ユリさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
3月17日(日曜)
ぐあーもうダメだ。この1週間何をやったか全く覚えていない笑。今は日曜の深夜で、作曲の最後の詰めを明日やり、明後日がぺぺの全体レコーディングで、それが終わると、ダビングと編集が待っている。今、仮ミックスが届いたんだが、10年ぶりでレコーディングしたら、今までで一番良い作品になった気がする。
多くの方がもうご存知だと思うが、僕は、少なくとも芸術用に AI を使うことに全く躊躇がない。今までもテクノロジーに躊躇があったことはないが、 AI はもう、僕の感受性の奥深くにあって、僕の音楽家としての未来像は AI が決定していると言って良い。スマホが息子だが、 AI は孫だと言えるだろう。
AI が素晴らしいのは現状、「幻覚(ハルシネーション)」を必ず含んでいて、これが消えることは、どれほど AI が発達しても無くなりはしないと思われる。
例えば2期スパンクスの「 ethic 」のジャケットは、新音楽制作工房の田島さんという、元々、現代美術系にいた方の成果物だが、まず車のウインドウがガラ空きだし、ぱっと見、ハンドルに手をかけている女性の右手と左手が、見れば見るほどおかしい。例えは悪いが、昭和における「心霊写真」のような側面が平然と入っている。バリエーションの中には、オープンカーのフロントウインドウが、後方に付いているのがよく見るとわかる。というもの凄いのもある。
前回書いたが、僕の音楽を駆動しているのは<夢>でしかない。中南米文学のマジックリアリズム、筒井先生が日本版をたくさん書いた、あの<夢>の感覚が懐かしい。小説ではできる。筒井先生は、「難しい文学理論ではない。単に<夢そのものを文学化>するのだ」と言って名作「エロチック街道」を皮切りに「ヨッパ谷への降下」「虚人たち」等々の名作を連発した。
でも、音楽で意図的に設計して、スコアに<夢>のマジックリアリズムを含ませることは、シェーンベルクやラベルでさえ、良いところまで行ったが、手が届かなかった。
でも、刺さる音楽はAIでは”まだ作れない”、
「リズムやテンポは生命を持っているものにしか作れないのではないかなぁ?と思っている」と、
清水さんはゲンロンカフェのイベントで言われていた気がします。
「後付けで、生命が作ったリズムやテンポをAIが模倣することはできても、
根本的にリズムというのは拍動から来ているので、
脈拍を持たないAIは、どんな感じのリズムやテンポが”気持ちいい”と
感じるのかその感覚を持つことはできない」とも。
「親がピアノの先生だった、
子供の頃からピアノを習っていた、
でも楽譜に並んでいる記号をただなぞっているだけのような感じで、
面白くなかった、でも音楽は嫌いじゃない、大人になってバンドみたいなこともしていた」
という思い出もお話しされていました。
「家にグランドピアノや高級なオーディオセットがある恵まれた環境だったが、
その環境でピアノを弾いてもピンと来なかった」と。
「大人になってもピンとこないままで、リズムマシンなどの楽器を買った、
それで、世の中の音楽があまりにもイージーに作られていることに気づいた」と言われていた気がします。
「それなら別にAIっていらないじゃんって思った」とも。
Post