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田畑 佑樹さん のコメント

>>4
 ご返信をいただきありがとうございます。
 
 スパークス『アネット(?)』に素材があったのですね。私はそちらのほうは未見なので(エドガー・ライト監督ドキュメンタリーのほうは3回ほど観ましたが。あちらは良い映画でしたが、日本語字幕の内容に「私の推し」「ゲラゲラ笑った」等の日本国Twitter文化圏内で流通する類の文言が多く選ばれていたこともまた、良くも悪くも印象的でした)チェックしてみます。あと、野宮さん期のスパンクスがスパークスの前座として出た際にあの兄弟が食い入るようにステージを見ていたという話がすごく好きです。

“自分が生まれる予兆の方が自分が死ぬ予兆より恐ろしい” とは凄まじい至言だと思います。『山の音』(川端の短編よりも『素敵なダイナマイトスキャンダル』OSTのほう)的に母胎から分娩される前の・発達論的には遡れない記憶もそうですが、「自分から自分が生まれてしまう」ことの恐怖(つまり予兆?)は、植物や菌類ならともかく哺乳類たる人類にとっては生死を超えたレベルの実感があります。

「自分から自分が生まれてしまう」恐怖への耐性が女性の側には(生得的に)備わっているなどと言ってしまうと完全な逆差別になるので注意が必要ですが、 “(自分から)自分が生まれる予兆” を男性が感受することは端的にゲイもしくはトランスセクシュアル的・フロイドから言わせればシュレーバー的で、その特性を備えた作品を(少なくとも21世紀前半的な定義では)セクシュアルマイノリティでない菊地成孔さんがお作りになっていることには、文字通り現状では計り知れないほどの意味が宿っていると思います(プイグの仕事との共鳴も含めて)。
 21世紀におけるフロイディズムがフェミニズムまたはクィアセオリーと結託または共闘しうる豊かな余地は、このような実践なしには見出されないでしょう。菊地さんのお仕事は、直接的な政治的・学術的言及では捉え損なってしまう知恵を別様に適切なかたちで発する実践そのものだと思い続けてきましたが、ここで改めての敬意を表させていただきます。

(恐縮ながら、毎回コメント欄には不相応なほど多く段落分けされた文章を書いてしまっていることは自覚しておりますので、他の会員の皆様へのご返信はもちろん別として、私に関して菊地さんよりのご返信は1記事につき1件のみと定めていただければと思います。菊地さんが応答文の作成に負担を覚えるタイプのお方ではないと存じてはおりますが、単にこちらが止めどなくなってしまいますので。返す返す申し述べること自体が無礼なようですが、毎度の詳細にわたる内容の御返信にたいへん感謝しております。)
No.8
1ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
   「天使乃恥部」が配信され、「クチから出まかせ」が出て、あれをやって、これをやって、これもやって、あれをして、これもして、もっともっとして、ああして、こうして、これでしばらくリリパ以外は人前に立つライブもしばらくない、という状態になって、いよいよ「<刑事コロンボ>研究」の執筆に着手したら、前の日記から10日近く経っていて本当にびっくりした。    体感で5日ぐらいしか経っていない。倍速で動いていたのである。今まで黙っていて、というか、隠すつもりもなかったのだけれども、この10日の間に、自動車免許も取得していたので、倍速感が強かったんだろう。    にしても、免許取得後の最初の運転が、法的には盗難したに近いタクシーで、しかも犯罪者と同乗する事になるとは思わなんだ。更にしかも、である。書いても信じては頂けないだろうな、と思いながら書くしかないのだが、僕、犯罪者、僕らとは全く関係のない運転手、の3人が午前3時の首都高を逆走の時速130キロで爆走した理由は、拉致られた元 AKB 48の前田敦子さんを救出するためなのであった。    前田さんは「素敵なダイナマイトスキャンダル」の完成披露の舞台挨拶で1度だけお会いしたことがある。この映画は本当に出演者が豪華で、今をときめく左大臣、柄本佑さん、今をときめくドライブマイカー三浦透子さんを始め、ほとんど有名な人しか出ていない、今は俳優業は廃業されたのかどうなのか、知る由もない(由はあるよな検索だ。しないが)神聖かまってちゃんの方もいらして、しかも撮影現場では左大臣(何故、伊周の発狂するほどの呪詛を受けても熱一つ出さないのか)としか一緒でなかったので、舞台挨拶はエグい事になったわけだ。  
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