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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>4

誤解されるとわかっていてもそのスタンスを続行するってのは当たり屋的であり、それで生じる誤解は誤解なのでしょうか?なんか俺、よくわからないんですよね。

 ↑これは、ツイッターの外でも同じ事です。


twitterの中で勝負するには菊地さんの文章はあまりにも難しい。普通に読んでいてもなかなか難しいのに、ああ細切れではね・・・

 ↑僕の文章は、難しくないです笑

 それでもスクショで菊地さんの不用意な在日云々コメントはあっというまに拡散する。わかっていたことですが、発端のミスリードを理解できないtwitterの世界ではあのコメントだけで菊地さんは立派な差別野郎になってしまう。

 ↑そうです。でもツイッターの外の世界では、僕をレイシストだと思ってる人いないですよ笑。Twitterは世界ではないし、小世界だとしても、世界を統治していないし、僕はそもそも短期で移民してるだけで、もう故郷であるリアルストリートに戻りますので笑、大丈夫です。

それにしても町山さんの”菊地はこんなヤツキャンペーン”は見事でしたね。ADHDなんか気にする必要なんかないと思いましたけど、どのみちバカらしくて続ける気にはならなかったかもしれませんが。

 ↑そうですね。さすがTwitter民だし、ご自分がやられている経験もあってのことでしょう。要するに話は簡単で、Twitter内でやれば、素人の僕と百戦錬磨の町山さんでは、勝負にならないです。僕は、Twitterに足を踏み込みましたが、それは大変リスキーで、Twitterの法と風俗の中では叶いっこないので、後悔討論を諦めた段階で、リスクを犯して石を置きにゆくことに方針を決めました。


俺はセッション論争のあと菊地さんにメールで「面白かったです。ぜひ町山さんを番組に読んでほしい」と送ったら菊地さんから「面白がってくれてありがとうございます、町山さんはこないでしょうねえ」的なお返事をいただいたんです。おそらくその通りだったんでしょうけど、ジャズ警察だの保安官だのというつつき合いも、会った上でやるのと会わないでやるのは違うと思いますし、

 ↑「保安官」と「ジャズ警察」は、つつきあうにしてもクオリティが違いすぎると思いますが笑、今僕に「会った上でやるのと会わないでやるのは違うと思いますし」と言われても、流れ上困ります笑。


なんか菊地さんと町山さんが会わないで終わっちゃうのってつまんないな、って思いますよ。

 ↑ 会ったら面白くなると思っている人、少ないでしょう今笑。確かに僕も、最初は会いたかったですけどね笑。今は合わなくて良かったと思っています笑。

 町山さんと菊地さんの”和解”は俺の夢です。

 ↑ 夢ならもっと良い夢を掲げた法が良いと思いますよ笑。僕は「和平を見せる」と思っていましたが、「和平」と「和解」は微妙に違います。おそらくあなたは、Twitterの覇権みたいなものを感じており、町山さんが心情的にお好きで、僕のこともそうで、「お互いに自分を傷つけたり、憎いところもある」と感じており、一種の父母みたいな感じで、息子として「仲良くやってほしい」と思っているのではないかと推察します(違うかもしれませんが)。あなたと同じ善良というにやぶさかでないポジショニングの人ばかりだと良いのですが。因みにADHDは「気にする必要」はあります笑。
No.11
46ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。    明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。 Twitter がみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。    正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。    ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。  
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