「菊地成孔の一週間」





「菊地成孔の一週間/(笑)からwwwへの自己更新は取りあえずおいといて、肺炎後の養生と仕事の両立を目指しながらの一週間+1」





11月8日(木曜)


 抗生剤(クラヴィット)が無くなったまま3日ほど経ってしまったので医者に行く。どうですかその後は?と言われたので「お陰さまで少しづつ良くなっていると思うんですが、まだ咳も痰も出ますね。肺というか、背中や胸の奥はもう熱さは無いです。だんだん気管支から咽頭に上っている気がします」というと、突如医師が二ヤーっと笑い、僕の左膝をパシンと叩いて「抗生剤、ずっと飲まなきゃダメよ~。切らしちゃダメ〜(満面の笑)」と言った。うわ、ブラックブラザー。と思いたじろいでいると、何か、金属製の尺か戦隊モノの変身キットみたいな、丸くて紫色のパック

(「アドエア250ディスカス」というのだが。これは「空気(エア)を加える(アド)」という意味だろう。ジェネリックも含め、日本の薬品の命名は富山の薬売りの時代から現在までいまだに総て駄洒落で、競馬馬のそれと変わらない。いつもいている事だが、もう一度ここでも言うが、一番凄いのは「ドグマチール」だと思う。「ドグマ」が「散る」と、鬱病が治るのである。とにかく(1)誰がやっているか知りたい(2)外国ではどうなのか知りたい)

 を出して来て、「あなた喘息じゃないんだけどね、これ喘息用のステロイドだから、これ吸って。1日2回」と、いきなりもの凄い真剣な顔で言った。医師というのは全員キチガイだと思う。院名は出さないが、面白いのでマイコプラズマ肺炎治療日記として、病院の対応も全部書いてしまう事にする(僕の日記に欲出てくる「大久保病院」ではない。念のため)。

 それにしてもなんと言うか、我ながら律儀というかドラマティックに過ぎるというか、今年はもう大規模なライブは年内2回しか無い。要するに今年の公演のセリエー(例年に比べて、結構激しかった)の掉尾を飾る形でマイコプラズマ肺炎のままサーキットに出て、仕上げにピットイン3デイズをやり、着地したような格好だ。

 精神がリラックスしたか、どっと疲労感が出るが良質の物だと思う。取りあえずリハビリ感覚でペン大(私塾)へ。

 理論科初等は現在「テンション」に関する中盤に差し掛かっている。テンションは今やテンション・ノート(テンションは緊張/高所といった意味。コードトーンの奇数列――1、2、5、7――を演繹的に高所ーー9、11、13――に積んだ事に由来。「加えると緊張感が増す音」という意味ではない)にと呼ばず「サブ・コード・トーン」とか「アッパー・オッドナンバー」と読んだ方が理解が早いかも知れない。

 疲労感とセットになっているのが食欲の昂進で、これに任せてしまうと胃を壊すほど喰ってしまう事が多々あり、慎まなければならない。とはいえ、韓流よりも20年早く職安通りに定着した偉大なる大衆焼肉チェーン「幸永」(今や職安通りだけでも4店舗、、、といっても全盛期は6店舗あった。明らかにやりすぎ)に、突撃するように入店し、僕と同じ体型の、同年輩の人物だったら「狂った様に貪り喰っている」と言う他ないであろう量を注文して全部食べる。

 塩サラダ、首子肉(鶏)、ザブトン、下駄カルビ、厚切りカルビ、ライス大盛り1、馬ユッケ、テールスープ、ケジャン、ライス大盛り2。箸休めに青唐辛子のごま油和え。全部喰い終わった瞬間「ああ、腹が減った」と思った。これでもセーブしているのである(精神科対応の、例えば過食症の類いではない。生まれつきである。念のため)。





 11月9日(金曜) 

 久しぶりで完全オフになったので、母親のいる施設に行く。

 彼女はもう6年前から僕の事(だけではなく、あらゆる何もかもが)が解らなく成っているし、ここ3年は人語を発していない。自分が生きている、という自覚も恐らく無い。でも生きている。一種の純粋である。

