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PPPさん のコメント

こんばんは。ゼロ文がBOOK2モードに入ってこれからの授業とても楽しみにしています。
自分は菊地さんきっかけでDTMでの作曲をはじめて、ゼロ文、書籍、youtubeで学びながらデモをコツコツ作っているのですが、調性に比べると、モードに関する書籍、動画は圧倒的に少なく、内容も概論的なものがほとんどで、モードを使ってみたいが身についている感じがないままふわふわと使っている状態だったので、すごく期待しています。ちなみにBOOK1の後半も初耳なことばかりで、幾度も目から鱗が落ちました。

それで日記と関係ない質問で申し訳ないのですが、モードと同じかそれ以上に、転調に関して学べる書籍や動画はないように思うのですが、まえに菊地さんが、POPソングの転調の大部分は魔法の領域だと言っていたような記憶があるのですが(かなり曖昧なので間違っているかもしれません、あと自分はポップスを作っています)、転調を身に付ける方法としては、作曲しながら手仕事的に試していくことと、良いと思える転調をたくさん聞いて部分的にアナリーゼして見ること以外に何かありますでしょうか?
No.31
47ヶ月前
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 節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。    明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。 Twitter がみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。    正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。    ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。