• このエントリーをはてなブックマークに追加

菊地成孔さん のコメント

userPhoto
菊地成孔
>>64

 厳密に言えば、町山さんの内燃が続いている限り、町山さんは死なないでしょう。僕は「セッション」の時は、いきなり襲い掛かられて、やりながらプロレスにするしかないなと思い、かつ、試合としてはドローにしたと思っていました。要するに和平ですが。なので、今回本当に迂闊だったなあと思ったのは、報復に備えていなかったことです。町山さんは僕と違って、ペン(キーボード)しか剣がないので、ずっと戦い続け、負け続けて来た。という事実を軽んじていました。Twitter上で、よそ者である僕にどんだけ食らっても大丈夫だと思いますが、町山さんが今、危険な状態にいることは間違い無いです。要するに自死のイメージは決して根拠なき幻覚ではない、という意味ですが。

 2度目の襲撃ですぐに公開討論を要求したのは、プロレス的に、なし崩しに始まるのではなく(あれはプロレスの醍醐味だし)、競技として席について、勝敗を決し(僕が必ず勝つ。という意味ではないです)、町山さんにTwitterによる無限敗北感の外に出したかったんです。これは、人道的な采配とかではなくて、一度やっちゃった人間として、報復に備え続けるのは年齢的にもキツいので笑、町山さんがはっきり勝つか、はっきり負ける事で報復する必要を失わせたかった、というのが本当のところですが、まあ、結果的にこうなっちゃったんで笑、今は町山さんのバトルフィールドである小鳥の国の人口が減ルカ、町山さんの無尽蔵なパワーが、加齢とかでダウンすれば良いなと思うばかりです。町山さんは今、戦い続けているのではなくて、恨み続けているので、体力を消耗するでしょう。

 今はとにかく、大声でゲラゲラ笑うことすら禁じられているので、とにかく笑えるもんはなんでも笑っておくべきですよね。ただ、笑いに似ているけれども、笑っていないような現象、例えば嘲笑とかですが、ああいうのが笑いだと思っちゃうとまずい。笑いの王様は誰も嘲笑できないと思うんですよね笑。振り返るだけなんだから笑。

No.70
45ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 節分が正しくはいつだか忘れてしまったが、セブンで豆を買い、一人で「鬼はー外!福はー内!」と学童のように叫んでいるところを想像したら、思わず笑ってしまった。野暮はししゃんせ侍ならば、誰が鬼だか福の神。ベランダで恵方巻きの代わりにタバコを咥える。見下ろす街は静かで、穏やかである。    明後日、生検の結果が出るが、吉と出ようが凶と出ようが報告することにする。ただ、自分が平気でも、知る方がデリケートだった場合、知らせない方が良いこともある。 Twitter がみるみるファシズムの傾向を露わにし(僕が露わにさせているという側面もある)、僕自身は呆れて笑っているのだが、デリケートなファンは苦しむだろうと思うと、我が不徳の至りに胸が痛む。    正義感と潔癖性が、暴力衝動と繋がっているのはいうまでも無い、民が正義を遂行しているという自意識で殺意に陶酔しているなどということは日常茶飯事である。幼児虐待の親のほぼほぼ100%が「躾のつもりだった」と言う。問題は集団性と、「手を汚さない事」への無意識的罪悪感だろう。「蜘蛛巣城」の山田五十鈴である。ファシズム化と、「毎日何度も掌をアルコール消毒」という義務は、とんでもない偶然によって結びつき、きちんとバランスしていると思うと、ちょっと笑う。    ここもスクショされているという現象は、端的にパパラッツィの子孫で、「時事ネタ嫌い」に<一般(者)報道>として書いた記憶がある。暇に任せて「時事ネタ嫌い」を読んだが、呆気にとられた、あの回のこの部分が、といった話ではなく、単純にもう、歴史はたった10年単位でリピートされているとしか思えない。一冊ほぼほぼ全てが今の話である。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。