移住するよりワンランク規模が小さい
そんな場所で住んでみることが、防災面としても意外に得策とも言えるのかもしれません。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。