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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>2

 運動もしましょう!!(出来れば)
No.5
135ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
10月28日(月曜)  げーしまった!!昨日の本文を長沼に送るの忘れた!!これ、昨日の当欄に載る予定だった物です ↓ (*送り忘れ)10月27日(日曜)  10月も最終コーナーを回りまして夕方5時過ぎると暗いですが、今日は昼過ぎから伊藤ゴローさんとトークイベント(地道に5年目!!「カレンデュラ」より前にやっていたんですね。やっている最中に「今度一緒にアルバムを作る事になりました」と報告したのを覚えています)で、終わってもまだ青山の昼過ぎ、という、もうもうカフェ感満点の世界ですね。アイドルやアニソンと並ぶ、日本のマジョリティと言っても良いでしょう。このイベント、まあ無料という事もありますが、「今年は少なかったな」とかいった年がまったくありません。5年間毎回パンパンですね。  まあ、老いも、そして若きも、疲れておるのでしょう。癒されたい。非常に良くわかります。ただ、ほとんど5年間毎回おなじ事を申し上げておりますが、少なくとも「ゲッジル」に関しては、癒しなどとんでもない、苛烈で激痛な現場で製作された物です。この地獄を知って(向き合って)ボサノバをやる者と、知らずに、或は知っていても無き事としてボサノバをやる者には大変な差があります。伊藤ゴローさんの凄みというか、太さというかそういった物は、前者であり、そしてエコや癒しに特に興味が無い。という都市音楽の側の人間だからだと思いますね。  ミュージックポリティークで言うと、ボサノバはエコとマーケットを共有している一種の提携関係ですから、本当に強さを持つブラジル音楽ラヴァーは、程度の高低こそあれ、エコに対してダブルクロス性を持つ訳で、例えば昨晩の濱瀬先生など「エコなんて左翼の変種だ」と一刀両断で、その上での、あの選曲と移入の素晴らしさなのですね。  以下、大意というかうろ覚えになるので、無礼なきよう気をつけて書きますが、直角さんという大変な才人が、「よくカフェで流れてる J-POP のボサノバカヴァーを、コンピで1曲だけ歌うことになった歌手志望の女性」を描いた小説が大変にリアルだと評判ですが(未読)、内容を聞いているだけでエッジ間が伝わります。実際に AKB のボサノバカヴァーを作って、テレビ/ラジオ局の局アナさんに歌わせた(ワタシが歌わせた訳ではなく、番組からのーー遠巻きのーー要請ですが)事があるワタシが言っているのだから間違いない。この作品も明らかに(あくまでポリティークで言えば)反エコですね。  ワタシも、俄の、というか、汎用エコを生活思想や感受性の中枢に於いてる人々には自分の小便でも飲んでろと思っている方ですが、ハードコアな、というか、等身大のエコロジーは素晴らしい訳で、曲走するとホスピタリティだけの甘噛み柔らか世界を呼び込みます(「草食」とか「文科系」とも違うんですよね~)。全員が全員に向けて相互的に、つまり総合的にホスピタリティを求め、提供しあう社会は、今ここで乱暴に「病院社会」という事が出来ます。丘の上に大病院と金持ちの家があって、路上にはゲットーと市場があって、裏路地には屠殺場がある。というのは健全な格差社会であって、長らく「1億総中流」なんちゃって、これだけ格差があってもまだ、人口の(菊地妄想試算で)40%ぐらいが、世界は悪のイメージとして無格差を抱いている状況の中、思い切ってゲロを吐く様にして、日本も格差社会なのだと、イメージごとインストールするか(これが完了したら、我が国に蔓延する呪いやイライラの類いは根絶とは言いませんがーー別根拠もあるので、別根拠というか純根拠というかーー半減以下になると思います)、アベノミクスの夢を見るかの二者択一ですね今は。  アベノミクスとやらが(どう考えても俗語であって、しかも本来は、完遂してからの徒名ーーレーガノミクスのようにーーであるべき物ですコレは)空想しうる最高の形で完遂したとします。その暁にはブラジル音楽と汎用エコは手を切るでしょう。ワタシが「格差社会を前提とした平等と平和」を旨とした思想家である事はご贔屓筋にはご理解頂けていると思います。厳格に言えば、妄想と現実の間にさえ人種差別と同じ様な差別があります。