菊地成孔さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
これはディスとかじゃなくて、懐かしの昭和スカートめくり程度の話ですから笑、拡散するほどのエネルギッシュな物件じゃないでしょうから、赤裸々に書きますが(拡散されたい方はご自由にどうぞ!その時は、要約しないで、ごとアップしてください)、例の「菊地成孔が米津玄師を分析する」は、佐々木あっちゃんの批評家塾(?)出身の人にありがちな、音楽的な分析が図式的でかなりヤワく、かつコメンテーターに対して薄汚いルール違反を(おそらく悪気なく)して平気な顔をしているパターンの典型です笑(あっちゃん、何教えてるか知らないけど、業界のルールぐらいは教えてあげてもバチあたらないんじゃない?笑)。
もちろん、一切の抗議は行なっていません。5000円でも欲しいのよ、今は笑。
先ず、あのオファーは、要約すると「コメントをください。200文字程度で良いので」というものでした。
「コメント」は、別に定義として「1つの記事に1個」とは限りません、限りませんが、現在のカジュアルな定義では、「コメンテーター」の発する「コメント」とは、テレビ番組や映画のフライヤー等で類推できる通り、「1つのテーマ(作品、人、事件)に、複数あるもの」ですよね。コメンテーター / コメントというものは、ずらっと並ぶのが一般的です。
多いにありますね。僕は基本的に、故人への批判は好きではありませんが、ヌジャベス氏の音楽は、「本人の愛すべき人格」とニコイチで語られすぎ、過大評価的になっていたと思っています。
それでも、あのサウンドには愛のバイブスがあったのは確かだし、クラブミュージックはインターナショナル性が強いので(逆に、ローカリティを出す方が難しいですね。クラブミュージック言ったら怒られるでしょうけど、クラッシュとか「日本男児だなあ」と思います)、世界的に売れる要素はあったと思いますが、名前は重要です笑。氏のあだ名(略称)であった「セバジュン」自体がちょっともうアフリカ語的で、リヴァースがもっとアフリカ的、というのは(そして、あの音楽をやっている、というのも合わせて)、ミスティフィカシオンだと思いますよ。
ただ、そもそも日本語はアフリカ語とちょっとした親和性があります。「ソラミミアワー」で、いかにアフリカンポップが多かったことか思い出せばわかりますね。リヴァースではありませんが、「ナカカ・クエイタ」は、田中角栄のドリアン(第二モード)だし、「ウセキ・ナツメソ」は夏目漱石のミクソリディア(第五モード)だし、「キア・ツシササ」は佐々木敦のフリジアン(第三モード)です。誰でもアフリカ人を内包してるんですね。僕は、ビョークも菊地成孔も名前で救われていると思っています笑。古来「名に恥じぬよう」という慣用表現がありますが、名に恥じぬよう、コメントが200万円(「すげー面白かった!」とかで)になるように頑張ります!笑
Post