• このエントリーをはてなブックマークに追加
【自然災害メモリアル】第364回:常陸国遠地津波(1420)の日 [防災]被災して亡くなった遺族になったら
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【自然災害メモリアル】第364回:常陸国遠地津波(1420)の日 [防災]被災して亡くなった遺族になったら

2019-08-29 23:59

    どうも、
    管理者のNDです。

    08月29日は、
    常陸国遠地津波(1420)から599年です。

    この茨城県で発生した津波は、僅か4時間で9回という津波を何度も観測した記録が残っています。
    しかし同じ日の前後には、一つとして地震の記録が残っておらず
    地震なしに津波が来ていることから、遠地津波ではないかという推定にとどまっています。

    しかし、世界でもこの大地震になった記録がないのと、茨城県であるこの常陸国以外には
    津波の記録が残っていないことから、発生自体があいまいな記録になっています。

    はたまた、この津波の記録だけ間違っているのか、地震の記録が間違っているのかは謎ですが
    どちらかというなら、前者の方が有力な可能性はあります。

    今回は、
    「被災して亡くなった遺族になったら」をテーマにお伝えします。

    どのように対策をとっても、不可抗力なことで命を落とすことは必ず出てきます。
    それが不幸にして、自分の身内であり、自分が遺族となった時はさぞ悲しいものです。

    しかし、自然災害で亡くなるということは少なからず他の方も一歩間違えれば
    同じ立場になる人が多数いる、もしくは既に同じ立場の人もいます。

    なので、まず自分の遺族の死を使って、遠回しに敬ったり構ってもらうようなことを
    してはいけません。ねだるのもダメです。被災者は自分のことで手一杯なのですから、
    まずはそれを前提に考えなければなりません。悔しい話ですが、裕福とは言えない日本だからこそ
    どうしてもそうなってしまうのです。

    そして更に悔しいのは、葬儀をすることも早々にできないことです。
    自然災害のない時に死んでいく方が、遺骨を墓に収め、みんなに見送られる葬儀ができます。
    だから、自然災害で死ぬことを考えるのはとても悲しいことなのです。
    自分が死んだときに見送ってくれる親戚・友人を少しでも敬う気持ちが残るのであれば
    絶対に破滅願望で自分が死亡することを考えてはいけません。

    じゃあ孤独ならよいのかという人もいますが、果たしてどうでしょうか?
    あなたが例え孤独であっても、消防隊や自衛隊などは人を救うという最も基本的な考えに
    基づいて行動しています。どんなにクズ・ブス・デブ・ゴミ・カス・変人・変態・変質者で
    あってもわが国は救い出す義務があり、貴方の為に何十万という捜索費用と、
    何日もの捜索時間をかけることになるのです。生きようとする意志が見受けられずに
    津波に流されて遺体となった自分がどこかに運ばれるのは、死に心地も悪いでしょう。
    あなたが生きているだけで、遠回しに誰かが救われていると考えることもできるのです。

    話がそれましたが、被災して遺族になった時は残念ながら泣いている余裕がありません。
    残された自分たちが今を生き延びるために、まずは自分の命を最優先に考え、
    生活も立て直していかなければなりません。あくまで厳しい立場になった場合ではありますが、
    その時に自分の家や経済状況をどれだけ損失が防げるかにかかってきます。

    その為にも、やはり防災というのが大切なのです。
    せめてあなたが負傷せずにどうにかなれば、その後の立て直しは少しでも早くなりますし、
    まだ希望を誰よりも望むことができるでしょう。

    家具の固定をしなかったことによって、親族が亡くなり、自分も大けがを負っている中で
    これからのことを避難所で考えなければならないということになれば、
    動くにも動けません。手厚い保護ぐらいまではなんとかしてもらえるにしても、
    今いる地域を実質疎開する形で、遠い所に引っ越すことを止む無くされる場合もあります。

    都会で大震災が起きれば確実に救助・救護する人の手は足りなくなります。
    そうなれば少しでも、都下・地方に追いやられることになるでしょう。
    特に生まれ育った環境で生きていたい方は、防災を進め、少しでも自分の負傷リスクを
    減らすことが重要になります。遺族になった時の予防としても役に立つのです。


    変に長々とした話になりましたが、被災状況で遺族となるのはとても大変なことになります。
    まず、「これぐらいはせめてやらせてあげたい」ことができるだけで幸せだと思ってください。

    実際に大災害となった関東大震災では、火災旋風で死亡した人はそのまま火葬されています。
    東日本大震災では津波で流された人は8年経った今でも見つからず、生死もわからず、
    遺骨の原型が残っているかもわからぬ状態で一緒のお墓に入れてあげることもできない状態です。

    こうした震災時、最悪の想定は考えておかなければなりません。
    時には来る前のことではなく、来た後で不幸にして最悪の事態が身の回りに起きたことを考え、
    その時にどうするかを考えることも大切なのです。


    今日の記事は以上です。
    皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。


    明日もどうぞお楽しみください。
    尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。


    明日は岩手県に上陸した、平成28年台風10号(2016)を紹介します。

    当ブロマガのシリーズも残り2回となりました。
    防災の日から始めたこの1年間、3ヶ月程経った時から本当に大変な毎日となってしまい、
    正直何度も打ち切りにしようと考えていました。どうにか旅行中だろうと時間を割いたり
    先に書いたりして、なんとか1日遅れまでにとどめることはできました。

    8月も間もなく終了し、また新たに防災を考える時がやってきます。
    防災に興味のない人が、少しでも自然災害を目の当たりにする前から関心を持っていただけることが
    自分にとっても防災士として、大事なことだと存じています。

    あと2回、次回もどうぞご一読ください。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。