「格差や差別が無い、から平等だ」というのは、立派な永久歯がぎっしり生えているのにシフォンケーキしか喰わないと言っているに等しい。擬似貴族であり、擬似小児です。ワタシは寺山修司に関しては不勉強ですが「トマトケチャップ皇帝」は(皇帝が「大人の女を抱ける」という一点以外は)非常に鋭いと思っています。携帯電話すら無い時代にあれをやった。  しかし「格差社会を前提とした平等と平和」と立場はなかなか孤独かつ困難です(ですから喜びも大きい訳ですが)。無差別と自由を獲得する為に、格差という大変な不自由の中に遊びに行かないといけない(笑・来週辺りは契約書にサインをし、来月半ばにはマスコミ正式発表となります)。しかも多重人格やコスプレに代表される、外装 → 実質の遊戯的な変換。という方法は使えないのです。ワタシは伊藤ゴローさんに自分と同じヴァイブスを感じます。ゴローさんが立脚するマーケット(ボサノバ)が、ワタシが立脚するマーケット(ジャズ)の1000倍ぐらい大きいだけです。  腹のほうは、まあ、最短の目的地だった昨日のイベントまでで斯様な状態。横ばいですね。しばらく運動と食事制限を続けますが、スタート時と並べておきましょう。顔も(顔は腹に比べるとそんなに変移が無いんですよね)。  明日からペペの歌入れとなりますが、アルバムリリース予定は来年ですので、近視眼的に言うと3デイズですね。お陰さまで恒例行事である事の強味で3日とも残席僅少となっております(今週一杯ぐらいですかね)。とはいえ大友っちの日は(去年まで、最後まで売れ残る日だったのに・笑)もうあと20ぐらいで売り止めるので「どっしよっかな」的な方はお急ぎください!「あまちゃん」の曲は、ツイストしたアレンジとかですらやりませんが(こんな事をアナウンスする日が来るとは・笑)。  ソロの日は、 OMSB の代打で SIMI LAB の USOWA が来るので、ラッパーは JUMA&USOWA という激シブですが、 USOWA (ビートメーカーとしてもラッパーとしても、女子モテするナンパかつダークな風合いがあり、もともと大ファンだったんですが)には「 OMSB の代打みたいになっちゃってわりー」的なメールを出したら、10分以内に「代打でホームランをかっ飛ばします」という返事が来たので、 PC の前で血がたぎりました。ドラムスは我らが田中ちゃんからジャズトロニック等々で、特にクラブミュージック(まあ、死語になりつつありますが)好きの方にはお馴染みの天倉正敬さんです。新曲もフリースタイル&インプロビゼーションも、スパンクスのカヴァーも増えますのでお楽しみに。   DCPRG の大阪 → 東京は、ナニゲに大阪発であるという所に胆がある訳ですが、現在新曲を書いている最中です。ペペのアルバムの次は DCPRG にするかソロにするかで迷っています。贅沢な悩みですよ。夜電波は(おそらく)オクラが2つ出ます(笑)。  ジャズドミュニスターズは正式発売日11月6日をもって一斉に動画サイトのアップを落とします。これはまあゼロ円ファン/ゼロ円論壇対策でもあると同時に、 PV が出来るので(「 DRIVE 」と「 XXL 」)そっちにパブリックイメージを差し替えようというフレッシュネスバーガー提供でもありますね。あと10日ぐらいですからガンガン聴いて下さい。当ブロマガも1周年を迎え、がっつり仕切り直そうと思っています。ゼロ円消費者という現象へのアンサーとしてゼロ円購読だけでも減らそうという意図ではじめた当メルマガですが、1年やっていろいろな事が解って来ました。  そういうことですそういうことです、つまりワタシは、自分の活動総体の中にあらゆる格差や差別を(けっこう図式的なまでに)構造化させているわけですね。生きるのがキツい方。平等を前提にしているからですよ。「平等なんてあるわけねえじゃん。解ってるよそんなの!」といって感情が少しでも動く人は全員、奥底で平等を前提化しています。止めてしまえば良い。誰かに操られている。平等だし責任は無いと。そうです(笑) PC とインターネットですね(笑 ← また出たー!!この発言を「バカ」とスマホで入力&アップ)。  < PC もスマホモ持てないほどの貧困>がこの国に訪れれば良いのに。でも無いですよそれは。国民の1/3が餓死しようと、政府は PC とスマホを無料でバラまくでしょう。風に舞うフライヤーの束の様に。餓死寸前の人も「腹が減った」と呟ける平等な社会。血がたぎりますなあ。それではまた明日。 の「明日」である今日は 10/28(月)  
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