菊地成孔さん のコメント
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おっさんが脚を引きずりながらせっせと仕事をしている哀感と言ったら。せめて「マルサの女」の山崎努のように、ダンディでスタイリッシュに。無理無理無理。
葬式なので、黒の革靴を履いて立っていたら、全身が筋肉痛になってしまいそうだった。ダンディなのは故人に決まっているじゃないか。僕が知る、日本一の伊達男。
最初の弔辞が始まった。「もしこう呼ぶ事が許されるなら<先輩>と呼ばせてください」といって、見事な弔辞が始まり、見事に終わった。しかし、驚かされたのは、テキストの完成度ではない。あの大蓮實が、あの有名な、低く冷静な蓮實ヴォイスではなく、少し高めの、透明で子供のような音色を発し続けたことだ。列は長く、元老の姿は遥か先で見えない。本人も気がついていないだろう。それが意図せず、軍国少年の覇気に似ていたことに。
ニューオーリンズジャズが葬列用の音楽であり、往路は悲しく、復路は陽気で楽しいものであることを知らぬ人は少ないだろう。しかし、荘厳とさえ言えるほどの寺院で、読経の代わりにニューオーリンズジャズの生バンドの演奏で故人を送りましょう。そんな気障な事が許され、しかも完璧に決まるのは故人しかいない。瀬川先生、先生が生涯憂慮なさっていた、日本の再軍国化が完成する前に逝かれて、僕は、ほんのちょっとだけ、安堵しています。
それは僕が昭和の人間だからですよ。令和の若者がタイムスリップして、昭和に落とされたら、どんだけ野蛮で荒れた世界だと思うでしょうし、昭和の人間がタイムスリップして令和に落とされたら、どんだけ野蛮で荒れた世界かと思うでしょう笑。
別に僕、この時から(通過、生まれた時から)何も変わってないんですけど(それが良いとは言いませんが笑)、令和になったらレイシスト扱いになったりして笑、おっかねえなあ時代、くわばらくわばら、と思ってます笑。僕をレイシストとか、精神に障害がある人の差別者とか(今もって信じ難いんだけど笑)に上手いことリードしたのは町山さんですから、同じ年に生まれても、アメリカに住んでずっとTwitterとかやってると人間、世代を超えられるんだなあと思いますね笑。
先生と奥様のダンスは、ほんの一瞬、ですが、HOT HOUSEの宣伝動画に写り込んでいます。結構数があるんで、探してみてください。僕は、滅びゆく文化に、滅びの美学を見出すとか、そういう美学も概念も全くありません。ダンスは復興するし、エレガンスも復興しますよ。ただ、先生ご夫妻は完璧すぎましたね。完璧なものを見た人間の特権というものはあると思います。それはたった今も存在していると思いますね。
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