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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>9

 こうちゃんさん、いつもありがとうございます!今回は、夜電波の初期だけ聴いていた感が漏れてきているので笑、それが老けてる感と結びつかないようにワードを選んでください笑い。
No.10
35ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
  新音楽制作工房の皆様  菊地です。 LINE にも書きましたが、あとはテクニカルな模索だけ残し、とりあえずカタログはリアルサウンドの記事、岸辺露伴シーズン2の初回オンエアまでに立ち上げられそうですね。皆さんの音楽的才能だけではなく、ひょっとすると DAW と密接的に関係があるかもしれない、ウエブデザインや運行能力、結束力に、またしても驚かされました。僕は、バンドを作ったり、リハをやったり本番をやったりはできますが、ご存知の通り、本当にデジタル社会に関しては能無しなので。    皆さんに認識していただきたいのは、第一にはこのカタログが、見切り発車の形でスタートすることです。見切り発車に抵抗がある方もいると思われますが、あくまで僕個人は、見切り発車には抵抗がありません。人生はいつでも見切り発車で、そもそも完全な計画出産で生まれた方は少ないでしょうし、「私立ペンギン音楽大学」は、全てのシステムと校則を、右も左も分からない見切り発車で立ち上げ、よもや30年後にこういう事になるとは思ってもいませんでしたし、これから何がどうなるかもわかりません。     LINE にも書きましたが、インターネット社会には、実のところ、基本的な法整備は、必死である風に装っているだけで、根本的にはありません(特に国際法)。あれこそ見切り発車の典型で、基本的な法整備が無いということは倫理的調和も無く、ただ、生じた問題や傾向に対して、対症療法的な応急措置をしているだけです(極論的に言えば、国内法も国際法も、原理的には見切り発車です)。テクノロジーの発達だけが確実なものなので、現代というのは、テクノロジーが法整備や倫理的調和を律しかけているギリギリの社会です。    ですので、皆さんにご理解頂きたいのは、 LINE にも書いた通り、インターネット・ソシアルでのトラブルよりも、先行する存在である、企業や消費者個々人とのトラブルの方が難敵だという事です。 (中略)<集団的な才能と実力のプレゼンテーション・スペースでありながら、商品カタログでもある>、という我々(株式会社ビュロー菊地含)の行動規範には法的にも倫理的にも、テクノロジー的にも前例はなく、我々が作ってゆくしかありません。トラブルが起きたら、その都度解消し、リスクが予見されたらヘッジし、商品=作品そのものは言うまでもなく、カタログ全体の、あらゆる水準を協力して上げて行きましょう。    何れにせよとにかく、全ての始まりは音楽的感動です。 NHK ドラマ班に、我々の存在を認識、受諾させるために、僕が何をしたかといえば、皆さんに無断で、皆さんの作品をフォルダに突っ込んで送信し、「試しに絵に当ててみて下さい」と、つまり無理筋をゴリ押しする事でしたが、言葉で何時間か説明するよりも遥かに確実だという確信がありました。    結果として、「岸辺露伴」は2シーズンを通して、佐々木さん、高橋くんとの共同作曲、田島さんからのリファレンス提供、そして、高橋くんと上野山くんの楽曲提供が成立しました。   (上野山くんの楽曲は、今シーズンでは使用されていませんが、前シーズンで納品したものの未使用だった、高橋くんとの共同作曲作品が今シーズン使用された、という事実があるので、 NHK は使用、未使用に関わらず、あのシリーズを長期的に構え、ストック=買い取り、占有していると考えられますが、この案件に関する契約書上の記述はありません)     9sari group ( MC 漢のレーベル)は、ご存知の通り、ほぼ真正のギャングスタ組織ですので、「舎弟(スミマセン笑)の作品を推して良いか?」というシンプルな提案は、すんなりとおりました。ヒップホップ界、特にギャングスタスタイルのレーベルは NHK と反極にあり、上下関係で動いているので、話は最初からすんなり通じると思っていました。    あの段階でギルド構造が固まっていなかったのは痛恨ですが、田中くん、高橋くん、佐々木さん、委細くんの楽曲が使用され、特に田中くんは、提出作4曲が全て使用されるという結果になりました。田中くんの全曲使用と、高橋くんの1つの楽曲が、菊地成孔ー MC 漢ー NHK のドラマ班という、途轍もない距離感の感受性に対して、同じ高評価を下されたことは、我々全員に対する吉兆だと言って良いと思います。    つまり、これはどちらも、僕が漢とマイメン同士であるから、とか、 NHK の渡辺監督がぺぺのファンで、僕に直接指名があったから、とかではありません。楽曲がクライアントを動かしたのです。この事に、僕は特別な感慨はありません、「当然だ」と思っています。僕は自分の音楽活動の全てが、拒否されたり熱狂された事に対し、「当然だ」と常に思っています。それは、対象である音楽そのものの価値を熟知する、という前提に他なりません。    皆さんが稼働する事になるネクストプロダクトである、○○と僕のコラボアルバム、オーニソロジーの新譜、に関しては、長くなるので、状況の進捗をリアルタイムでご報告します。    