菊地成孔さん のコメント
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curejazz の初日が終わり、2日目の本番前控え室で書いている。 UA はメイク、ヘア、ファッションと一族郎党、7人ぐらい連れ込んでバンマス部屋を占拠しているので、僕はメンバー詰所を区切って第二簡易バンマス部屋を作ってもらい(頼んだわけではない。念の為)、でかいソファで横になれないので、椅子とかを巧みに使って、ソファ風にしているのだが、結局はただの長椅子なので、横になっても綱渡りのロープの上みたいだ。諦めてこれを書き始めた。
とにかく眠くてしょうがない。今は「8~9時完全撤収、店の入りは1時」とかが普通なので、個人練習を1000回やってもそれは夜中の1時から6時まで、とかなので、それから風呂に入って、タバコを吸いながら頭を整理して、寝ると8時だ。長沼の迎えが12時半にくる。サウンドチェックから終焉まで、基本的に眠い。もう国への嫌がらせに、緊自宣下ではライブはやめようかと思う。あるいは、ヒロポンをもう一度合法にしてもらうか、あるいはステージ上全体に布団が敷いてあって、ゴロゴロ寝るだけの現代音楽のライブならやりたい。寝返りを打つ音とかを観客に聞かせてお金を取るのだ。くたった演奏はしない。ベートーヴェンの第九とかをやる。ゴロゴロ寝ながら。
いきなり話が変わる。昨日、新宿駅南口まで散歩したら、ルミネの看板に「先の見えない時代だからって、恋することを諦めちゃダメだ」と書いてあって、久しぶりで苦笑らしい苦笑をした。
配信ご鑑賞ありがとうございました!世界中で見れるのですね。ありがたいです。
<本日、電子レンジで1分半コーヒーを温めていたら取っ手が溶けました。コーヒーはぶちまけられ、床に散乱しました。なんだか喉がかゆいなあ、と思ったら、近くの火山が噴火して灰が舞ってました。4年前に起きた大地震は、36年前に起きた大地震と全く同じ日でした。同じ9月19日のことです。7時からの授業なのですが、7時半からだと思ってました。色んなことがあります。>
いわゆる「メキシコ大地震(85)」の時は、僕はディスコにいて踊り狂ってました。あの狂った時期こそ、「世界でどんな酷いことが起こってたって知るか」と言う、ある意味、中途半端に気にして、気にばかりして特になにもせず、そのまま忘れるよりはるかに潔かったブギーワンダーランドに僕は住んでいて、それがフォークランド紛争まで続きました。いわゆる「メキシコ中部地震(17)」の時は、時事ネタの本とか書いていたので、「追悼式や防災訓練を午前中にやっていたら、午後にはそれが役立った」という話を「さすが中南米。。。。」と驚きとともに、原稿等々にはしませんでしたが、こうした粉塵のことなど伺うに、トランプが不法移民の流入を防ぐためにメキシコ国境にフェンスを作ったのは、トンチキの愚直な愚行で、「アホか笑」と思うとともに、やはり北の(挑戦の話ではありません。ギャラリーの方々へ)切羽詰まり方のリアルを感じざるを得ません。
<思わずコーヒーを吹き出すレベルです。分かる、分かるなあと思います。天然というのは、いらっしゃいますよね。僕も大好物ですね。そして、こちらの大陸には、非常に多いですね、天然の方。もう次に何が来るかなんて分かったことないですね。度肝しか抜かれないので、度肝抜かれ慣れしました。慣れても、度肝は抜かれてしまうのが、本物のすごさかと思ってます>
本当にそうですね笑。「天然の話」だけで放談3回行けると思います笑。
<リクエストとして、是非、またカッチリと作ったラジオも聞きたいと思います。>
「夜電波のように」ということはもう無理ですが(機材も人脈も)、単純に台本をあらかじめ書くか書かないか、という違いと、リスナーの皆様のお声ですね。ラジオというのは一種の放談文化で、夜電波が異常だったので笑、気が向いてらやってみます。
<今日、二発目のスプートニクをぶち込んできたのですが、何故誰もDC/PRGを受け継がなかったのだろうと考えてしまいました。菊地成孔が作った最高の運動体なのに。最高の運動体で、シネマ=運動をとっくに越えているのに。もしかしたら日本人以外の方に譲渡されることになるのでしょうか?>
日本人は、切実さと脆弱さの表現には長けており、イマジネーションもジャパンクールに豊富ですが、コンセプトとそのリアライズにおいて、非常に草食系です。DC/PRGという運動体は、スキリングの遺伝や構造分析は盛んに行われますが(「手仕事」は得意だから。ただ、まだ、ちゃんとできてる人らはいませんが)、その運動体が運動体として、社会的なメッセージと音楽的なメッセージを融合する。というのは、かなり肉食的で、例えばですが、いい線いっていたアンティバラスももう解散して曖昧ましたし、今、日本のミュージシャンは息苦しい人生の中にトランスを持ち込もうとする以外ないでしょう。というか、<戦争>という状態へのイマジネーションがあまりに希薄で薄っぺらくなっている(<政治>や<ストリート>には理解が深く及んでいるけれども)現状では、世界的にも無理だとお思います。
<こちらでは数多くの911の作品が出ておりますが、どの国でも同じですが、あまりに深い傷はその国ではほとんど作品にならないようです。外国人の仕事として911を描くということがあるということをハッキリと意識しました。日本で震災やオウムなどが描けないように。外国人が行う仕事として、そのことがあることは割とハッキリと分かりました。そうすることで、時たま、真実にぶつかります。>
先日、「モーリタニアン」を見ました。9/11の不当逮捕(冤罪)を、老人に近い北米の女弁護士が弁護士、ペンタゴンと戦う。というやつで、ジョディフォスターが、おそらく最後の主演作にするのでは?と言われています。「もうちょっとなのになあ残念」という出来で、「巨悪」であるホワイトハウス / ペンタゴンが、日本のテレビドラマ「半沢直樹」や「ドクターX」に出てくる巨悪レベルを超えないので笑、誠実だが弱い作品です。
日本は、9/11、オウム真理教、秋葉連続殺人、震災を扱った映画が、「おめえ、よく撮ろうと思ったよな。自分でイケると思ったのか」といったイージーさで、ばかばか作られていますが、もう、目も当てられません。フロイドでいう自己分析の誤謬に絡め取られているからでしょうが、それよりも、「できもしない奴に、使命感みたいなことを与えてしまう」というロクでもない効果というものが国難には含まれており、お定まりになりますが、SNS賢者見たいな一番悪質なののコメントがずらっと並ぶのを民が「見ないといけない」という最悪な状況が成立します。
それにしてもジョニーデップ(同い年)の最新監督主演作が、水俣病問題を扱った「MINAMATA」だというのは、開いた口が塞がりません笑、「アヴァター」の後にキャメロンが「次は広島の原爆投下を描く<JIGOKU>という映画を準備中」と聞いて、頭痛がしたのですが、結局これは(幸いなことに)頓挫しました笑。
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