菊地成孔さん のコメント
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さっき「菊地さん、菊地さんの<服はなぜ>の書評をイグザイルの人が書いてますよ!」という話を聞いて「あらゆるガセが出回る社会とはいえ、流石にそれは嘘だよ笑」と思い、本当に全く信じていなかったのだが、本当なのでびっくりした(「書評」は大袈裟だったけれども)。
とっさに感じたのは、嬉しいとか、恥ずかしいとか、なんかちょっと嫌、とかではなく、「ああ、歴史というのは、結局質的にあんまり変わらないのだなあ」という実感である。
インターネットによって時間はポージングし(「今」しかなくなり)、情報は制限され(ネット上の発言だけが取り上げられるようになり)、歴史という一種の流動体は、質を変えてしまったなあ。と、ずっと思っていたのだけれども、そしてそれは、今でも半分以上は実感のままなのだけれども、今僕は(前回のコメ欄にも書いたが)、ベルクソンとフーコーを(一応、念のため、翻訳で)読み返しており
いやまあ、ハーフ&ハーフですね。鎮静の曲も半分は入っており、ご指摘の通り「アゲと合わせ技で治癒」と、インタビュー等々で発言していた記憶があるのですが、何せあの盤は取材数がハンパなかったので笑、確認しておりません。何れにせよ、製作時、というか、企画段階でもうすでに「治癒」は志向していました。ご存知だと思いますが、UAは山の神で、彼女がアゲル時は、あんなもん(「CUREJAZZ」平均)じゃないです笑、「アジコで暴れすぎて、車椅子に乗った」と聞いて、爆笑しました。彼女にとって「チュニジアの夜」とて、ムッチャクチャにスムースだと思います。配信をお楽しみに!
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