 脳挫傷とパーキンソン病と認知症を併発しているのだが、僕同様、体型と関わり無く猛烈に喰うし、僕同様、まったく年齢にそぐわないルックス(もう90近い筈だが、70ぐらいに見える)で、僕同様、手首が細いのにグリップが異様に強い(掴まれると引き込まれて、こっちの足が浮きそうに成る)。そして、死んだ夫の写真を見せた時だけ、自分にまだ感情や言語の、ほんの僅かな、砂粒大の破片のような残滓があることを示す。

 「太平洋戦争直後型の夫婦愛」としか言いようのない、凄まじい共依存のかたち。父親は、彼女に三重苦が発症したのを確認するや否や、まったくの無病の状態(もの凄く健康で、血液年齢も内臓年齢も異様に若かった)からガンを発症し、僅か数ヶ月で末期ガンに至り、猛ダッシュして妻を追い抜く様に死んだ。妻はおそらく、だが、夫が生きていると認識している(死んだのは、目の前で確認している)。

 愛と呼ぶのを躊躇うぐらいの彼らの猛烈な夫婦愛は、僕に音楽への強烈な依存(文字が書けなく成っても、セックスが出来なく成っても、酒が飲めなく成っても、好きな物が喰えなく成っても、人間関係が総て無くなっても、僕は恐らくなんともない。音楽を聴き、演奏出来なく成ったらニッコリ笑って死ぬ)という、依存の極端な横滑りを与えたと思う。

 母の部屋で、母と向かい合って、二人っきりで30分過ごす。「怪獣ブーム」だった頃、公園で遊んでいる僕に、彼女は「ナル坊、テレビに怪獣が出てっぞ。見に来なくていいのか?」と伝えに来た。僕が友人の家で車庫の屋根から落ち、頭を割って血だるまになったとき、彼女は僕を抱え上げ、自分の割烹着に僕のおびただしい出血を染み込ませつつ、僕の尻を強く叩き続けて病院まで走った。僕の結婚式の間、彼女はほとんど居眠りをしていた。一度だけライブに来た時「でっけえ音出すなあオメエさん」とだけ言った。父親が亡くなったとき、病院の霊安室で彼女は「いくらテメエの旦那でもよお、死体ってなあ気持ち悪りいなあナル坊よおオメエ。キシシシシ」と、僕の片腕を、両手で掴んだ(物凄い握力で)。恋人の様に。

 きっちり30分で立ち上がり「それじゃあねえ、おかあちゃん、また来るわ」と、一応彼女に向かって言い、部屋を出る。かれこれ50回ぐらいこれを繰り返したと思う。

 施設を出ようとすると、車椅子に乗った、太った貴婦人(としか言いようの無い老婆)が「あら、有名な俳優さんね。何でこんなところにいるのかしら。やっぱり生で見ると素敵だわ。あらあら、お花を持ってくれば良かった。お花はないのかしら。有名な俳優さんだもの。素敵だわ。すみません。ねえあなた、握手をしてくださらない?いつもテレビで見ていますよ。昔からねえ。見ていますよ」と言ったので「奥様、いつも応援ありがとうございます」と言って握手をし、跪いて手の甲にキスをし、施設を出る。




11月10日(土曜

 外に出る用事はないのだが、遅配しているビュロ菊だよりの映画評を書く(追記*この原稿はまたしても遅れに遅れ、毎週水曜の一斉配信は事実上瓦解しつつある。執筆体制、校正体制を改め、次回から水曜一斉配信に戻す)。詳しくはそちらをどうぞ。この機会でないと「死刑台のエレベーター」と「死刑台のエレベーター」を一挙に見る機会など一生無いと思われます。

 オバマに決まったようだが、そんなもん何も決まっていないのと同じだ(ロムニー支持という訳ではない。念のため)。とにかくアメリカには変わって貰わないと困るのだが、僕の予想では結構劇的に変わるので、まあとにかく、誰になっても同じだ。オバマは軍を掌握できないし、ヒスパニックから白人だと思われている。それでもとにかく、大統領が誰になっても同じで、アメリカは変わる。

