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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>7

 こんにちはikubasaさん。その、タウラージこそが、コメ欄上記の「アリアニコ」という土着品種による最高傑作です。特に04は。上記のような理由で、なかなか日本では飲めません。ワインは消えもので、その年に作られた本数しか世に出ないので。ただ、アリアニコ100%のイタリアワインは他にもありますし、ワインの情報なんて、おそらく、ですがネット上にあふれているので、個人で調査することは簡単であると思われます。
No.9
45ヶ月前
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 雨である。雨であるだけで素晴らしいのに、雪と混じりつつある。こういうのを淡雪という。重ねて、素晴らしい。淡雪を見ながら日記を書く。明治時代の文豪にでもなった気分である。    大体、10時から11時の間に起床。という、微妙な昼型が定着しつつある。これだと3時に眠くなるので、「真夜中」という時間も楽しめる。先日、 DOMMUNE に長時間出て、終わり、一人で外に出た。    僕は渋谷という街が元々苦手だった。やっとここに来て、「少し苦手ではなくなるかな」と思ったのは、テレビなどで盛んに見る、「渋谷の再開発」の様が、とても気に入ったからである。宮下パークには行ってみたい。寿司仲間の間で噂の寿司屋が出ているという情報も入手した。僕は何十年かぶりで、渋谷にワクワクした。それは恋に似ている。恋に似てる何か。    しかし、 DOMMUNE があるパルコ周辺は、その区域の(今の所)外である。だが僕は、外に出た瞬間、踊り出したくなる程舞い上がった。    誰もいなかったからである。    それは映画のセットのようだった。端的に懐かしい。これは、昭和の渋谷だ。60年代、映画の大手 5 社には全て「日活銀座」「東宝銀座」「大映銀座」といった、屋外型セットがあった、チネチッタにあったヴェネト通りを、フェリーニは「実際のヴェネト通りよりも、私にはセットの方がリアリティがある」と言った。    コンビニがなく、公衆電話がたくさんあり、歩きタバコが吸い放題で、終電を過ぎると、ほとんど誰もいなくなり、やっている店は大通りにはない。そんな光景が、コロナによっていきなり現出した。    それまで7時間以上パルコに閉じこもっていたので、エレヴェーターのドアが開いた時には、声に出して「うわああああああああ」と漏れてしまった。    30分ほどタバコを吸いながら歩き回り(一人も行きあたらなかった)、色々なことを思い出した。僕が通った音楽学校は池尻大橋にあった。僕が教鞭を執っていた音楽学校は渋谷にあった。様々な人と、渋谷を歩いた。常に居心地の悪さを感じながら、胸がときめいていた。    コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものだった。しかし、もし、真綿で首を締められるような、誰にでも共感してもらえるであろう閉塞感が、ネガティヴなものとして僕の中に堆積しているとしたら、コロナはこの一瞬を持って、それを全て精算したと言えるだろう。僕には、空気が綺麗に見えた。  
ビュロ菊だより
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