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まるみさん のコメント

菊地さんDCPRG大阪公演お疲れ様でした。まだ大阪心斎橋にクアトロがあった頃、私にとって最初のミラーボールが回った時に、確実に人生が変わりました。2001年の秋です。ダンスというものがこんなにも心身にフレッシュをもたらすという事を体験した私は、定期的にDCPRGのフロアに自身のチューニングをする為に通いました。その間にバンドは幾度も名前が変わり、フロアの観客のディスタンスはあっという間に無くなり、最後に少しだけ初めて観た時のような踊りやすいスペースが戻り、懐かしさと寂しさと悔しさと色んな感情で演奏が始まってすぐ、少しだけ溺れそうになりました。
でもすぐにいつもの大阪のフロアに戻り、雑念は消え気づけば今までで一番純粋に音楽に没頭していたように思います。
私も積極的解散反対派のひとりではありますが、7枚組のライブアルバムと聞いた時から少し覚悟していましたし、どう希望的観測を持ってしても今回のお別れはかなり永いものになりそうだという気がしています。これで最後だとは口が裂けても言えませんが。

このバンドを主宰して下さった菊地さんと今までの全てのメンバーに心の底から感謝しております。もちろんこれからも菊地さんの活動を追わせて頂く訳で、何もそこまで感傷的になる事もないのですが笑。
BOXの特典の件はあまりの驚きに完全に乖離してしまって夢の中みたいな気分でカラカラ笑いながら崩れ落ちてしまいました。

東京公演が無事に騒乱の元、遂行されるのを大阪より祈っております。
No.9
45ヶ月前
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 いよいよ最後のリハーサルだとばかりに準備をしていたら、しばらく黙っていた北朝鮮が花火を2発撃った。祝砲だ。東京までにイラクが北米に報復をしたら古くて新しい泥沼が始まるだろう。もう慣れっこだ。リハーサル会場に着いた。    「20年間の中で最もストレス値と欲求不満が強いフロアになる。奴らに火を放とう。放ちすぎて問題が生じかけたらオレが消すから笑」    と言うと、みんなが下を向いて笑った。まだ感傷が消えきっていない。特に若いメンバーは仕方がない。休憩中にいつもはクールで口数少ない小田さんが「解散やだあ!」と、聞いたことがない口調で言った。「まあまあ小田さん、何かを始めるには、何かを終わらせないといけない。終わりしっかり見せるのも年寄りの大事な仕事なんですよ」。この運動体には、ほぼほぼ20代からほぼほぼ60代までが揃っている。「寂しいですよお」「じゃあ、小田さんが継いでください」「そんな、、、、あたしじゃ」「良いじゃないですか笑、2代目高橋竹山みたいに笑」。  
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