先の予定として設定しているプロダクトとしては(中略)何にせよ、我々の活動は、<エンドユーザーに鑑賞される事>→<菊地先導型のジョブ>→<皆さんへの直接オファー>→<楽曲の売却>というステップを踏むと思われますので、肩の力を抜きながらも、常にクリエイションは高く保ってください。     LINE にも書きましたが、現在音楽界は、冒頭にあるように、若干テクノロジー先行ではありますが、激変期にあり、また、音楽が鳴らされる場である、社会の疲弊に伴って、業界全体の、特に、新しい音楽のクリエイションに関して、疲弊しきっています。「新しい音楽なんか必要ない=アーカイブに全てがある」という、一種の鬱病的な時代は終わったと僕は認識しています。今こそ新しい音楽が社会には必要です。それは、僕が DCPRG を立ち上げたときに感じていた事です。    音楽は、不安定で危なっかしい現代社会で、人間に生きる喜びと勇気、知的な刺激、トランシーな快楽と啓発を同時に行える、最も優れた発明です。そして、これも LINE にも書きましたが、僕は日常的に、あらゆる音楽を聴きますが、ここ数年で、音楽的記憶に残っているもの(イマジネーションに打たれて、感動したもの)は、皆さんの作品だけです。繰り返しますが、今こそ、<新しい音楽>が必要なのです。それは、作品構造のみならずです。    僕は平均的なヒューマニストだとは思いますが、身内びいきとか、我が子可愛さに目算が狂う、といった愛すべき人物ではありません。音楽に対して、僕は冷酷です。多く音楽家は独善的で自己愛が強く、それは悪事ではありませんが、生徒や弟子といった存在が自分を超えてゆく、という健康的な事実を受け入れられない者がほとんどで、最悪な形では、有能な新人潰しもそこかしこで行われています。    冷酷さとは、まずは自らに対して行使しないと真の稼働はありません。もし皆さんが、僕を教師とし、自分はまだ未熟な生徒だと思いたい欲望があったとしても、僕の冷酷さはそれを是としません。    ○○くんが大きな病を抱えてるので、憐憫からギルドに勧誘したのではありません、○○くんの作品には、大きな病を抱えた人間にしか表現できないリージョンがあります。ペン大発足時から、長期間サックス科の生徒だった○○くんを勧誘したのは、皆勤賞ではありません。○○くんが実はヒップホップのファンで、 DAW によって独自の音響世界観を作り上げた事には正直驚きましたし、クラシックベースで、 DAW に関してはよちよち歩きだった○○さんや○○くんは、高速で自分の音世界を立体化させる技術を得たと判断していますし(ですので、学部こそ先端芸術であれ、芸大出身の○○さんが、ギルドの誰もが驚くべきクオリティの作品を創作する事には、未だに驚かされ続けています)、それは○○さんにも起こった素晴らしい事で、○○くんや○○さん、○○くんや○○さんの<新音楽>としか言いようのないイマジネーションとスキル、○○さんの極めて高いソングライト力、○○さんや○○くんのどんどん姿を変えながらクオリティを保持する冒険心、○○くんや○○くんの原石的なイマジネーション、○○さんの、狂気ギリギリのコンセプチュアリズムと、対偶に位置する高いポップ力、等々、いちいち驚いている暇がないほど、このクラスは僕をノックアウトし続け、何かを始めないといけない。という気持ちに着火しました。実物の火炎でなく、象徴的な火炎は、一度着火されたら、消火はできません。それは恋愛や憎悪にも似て、冷酷で熱狂的な現象です。    御苑スタジオの中で楽しく授業をしていた時代から、皆さんを冥府魔道の獣道である音楽市場に送り込むことも、また冷酷さに属する事かもしれません。高い可能性で、皆さんは、今まで経験したことがなかったネガティヴな反応や、受け入れがたい市場の評価に晒される事になると思います。しかしそれがクリエーターの通過儀礼であり、僕もその轍を踏み続けています。この轍を踏まないと、市場でのアクションはできず、ユーザーに価値を与えることもできません。このことが、皆さんを打ちのめし、イマジネーションや意欲を殺ぐことが無きよう、僕は自分が自作の全てを創作するという独善性を捨て、全力で事に当たります。    「音楽を作るのは、1天才アーティストの力だけではない」という通説は、まだ半分しか意味効果が発揮されていません、それは、プロデューサーやマネージや、ファンの力、つまりスタッフや消費者の力のみを指しているからです。    僕は、「そもそも作品自体が、アーティスト1個人の創作物ではない」という古典的な、そして忘れられかけている事実の復古のために、僕個人での閉じた創作に関しては放棄し、それを宣言する事にしました。それは、キャリアを重ね、齢を重ねれば、誰にでも必ず訪れる状態、ではありません。僕は皆さんを等しく尊敬し、誇りに思っています。    日本ではあまり知られないニュースですが、数年前、レオナルドダヴィンチの最後の作品が発掘されたのですが、悲しいかな、それが小型であったことから、「ダヴィンチの個人制作」と「ギルド制作」との認定結果により、ロンドンナショナルギャラリーと、世界的オークション会社クリスティーズは、前者が後者の100万倍の値付けに査定されました。社会は今、カリスマ待望の時代に入っている危険な状態です。前半にある通り、まだまだ内部的な法整備( SNS での個人的言及範囲、等々)も整っていない状況下での見切り発射ですが、今度ともよろしくお願いいたします。
ビュロ菊だより
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