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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>23

そうですか。

↑ コメントの出だしとしては怖いですね〜。なにカリカリしてんの?何か怖いのですか?笑

自分が誤読してるんですかね。

↑ こういうのを自問自答と言います。いきなりこんなこと言われても、意味がわからないですね。甘えん坊かな?〜笑

全然こだわりなくて、周りがなんか言い出さなければ忘れるぐらいで、それと過去に苦い思い出もないので、否定者なのかと。。。

↑ そうですね、完全な否定者で、素晴らしいと思いますよ笑。僕、「クリスマス否定者なんて死ね」とか書いてないです笑、「多くの異教徒の人さえも、クリスマスは巻き込むからすごい」と書いているのです。

すいません、しつこくて。

↑ しつこいというのは、そうですね〜。50行超えたらしつこいですね。あなたのはわずか4行なんで笑、地球上の誰もしつこいと思わないでしょう笑、つまり、「しつこさ」は、あなたのん地上的な性格の中にあると思われますが笑

自分がどっちでもいいっちゃ良いですが、なんか気になる文章だったので、どう言う意味なのか知りたくなりました。

↑ 「どっちだって良い」というのは、本当に透徹してる人(あなたはそう見えません笑)でない限り、甘え腐ったガキのいうことです笑、書いてある文章に対して「どう意味なのか知りたくなりました」っていうのも、家内rの大胆さだと思いますが笑。

 否定されたくなかったんでしょ笑。

No.27
36ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 僕が一番日常的に信仰の勤めを行なっているのは神道と祖霊崇拝である。毎朝神棚に柏手を打っているし、毎晩亡くなった血族と交信している(トイレで。名前と顔を思い浮かべて数分間集中するだけだが)。しかし僕は、宗教はすべて信じている。腕に入っているのはヒンドゥー教の神像だし、最初の結婚式はパイプオルガンが有名な教会で行なった、多くの音楽は宗教と関係している。汎神論とも実質的な無神論とも違う、すべての宗教は同じものだと思う。    キリスト教は中でもかなりエグい方だ。でないと特定宗教行事がここまで世界中には広がらない。というか、クリスマスの世界的な(もちろん例外もある。僕はモロッコ人がいかにクリスマスと正月を杜撰に扱っているかを調べるためにモロッコで年末年始を過ごしたことがある。その時の元日の写真が「野生の思考」のジャケットになった)行事化は、熱心なキリスト教徒には頭の痛い現象ですらあるのではないか?と思う。  
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