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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>10

EquusDriverさん、おはようございます。今年も終わりますね。

僕は昔、大久保に住んでいて、韓国人の友人がたくさんできて、月に一度はソウルに遊びに行っていた時期があります。韓国語の会話も、ハングルの読みも、学校に通わずに、彼らと話し、メールを交わすことで覚えました。今はみんな忘れてしまいましたが。これは英語ですが、イクウスに乗って駆る人、というのは、カウボーイや騎士と同じで、馬と一緒に地球の重力を感じる、美しい人々の名前だなあと思いました。

僕は瀬川先生が亡くなってから、泣くことも眠ることもできなくなっていて、これでは体を壊してしまうなあ、と思っていたら、あなたからのコメントが書き込まれていて、僕は途中から涙が溢れ出して、止まらなくなってしまいました。

泣くことができて本当に嬉しいです。あなたと、あなたに愛を教えてくれ、世界に繋げてくれたお祖母様、そして、あなたのご両親にも、深く感謝します。ありがとうございました。

 簡単なハングルにして下さったのもありがとうございました。「菊地成孔さん、ありがとう」ですよね。久しぶりに読むハングルは懐かしかったです。もう日本にはいなくなってしまった韓国人の友達は、皆、愛が深く、慎み深く、親切でした。もし言葉が間違っていたらごめんなさい。가슴 속에서 노래를 불러

No.12
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 親の因果が子に報い、と言うが、僕は何度も繰り返したように生みの母と育ての母が姉妹で、育ての母が統合失調(昔日は「精神分裂病」と呼ばれていた)なので、要するに母像が分裂している。そして、そのラインでかどうかわからないが、父親は1人だけであるにも関わらず、不像も分裂している。  菊地徳太郎はもし生きていれば99だし、知可子(実母)は97である。要するに僕は、彼らがもの凄い恥かきっ子(両親が老いてからの子供。の意)として僕を産んだお陰で(というか、彼らは若くして長男秀行を産みーー世代的な常識でーー多産を計画していたが、死産が4人続き、6男である成孔をやっと生きて世に出したので、疲れ果てて倒れたのである。僕が死産していたら彼らは妄執に突き動かされて、60代になってもトライしたはずだ)、僕は小学生の頃から、クラスメートたちよりも早く両親を失うな。と思っていた。    もし穏当に30歳で両親が僕を生
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