菊地成孔さん のコメント
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10年前の3月11日に僕は歌舞伎町のタワーマンションの最上階で、揺れによって眠りから覚めた。ベッドが部屋の中央まで移動したからだ(僕が飛び起きてから、それは反対側の壁にぶつかって止まった)。地震自体による怪我や、大切なものの破損は(いくつかのボルドーグラスと、ボルドーワインは粉々に砕け散ったが、値段がやたら高い以外は、大切なものではない)一切なく、しかし、日中から夜にかけたの臨時ニュースを見ながら、あっという間に世界が変わってゆくことを確信し、異様なファイトが湧き上がったのを記憶している。
前年に DCPRG (当時。スラッシュなし)が3年の凍結から目覚め、野音で活動を再開したばかりだった。また、年末には TBS ラジオのレギュラーが決まっていて、もう番組名も決まっていた。ご存知の通り、戯れた名前である。「夜」の電波、としたが、被災者の皆さんにとっての「夜」がどんなものであろうか?という疑問は、一時的に完全停止した。
僕が一瞬にして決めたのは、「特別な動きはしない。音楽を続け、紹介し、可能な限り、良い調子で喋り続ける。概念的な話はしない、どんな話も、自分の過去の経験と、その時にストリートで拾ったものだけにする」という事だった。
おはようございます。10キロはやりましたね〜。仰る通り、現状は体脂肪が落ちていると思いますし、体脂肪が落ちる速度と筋繊維が増えて体重になる速度はかなり速度差があるので、要するにウエイトの増減はボクサーにとって日常的なものになると思います。
僕は身体にかなりの可塑性があって、病時でなくとも、ちょっとの食事制限と運動量の変化で簡単に体重が増減する体質なんですが、(実家にいた時は90キロ代だったのが、上京後半年で40キロ代になって、帰京したら家族に癌だと思われました笑)1度目の臨死(壊死性リンパ結節炎)の時は、60キロ代の体重が29キロになったので、病気で体重を落とすとやはり辛いですね。
被災地に使われた機材の流用は残念ながらとてもリアルですね。こういうのをサープラスと言うのですが、軍事放出品というものの(被災地の整備は軍事ではありませんが)因果というのは、良くも悪くもとても豊かなものです。ミニ清原の問題はしょうがないというか、あのタイプ(特定の誰かにそっくり)の芸人さんのメンタルにも様々あると思いますね。
僕も、「夜電波」のスペシャルウイークでは、毎回「被災地での生放送」を提案したんですが、スタッフから却下され続けました。「被災地からだと言わないければ良い。被災地でやっている、という風に内容を傾けず、いつも通りにやる」と言ったのですが、それでは逆に全く意味がないと言われ、まあそうだよな。と思い、改めて「電波」という実態的な波を信じる事にしましたが。
何れにせよ、キーボードを破損するぐらいまで衝動が落ちた。という見方もできます。個人的な査定ですが、とても良いと思いますよ。会長さんに話をして、コースを作って頂いたのも、誰にも言わず溜めることも素晴らしいと思います。変わらず楽しんで頑張ってください。
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