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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>3

 釈迦に説法の類と思われますが、フーコーはゲイかつペドフィリア(今様に言うとショタコン。バルトなどもそうです)だったこともあり、「狂気の発見」に於ける、「狂人」の定義と、彼らへの国家の処し方の変化(昔は闇から闇だったのが「治療施設」に入れて、更生される様に、つまり「正気の人」として拡大再生産される方向へ)は、現状への警鐘となっていると思います。有名なパノプティコン(一括監視監獄)の概念は、SNSとの類似があると思います。僕がノンセクトラディカリズムを標榜するのは、もちろんフーコー由来ではなく、植木等(のキャラクター)と、赤塚不二夫由来ですが、何れにせよ「ゆったり調子よく生きよう」という、画一的な提言ではありません。
No.6
38ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
   さっき「菊地さん、菊地さんの<服はなぜ>の書評をイグザイルの人が書いてますよ!」という話を聞いて「あらゆるガセが出回る社会とはいえ、流石にそれは嘘だよ笑」と思い、本当に全く信じていなかったのだが、本当なのでびっくりした(「書評」は大袈裟だったけれども)。    とっさに感じたのは、嬉しいとか、恥ずかしいとか、なんかちょっと嫌、とかではなく、「ああ、歴史というのは、結局質的にあんまり変わらないのだなあ」という実感である。    インターネットによって時間はポージングし(「今」しかなくなり)、情報は制限され(ネット上の発言だけが取り上げられるようになり)、歴史という一種の流動体は、質を変えてしまったなあ。と、ずっと思っていたのだけれども、そしてそれは、今でも半分以上は実感のままなのだけれども、今僕は(前回のコメ欄にも書いたが)、ベルクソンとフーコーを(一応、念のため、翻訳で)読み返しており
ビュロ菊だより
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