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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>44

 いやあこれ笑、すげえいっぱい同様報告があるんですよね(家族間討論 笑)、何れにせよ、ご家族が出てくると暖かいし、微笑ましいですよね笑、羨ましいです笑


<妻の意見は、菊地さんは今の価値観にアップデート出来てないサブカル中年男性になってしまっているのでは?という視点です。ちなみに妻はリベラル&フェミニストの女性です。>

 ↑ 確かに僕は、紛れもない大腸ポリープいっぱいの中年男性ですが、サブカルかどうかは、また「サブカルの人」という考え方が自立するのかどうか甚だ疑問です。僕はサブカルチャーを愛しており、サブカルチャー範囲内での活動(ラジオとか)も旺盛にしていますが、演奏行為や執筆行為自体がサブカルチャーかどうかよくわかりませんし、「自分は<サブカルの人>なのだろうか?」と胸に手をあててみても、やっぱよくわかりません笑


<作家の木澤さんがこの辺りの視点をきれいにまとめられたレビューを書かれていたので、共有いたします。
恐らくTwitterの総意もほとんどコレに集約されると思います。>

 ↑ これは読みました。まあ、半分は正しいのではないでしょうか。


<コレに対して、僕の意見は、アップデートできていないのではなく、敢えてアップデートさせない方向を選択している>

 ↑ そうです。ずーっと言動も態度もそれで一貫しているつもりなんですけどね。ただ、不定期的に定頻度でエゴサはしていますし、ユーチューブは音楽研究のツールとして失くことのできないものになっていますし、ファイナルズの2人がインスタグラムを使用していることは興味深くみています(非常に勉強になります)。当ブロマガが、どのツールにカテゴリーされるかは全くわかりません笑。

 この辺の話は、「ドロップキック」で「ユーチューバー格闘家とは何か?」というインタビューでやや詳しく話していて、もうアップされているか、まだなのかは知りませんが、まだだとしても近々ではあると思うので、お読みいただけると幸いです。


<それは、菊地さんが逆張りをしているからではなく、ストリートの人だから、ストリートに生きる人たちに寄り添っているだけだと返しました>

 ↑ 少なくとも、僕の自意識としては、まさにその通りです。ただこれ、伝わりずらいですよ笑。


<この辺で彼女は???となってしまい、説明を進めていたのですが、最初はイマイチ理解してもらえませんでした。
ちなみに小さい娘が2人いるのですが、二人とも妻の味方をしたので、パパが間違っているという結論になりかけました(笑)>

 ↑ パパだったんですね笑、ちょっと動揺しています笑。


<恐らく彼女からすると、僕の表面(第2層)はラッパーで言うとコモンのようにリベラルでコンシャスな印象しかないのです。菊地さんの第2層がナスティーでインテリジェンスのあるジャズマンというように。>

 ↑ なるほど、理解とは共有から始まると言いますが、単純なコミュニュケーション論として、自分の属性が、相手の属性の部分だけ抽出され、全体像として理解される。という事態は基本的に不可避的ですね。というか家庭というのは本当に複雑で面白い場だと思います笑


<一方で内部(第1層)に僕はMC漢的なサグでフロイディズムな部分があります。菊地さんの内部(第1層)も恐らく近いものがあるかなと。間違っていたらすみません>

 ↑ いや、仰る通りですよ。


<この第1層は私の出自から来る部分が大きいです。私も地方の温泉街&歓楽街で幼少期から18歳までを過ごしました。
恐らく歓楽街は銚子だけでなく、どこも同じようにサグと欲望で出来上がっている街です>

 ↑ 全くその通りです。ただ、少数派ですよね。評論家の野田勉氏も同様の胸、聞いています(彼も妻子持ちですが)。


<この手の街で成長するには、サグでタフな部分がないと生き残れません>

 ↑ そうです。


<ただ、たまたま英語が得意だったおかげで、地元を出て大学に入り、英語を使ってホワイトカラーの仕事をしています。
僕の第2層はほぼ18歳以降で作られた要素です。>

 ↑ 非常によくわかります。僕は英語ができませんが、音楽ができたおかげで、ジャズ界という違う意味での大変な荒れ場に配属されましたが笑、僕は過日、大変な本好きで、14歳以降ぐらいから読書によって第二層が形成されましたし、神経症の発症と精神分析治療によって第二層が肥厚しました。


<でも第1層を捨て置くことは決して出来ないという立場です。故にこの手の議論になると、ホワイトカラーの友人と結構意見が分かれます。僕の頭はヒップホップ脳なので、第1層を捨てる=自分の家族&故郷を捨てることとほぼ同義です。そんなことはできないなと>

