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たたたたたたさん のコメント

おはようございます。ボクシングを続けていたら、10キロ痩せました。今まで体重計を使わない生活をおくっていたので、なんとも不思議な感情です。有酸素運動によって無駄な脂肪が蒸発しただけだと思うので、これからは急に体重が落ちる事は無いとおもいますが。デブの10キロとは不思議なもので、痩せたことを誰からも気づかれず、指摘されません。マスクと作業着のせいもあるのだと思いますが、僕の腹回りの変化を知っているのは作業ベルトと彼女だけです。笑 充分です。

ボクササイズで1キロ落ちたって大喜びしている人と、試合を控えていて数グラム落ちないと落胆している人と同じ体重計で、痩せようと思っていなかった僕が10キロ痩せていました。会長から「これでベルト巻きやすくなったなぁーガハハハハー」と金歯を光らせながら肩を揉まれました。なんとも不思議な感情です。笑 確か、菊池さんも以前激しい体重の増減があったと書いてらっしゃたか話してらっしゃいましたよね? 

10年前の3月末に、ユンボを積んだトラックに乗って一人で被災地に入りました。ダメージが少ない、比較的東北に近い建設土木業者に対して、国から要請があり公金が配られました。建設土木業は、天災があると結果的に儲かります。
被災地に近づくと、どんどん自衛隊の数が増えていき、どんどんマスコミのカメラも増え、長蛇のガソリンスタンドを60台抜きくらいで入り、信号はすべて「青」でした。まるで戦地に赴く英雄のように扱われました。こういった「歓迎」は当然ですが単なる絆創膏以下で、被災地での作業は粉塵と生臭さと騒音に紛れながら、余震と放射能におびえながら、腐った魚と家の柱とランドセルをユンボで掴んで10tダンプに乗せ続けるという作業で、あちらこちらから遺体が見つかったという報告が入るたびに数分だけ中断しては作業を再開するの繰り返しで。「歓迎」の絆創膏効果は1日も持ちませんでした。
一か月ほど作業した後、公金が切れたのを理由に帰りました。ある作業員と揉めた際に、僕はこのままでは発狂すると思い、ボランティアの作業員にユンボを渡して、逃げるように帰りました。
当時の事を思い出しても汗が出なくなったのはつい最近の事です。

数年後、まさか嘘だと信じていますが、僕が置いてきたユンボが、旧国立競技場の瓦礫を拾っているとの噂を聞きました。実際に被災地から数々の重機が国立競技場建設に・・・。これ以上書くとキーボードぶっ壊しそうなので控えます。笑

光が苦手なのでしょう、朝からサングラスをしているミニ清原が、自衛隊員の前で熱唱している光景を見たときに、僕は自衛隊員に移入して泣いてしまいました。
同じように昼間からサングラスをしていた大清原がシャブでパクられた際に、大魔神や桑田やあらゆる野球人がマスコミでコメントしていたのに、ミニ清原はマスコミの前に出てこなかったので、やっぱりミニ清原にとっての大清原は桜島や富士山や自衛隊員と同じ己を演出するための借景でしかないのだなぁとつくづく。

ジムの会長に全てをお話しして、トレーニングコースを作っていただきました。詳細は別に書いて誰にも見せずにまとめています。しばらく溜め込むつもりです。
No.9
46ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 10年前の3月11日に僕は歌舞伎町のタワーマンションの最上階で、揺れによって眠りから覚めた。ベッドが部屋の中央まで移動したからだ(僕が飛び起きてから、それは反対側の壁にぶつかって止まった)。地震自体による怪我や、大切なものの破損は(いくつかのボルドーグラスと、ボルドーワインは粉々に砕け散ったが、値段がやたら高い以外は、大切なものではない)一切なく、しかし、日中から夜にかけたの臨時ニュースを見ながら、あっという間に世界が変わってゆくことを確信し、異様なファイトが湧き上がったのを記憶している。    前年に DCPRG (当時。スラッシュなし)が3年の凍結から目覚め、野音で活動を再開したばかりだった。また、年末には TBS ラジオのレギュラーが決まっていて、もう番組名も決まっていた。ご存知の通り、戯れた名前である。「夜」の電波、としたが、被災者の皆さんにとっての「夜」がどんなものであろうか?という疑問は、一時的に完全停止した。    僕が一瞬にして決めたのは、「特別な動きはしない。音楽を続け、紹介し、可能な限り、良い調子で喋り続ける。概念的な話はしない、どんな話も、自分の過去の経験と、その時にストリートで拾ったものだけにする」という事だった。  
ビュロ菊だより
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