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bobomindさん のコメント

先日は熊谷の最高気温と私の地元浜松が最高気温で並びました。米津玄師さんは父も年配の人だと思ってたみたいでしたが、私からすると新鮮な名前に見えていたので世代間ギャップを感じました。ワタクシの名前はBOBOMINDというアーティストネームでして、初めて覚えたブラジルのポルトガル語がバカという意味のBOBOでして、おバカな精神でやろうと付けた名前でどちらかと言えば無教養な方に近いですね(笑)。若駿さんはTOKYOなどなど素晴らしい楽曲を作られてるんですね。米津さんのアルバムも聞きましたがこちらも素晴らしかったです。現代音楽家の坂東祐大さんも調べてみたんですが明智五郎の調査記録などドラマでこんなカッコイイ曲使ってるんだなという素晴らい曲が多くて驚きました。草間彌生さんは一見クランケ故にアウトサイダーアートだと勘違いしそうですが教養ありますよね。Kusama's Self-Obliteration (Jud Yalkut, 1967)の映像は衝撃を受けました。宇川さんからするとアーティストはクランケで今読んでる村上隆さんの芸術起業論はそんなアーティスト=すべての人=起業家に向けて書かれた書物なので興味深いです。宇川さんはデザイナーは医師って仰っててそれってミュージシャンにも当てはまるのかな?なんて考えています。私も統合失調症でDTMをやったり絵を描いたりしているのですが、まさにクランケですよね。表現という行為自体がリプレゼンテーションなので、学べば学ぶほど自分より先にやられてる既視感があるものになってしまう傾向にあると思います。未視感を求めているのに既にやられているといった状態が起きます。なので、先人のままではなく自分なりに考えてオリジナリティーを出さねばならないと感じています。ブレイク前夜って番組があって、これからブレイクしそうなアーティストが紹介されているので皆さんオススメです。アートも音楽も調べる事って本当に重要だと感じる今日この頃です。
No.10
51ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 これはディスとかじゃなくて、懐かしの昭和スカートめくり程度の話ですから笑、拡散するほどのエネルギッシュな物件じゃないでしょうから、赤裸々に書きますが(拡散されたい方はご自由にどうぞ!その時は、要約しないで、ごとアップしてください)、例の「菊地成孔が米津玄師を分析する」は、佐々木あっちゃんの批評家塾(?)出身の人にありがちな、音楽的な分析が図式的でかなりヤワく、かつコメンテーターに対して薄汚いルール違反を(おそらく悪気なく)して平気な顔をしているパターンの典型です笑(あっちゃん、何教えてるか知らないけど、業界のルールぐらいは教えてあげてもバチあたらないんじゃない?笑)。    もちろん、一切の抗議は行なっていません。5000円でも欲しいのよ、今は笑。    先ず、あのオファーは、要約すると「コメントをください。200文字程度で良いので」というものでした。    「コメント」は、別に定義として「1つの記事に1個」とは限りません、限りませんが、現在のカジュアルな定義では、「コメンテーター」の発する「コメント」とは、テレビ番組や映画のフライヤー等で類推できる通り、「1つのテーマ(作品、人、事件)に、複数あるもの」ですよね。コメンテーター / コメントというものは、ずらっと並ぶのが一般的です。  
ビュロ菊だより
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