 映画評の次回の連載がベネックスの「ディーヴァ」と、先日初対面のご挨拶をさせて頂いた岩井俊二さんの「フライドドラゴンフィッシュ」なので、今のうちに観ておこうと思たのだが、よくある話で、全然違うのを2本借りてきてしまった。ボブ・フォシーの「オールザットジャズ」とウォン・カーウァイの、今のところ最後のアジア映画だが、後者はいつか扱うので詳述しないとして、「オールザットジャズ」は拙著「ユングのサウンドトラック」にあるように、我がオールタイムベストに入っていて、DVDも持っている(レーザーディスクもVHSも持っている)。持っているのに借りてしまった(ロイシャイダーの解説が聴きたくて)。

 オールタイムベストである作品についてあれこれ書き始めると止まらなくなるので、思いっきり視点を動かして書くが、僕はアメリカ映画ではこの作品が、欧州ではサーカスを蘇生させたシルク・ドゥ・ソレイユが、そして日本ではピーチジョンが、レオタードやダンスウエア、スイムウエアやアンダーウエア等々を「国家的なエロティシズム」という階級から「フェティシズム」という地下運動へと突き落とした(完全に落とされ切っていないが)3大英雄だと思う。「英雄」と書いたのは、「何がエロいか?」という「エロいか?」という部分の駄洒落、、、、、では勿論無くて(大変失礼。大変)、「何がエロいか?」というのは、人類史上最も激烈な戦闘の歴史だからだ。この作品の有名な「エア・ロティカ」(航空会社「ロティカ」のCM用ダンス)のダンスシーンで欲情しない者は、未だに存在しないだろう。しかし、それは同時に、「どんなにエロいダンスも、ダンスである限り、ヘルシーでアスリーティヴなのだ」という刻印を押した瞬間でもある。

 「ブロードウェイ版の8 1/2」と言われ、大変なプライズを持つこの作品だが、現在の目で見ると、随分と能天気でお気楽なオレオレ映画である事が解る(悪い意味では全くない)。かなり長い間、この作品は僕のオブセッションになっており、観るたびに興奮しつつ、錯乱するほど恐ろしかったのだが、今回はリラックスして、笑いながら大いに楽しんだ。普通に感動したのだ。

 「自分の娘と愛人がどちらもダンサーで、二人が自分のために、レオタードとシルクハットだけで、目の前で踊ってみせてくれる」という、素晴らしい光景を経験する(ボブ・フォッシーは実際に経験した)可能性が、僕の人生からは完全に無くなったし、と同時に、それは人生で起こりうる、最高の瞬間ではなくなったし、何せ僕は煙草をやめたのである。

 この映画は「タバコと覚せい剤(合法)と酒と女と仕事に依存すると、早死にしますよ。でも、良い仕事をすれば末期にはみんなが許してくれますよ。そして死も、楽しい音楽に乗って訪れる可能性があるのです」というだけ(それでけで凄いが)の映画だ。「8 1/2」の、未だに僕を何がなんだか解らなくさせる、ユング的な深遠さには遠く及ばない。

 肺炎で体力が奪われると、普段よりブルゴーニュの赤が飲みたくなる事が解った。グルメエッセイと映画評の編集者であるコーラくんを誘って、下高井戸までクタクシーを飛ばす(コーラくんは下高井戸在住)。昔の日記にも何度も出てきたが、下高井戸には、日本のワイン通の聖地が向かい合わせに並んでいる(とうとうどちらも、あの「神の雫」に実名で登場した)。歌舞伎町からタクシー往復で約5000円上乗せになるのだが、まったく高くない。
 
