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本田さん のコメント

菊地さま、こんばんは。本田です。
こちらは2月4日の午後3時になりました。

今日はアルバート・アイラーの『Goin' Home』を聴きながら文章をタイプしております。
前回の日記のコメント欄にてご返信をくださり誠にありがとうございます。また、「泣きが足りない」、というありがたきご推測をくださりましたこと、厚く御礼申し上げます。
ご推測につきまして、思い当たるところが多々あります。涙した記憶を思い返してみますと、自分の苦しみについてはよく泣いておりますが、他人の不幸については驚くほど涙していないと気付きました。また、成人しても、成人するまでも、悲しい顔をしていると父は「男は絶対めそめそするな」と、言われて育ちました。

しかしながら、昨日もよく泣きました。
ずっと好きであった女性と夢のなかで会話ができたため、もう一度会いたいと起き抜けに願いトリアゾラムを服用して二度寝をしても会えなかった、という自分の欲深さが胸にささり、洗顔をしながら泣きじゃくりました。また、大崎駅のホームで本(狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ―)を読んで泣き、サイゼリヤで本(サニーのブルース)を読んで泣き、自宅でどん兵衛(うどん)を食べながら号泣いたしました。
またひとつ健康になれた、と思いましたが、大崎駅のホームで涙した際、私の周囲にいらした方々はスマートフォンの画面に夢中であり、私に怪訝なご表情さえお見せいただけなかったことに関しましては、現世の厳しさを感じる瞬間でありました。
とはいえ、あのとき大崎駅のホームにふらりと松たか子さんがいらして私の背中をさすってくだすった、という妄想により、現在はそこそこに良い気分であります。

御多分に洩れず、私も本日の診断結果を案じております。

私は菊地さまが<粋な夜電波>で仰りました、
「心配していることの99%は実現しない、本当にやばいことは腹をえぐるようにやってくる」
といった旨のお言葉を大切にし、過剰な杞憂を乗りこなしてまいりました。たとえこの"魔法の言葉"が私の幻聴や菊地さまがお作りになられた虚構でありましても、大切にし、これからもやってくるであろう艱難辛苦を乗り越え、心から音楽に寄り添い、音楽に愛されることを目標として生きていきます。

話は変わりますが、もし胸毛がご不要になりましたら、私に剃毛させていただけますでしょうか。
剃毛させていただいた胸毛は回収させていただき、しっかりと乾燥させ、メルカリで1本10万円で販売させていただきます。なお、白い胸毛は"大トロ"といたしまして、1本100万円とさせていただきます。
念のため、オーチャードホールでの公演の際は、T字カミソリとシェービングフォーム(敏感肌用になります)を持参いたします。拍手の際にカミソリとスプレーをかんかんと鳴らしている者がいましたら、それは私であります。お気軽にお声がけくださりますと幸いです。

もし、上記行動が不審者に該当するようでありましたら、ながぬまさま、ご多様のところお手数をおかけし大変申し訳ございませんが、どうか私にそっとスタンガンを当てて気絶させ、銚子の海に沈めてくださりますと幸いでございます。

明日はご著書『次の東京オリンピックが来てしまう前に』のトーク・イベントと存じます。素晴らしき夜となることを心より願っております。


※追伸です。
校長先生に関しまして様々なご意見があるようですが、アジア人で初めて『Impulse!』と契約なさった天才に一般的な正当性や常識がすべて通用するのか、と思う今日この頃です。
No.47
45ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。    明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。 Twitter がみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。    正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。    ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。  
ビュロ菊だより
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