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肌ラボさん のコメント

7分ほど前に、生まれて初めて父の胸ぐらを力いっぱいにつかんで、大声を張り上げました。
きっかけは、父が母に威嚇的なことをしていたからです。
このときの自分は自分でも驚くほど力が沸き上がります。

母の「殺人がおきる。もうやめて」に言葉に私の気はすこし静まりました。
私の胸ぐらをつかみ返してきた父の握力、アルコールで曖昧になりながらも怒りをたたえた父の目が強く印象にのこっています。洗ったばかりの炬燵布団には刺身醤油が染み込んでいました。

父と母の姿を見るだけで、声を聞くだけで、むなしさのようなものでいっぱいになります。
父子関係が変わらなければ、自分もなにも変わらないのだろうなと思っています。

だらだらと私事をお許しください。おれさよ、なんが言葉いただけっどありがでっす。



No.3
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 親の因果が子に報い、と言うが、僕は何度も繰り返したように生みの母と育ての母が姉妹で、育ての母が統合失調(昔日は「精神分裂病」と呼ばれていた)なので、要するに母像が分裂している。そして、そのラインでかどうかわからないが、父親は1人だけであるにも関わらず、不像も分裂している。  菊地徳太郎はもし生きていれば99だし、知可子(実母)は97である。要するに僕は、彼らがもの凄い恥かきっ子(両親が老いてからの子供。の意)として僕を産んだお陰で(というか、彼らは若くして長男秀行を産みーー世代的な常識でーー多産を計画していたが、死産が4人続き、6男である成孔をやっと生きて世に出したので、疲れ果てて倒れたのである。僕が死産していたら彼らは妄執に突き動かされて、60代になってもトライしたはずだ)、僕は小学生の頃から、クラスメートたちよりも早く両親を失うな。と思っていた。    もし穏当に30歳で両親が僕を生
ビュロ菊だより
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