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虎山さん のコメント

 僕は大変に不勉強な者なので瀬川昌久さんのお名前を知りませんでした。その不勉強さの1つが埋まったのが菊地さんによる『粋な夜電波』のとある放送のことでした。あの放送の”死神”の話、そしてそれをのちに菊地さんがお書きになっているものを拝読して時も含めてとても気分が良くなった出来事でした。瀬川さんは銀行員としてNYに在住しエリントンやパーカーの生演奏を聴いた日本人なのだ。というものにもぶったまげました(この後に知ったのですがドルフィーの演奏も聴いたとか)。

 このお話を知って以来、少しはジャズを知っている人には酒のつまみとして瀬川さんのことを楽しい気持ちで話しております。きっと僕は50年後にも瀬川さんの事を良い気分で人に話していると思います。

 ご遺族の方には掛ける言葉がありませんが、その心に平穏が訪れますよう祈っております。
No.15
35ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 親の因果が子に報い、と言うが、僕は何度も繰り返したように生みの母と育ての母が姉妹で、育ての母が統合失調(昔日は「精神分裂病」と呼ばれていた)なので、要するに母像が分裂している。そして、そのラインでかどうかわからないが、父親は1人だけであるにも関わらず、不像も分裂している。  菊地徳太郎はもし生きていれば99だし、知可子(実母)は97である。要するに僕は、彼らがもの凄い恥かきっ子(両親が老いてからの子供。の意)として僕を産んだお陰で(というか、彼らは若くして長男秀行を産みーー世代的な常識でーー多産を計画していたが、死産が4人続き、6男である成孔をやっと生きて世に出したので、疲れ果てて倒れたのである。僕が死産していたら彼らは妄執に突き動かされて、60代になってもトライしたはずだ)、僕は小学生の頃から、クラスメートたちよりも早く両親を失うな。と思っていた。    もし穏当に30歳で両親が僕を生
ビュロ菊だより
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