• このエントリーをはてなブックマークに追加

痛風24時さん のコメント

菊地さん こんばんは
 震災の年のクリスマスイブにおかしくなり、精神病院に一か月入院しました。中で夜電波を聴いていました。その時のことをメールしたら、夜電波の最終回でよんでいただいたのは、良い思い出です。
 入院から8年、ひきこもっていました。菊地さんは嫌がるかもしれませんが、夜電波は心の支えでした、
 十年目の今年、何とか就職できました。
 菊地さんの音楽と饒舌のおかげです。ありがとうございます。
No.2
44ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 10年前の3月11日に僕は歌舞伎町のタワーマンションの最上階で、揺れによって眠りから覚めた。ベッドが部屋の中央まで移動したからだ(僕が飛び起きてから、それは反対側の壁にぶつかって止まった)。地震自体による怪我や、大切なものの破損は(いくつかのボルドーグラスと、ボルドーワインは粉々に砕け散ったが、値段がやたら高い以外は、大切なものではない)一切なく、しかし、日中から夜にかけたの臨時ニュースを見ながら、あっという間に世界が変わってゆくことを確信し、異様なファイトが湧き上がったのを記憶している。    前年に DCPRG (当時。スラッシュなし)が3年の凍結から目覚め、野音で活動を再開したばかりだった。また、年末には TBS ラジオのレギュラーが決まっていて、もう番組名も決まっていた。ご存知の通り、戯れた名前である。「夜」の電波、としたが、被災者の皆さんにとっての「夜」がどんなものであろうか?という疑問は、一時的に完全停止した。    僕が一瞬にして決めたのは、「特別な動きはしない。音楽を続け、紹介し、可能な限り、良い調子で喋り続ける。概念的な話はしない、どんな話も、自分の過去の経験と、その時にストリートで拾ったものだけにする」という事だった。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。