 二つの店は系列店で「蜜月」と「おふろ」という。読者の方で、自分はワインが死ぬほど好きで、それを非常に優秀な和食でやることができ、変な酔い方もせずに、奇麗な客として振る舞う自信がある。という方がいらっしゃって、もしこの2店をご存じなかったら、必ず「おふろ」の方から行ってほしい(菊地のブログに書いてあった。と言って頂いて構わない)。僕に跪いて感謝の言葉が止まらなくなると思う(言うまでもなく、礼には全く及ばないが、あなたが礼を言いたくなる気持ちを押さえられる自信が僕には無い)。

 最近ではもう無くなったが、狂愛のファンの方が、トラットリアやビストロでの振る舞いが全く解らないまま、とにかく僕と会う事だけを夢見てブログで紹介した店に行ってしまい、店員に「菊地さん、今日来ませんか」とか「菊地さんっていつ来るんですか?」といい続け、コーヒーだけ飲んで帰る。という痛めの珍事がちょこっと群発した事があって(言うまでもないが飲食店の店員がそんな質問に答える訳が無い)、もうこれではブログでお勧めの店が紹介できないのでは?アイドルでもあるまいし、息苦しいなあと思っていたのだが、やはり伝わる物は伝わる物で、今では「菊地さんのブログを読んできてくださる方は皆さん大変良いお客様ばかりです」と言ってもらえるようになり、嬉しい限りだ(本当に嬉しい)。

 以下、様々な意味で書くのはリスキーなのだが、一度だけやや悪質なのがあった。ミクシィの僕のコミュで、ファン同士の飲み会をしようと、店の名前が出た時があり、その店に電話をし、予約をキャンセルした奴がいたのである(勿論、すぐに予約は戻されたが、関係者全員に精神的な汚物はなすり付けられたと思う)。

 彼に言いたい。探し出して裁くつもりは全くない。全部許すので、気を楽にしてほしい。本気だ。自分はそんな事をした事が無いから、された時はショックを受けたが、誰かが誰かの事を忌々しく思って、出来心で悪事に及ぶというのは普通の事であって、僕は、まさか僕自身にそんな事が及ぶなどと思ってもいなかった若造だっただけだ。

 もし君に頼み事があるとすれば一つだけだ。僕がまだ憎かったり忌々しかったり、怖かったり気持ち悪かったりいけすかないのであれば、面倒をかけて申し訳ないが、二者選択をお願いしたい。僕の事をもっともっと知るか(ただで読める記事だけちらっと読んでも僕の事はほとんど何も解らない。極言すれば、演奏を聴かなければ何も解らないに等しい。その場合、君が忌み嫌っているのは僕ではなく、鏡に映った君自身である)、僕の事は一切忘れてくれ。

 「もっと理解してほしい」などとガキのような事は言わない。安いバイクが一台あったとする。それのタイヤ滓だけでそのバイクの事が、誰にでもすっかり解ったような気にさせるように仕向けている恐ろしい組織がいる(勿論、君がバイクに関する達人で、タイヤ滓だけでそのバイクの全貌が解るというのなら話は別だが)悪いのは君でも僕でもない。インターネット(を含めたマスメディア)だ。毎週同じことを言うが、「誰にでも、立派で内実のあるコメントを吐かせている気にさせ、実際にコメントを発する事に依存させる」というのは自我への激しい労働基準法違反で
で、人々をヘトヘトにさせてしまう。目的は革命を抑止するためだ。

 だからもし君が、世界を変えるためにデモに行くなら、スマホをかざして「ここに情報や呼びかけがある」と言っている限り体制側の思うつぼだ。革命に再放送は無い。体制側を揺さぶりたかったら、デモに行った全員が、自分のスマホを一斉に足で踏みつぶし、その場の回線を切断してから詰め談判に入る事で、これは自爆テロに匹敵する迫撃を体制に与える。

 とか何とか、誰にも支持してもらえず、むしろ嫌われ嘲笑される言説を毎度毎度繰り返してしまう訳だが、嘲笑したくばするがいい。「おふろ」の料理(和食)とワインは、僕が知る限り、新宿から片道3000円で行ける圏内の最高峰で、神域にいて雲上に浮遊しているような気分になってしまう。詳しくは写真とキャプションでどうぞ。