 ↑ 全くその通りです笑



<加えてホワイトカラーやリベラルが、マイルドヤンキーや水商売の人間を差別・軽蔑しやすいことを、僕は実地を持って体験しています>

 ↑ こんなのはっきりと差別と無理解だと思いますが笑、僕は音楽家 / 文筆家デビュー以降、ずっとコレですよ笑。ただ僕には音楽界というストリート(このストリートもだいぶ様変わりしましたが笑)と、新宿というフッドがあるので、同類も多く、差別や無理解のほとんどはネットで文字列だけで判断している人からしかありませんが。


<今回の議論も基本的には、私や菊地さんの持つ第1層に対するリベラルの方の無理解は結構大きいじゃないかと思っています。歓楽街や歌舞伎町は、恐らく彼らにとって、一番距離のある存在です。コロナも重なって、更にブーストされた印象です。>

 ↑ 完全にそうですね笑。もうこれはしょうがない笑。それが売りになってしまっているし(まだ歌舞伎町に住んでいると思っている人々もたくさんいます。Twitterやって、引っ越したとツイートすれば広がるのでしょうが笑)、僕の中で、蛮性を駆逐しようという人々をおびき寄せたいという欲望もあると自覚しています笑。



<またADHDの接し方も、過去接してこられてきた方とそうでない方とで多少言及が変わります。
私も菊地さんと同じく母がADHDだったので、今回の言及は特に問題ないと思っていますが、
リベラル観点だと差別的に見えるという逆ロジックが動いた印象です。
この辺りは、菊地さんも批判覚悟で書かれたと思うので、賛否両論は出るだろうなと。>

 ↑ 批判は常に覚悟の上ですが、今回も勿論、文意がストレートに通るとはマイクロ1ミリも思っていませんでした。ですので、石を置きに行ったのです。著述やライブなどで馬鹿でかい岩石を置いているのですが笑、現代はSNSに置かないと、一生知られない(SNSに置けば、一応は知られる)まま、しかし評論されるという時代ですので、やってみましたところ、思った通りの反応が出ました笑。「菊地はDQNに憧れめいたものがあるんだよ」と言われますが、憧れではなく郷愁と懐かしさです笑。


<結局の所、本当のことはストリートじゃないと分からないんだ。ということに尽きるのですが、それをどう言葉と行動で伝えていくかが、カギなのかなと。最近、手塚マキさんの「新宿・歌舞伎町 人はなぜ< 夜の街 >を求めるのか」を読んで、こういう細かい積み重ねで伝えていくことが重要なのかなと思っています。
*ちなみに妻にも今、この本を貸して読んでもらってます。多分、これを読めば、僕や菊地さんの伝えたかったことが分かるはずと。>

 ↑ 読んでみます。


<以前は夜電波でそれが出来ていたと思うのですが、なかなかそういう媒体が今ないので、難しいところですね。>

 ↑ そうですそうです。石を置くことで、不法夜電波を聴く方が1人ずつでも増えればと思っています。


<個人的な希望をお伝えすると、菊地さんの第1層や銚子・歌舞伎町に対する愛を文章でまとめたものはどうかなと思いました。歌舞伎町-WBOで愛すべき人たち的な(笑)>

 ↑ 夜電波で8年間もやった、と思ったんですが、完全な大本営発表というのは個人には出来ず、夜電波もジャズ演奏もなく、ネットのインタビュウをメインに僕の印象をセットする人が多いのは、おそらく一生変わらないと思います。夜電波は幕の内弁当なので、それこそ自伝でも書かない限り無理だと思うんですが笑、自伝は死期が迫ったら口述で書こうと思います笑。



<最後に余談ですが、妻と私が共通して好きな盤はUA×菊地成孔の「CureJazz」です。あそこにあるハイブリットなモノが、私たちの分断のハブになってくれると思っています>

 ↑ 大変嬉しいです。あの作品は、僕が、「ジャズをやっている限り、なかなか表明できないこと」の一つであるフェミニズムを表立って表明した作品です。UAが所謂「ジャズシンガー」出ないことが肝ですが、あの作品は、企画段階から一貫して、「女性が、女性目線でスムースに聴けるジャズ」を設定していましたし、成功しているという自負があります。


<ライブ延期で二人で残念にしておりますが、コロナが終息したら、二人で会場に行ければと思っております。長文失礼しました。>

 ↑ 楽しみにしております。ご家族、特に奥様によろしくお伝えください笑。
No.52
47ヶ月前
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 節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。    明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。 Twitter がみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。    正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。    ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。  
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