政権交代後、宮中ではとにかく居心地の悪い源氏。引きこもりがちに過ごす中、気になるのは最愛の人、藤壺の宮(以下、宮)と我が子皇太子のことでした。宮も桐壺院(以下、院)が亡くなってからは、源氏が頼みなのですが、未だに諦めない彼のつきまといが悩みのタネ。今日は生霊よりも怖いかもしれない、愛の呪縛のエピソードです。
プライベートな愛欲煩悩のご相談は仏さまに
「院は私達のことをなにもご存じないまま崩御された。それだけでも恐ろしいのに、また罪を重ねることがあっては、我が子に恐ろしい災難が降りかかるだろう」。宮は発覚を怖れ、僧に「源氏の恋心がなくなるように」という祈祷まで依頼します。
筆者は、参考資料にと源氏物語よりも以前に書かれた『宇津保(うつほ)物語』を読んでみました。その中には自分の子供の法要をやってる横で、それとは知らず恋愛成就の祈願をする父親とか、僧侶自身が自分の恋を叶えようと気合い入れて祈るシーンが登場。そんなんでいいのか!と突っ込みましたがプライベートな愛欲煩悩の世界も仏様さまに!というのが面白かったです。
宮の願いもむなしく、ガードを徹底したのにも関わらず源氏が忍び込んできました。今回は内通者もおらず、ゲリラ的。泥棒か!源氏も身分が高くなっているので、取り巻きなしで行動し、こっそり忍び込むのは相当難しいはずなのですが…。
源氏は言葉を尽くして思いの丈をぶつけますが、宮は情にほだされまいと頑張り、ついに胸の発作を起こして倒れます。急病に他の女房たちもバタバタしだし、兄の兵部卿宮(紫の上の父)などもお見舞いに来て、大騒ぎです。
二人の秘密を知る女房の手で、源氏は塗籠(ぬりごめ・出入り口が1つしかない物置部屋)にかくまわれます。宮が取りあってくれないのがショックで、世の中すべてが真っ暗になったような気分。暗い塗籠で源氏は放心していました。
宮の容態は1日経ってようやく落ち着き、お見舞いの人も帰って静かになります。まだ源氏が塗籠にいるとは知りません。女房たちは(お知らせしたら発作がぶり返すわ)。さすがに丸1日も経てばあきらめて帰ってるだろう、というのが普通ですよね。
源氏は様子をうかがって塗籠から抜け出し、宮の部屋へそっと出てきました。源氏がのぞいているとも知らず、宮は「ああ、まだとても苦しいわ…このまま死んでしまうのかしら」。差し出された果物には見向きもせず、思い悩んだ風で一点を見つめています。その姿はたとえようもなく優美です。
彼女の警戒心のない横顔を見るのは何年ぶりでしょう。源氏は感激し、涙を流して見入ります。(ああ、なんて紫の上に似ているんだろう!)逆、逆!紫の上がこの人に似てるんだよ!
源氏はここ数年、紫の上の方を見慣れていたので、ここで2人がそっくりだということをあらためて実感。紫の上をゲットしておいてよかったなあ、とちょっとだけ気持ちが晴れます。しかし「やっぱり宮は別格だ。ますます美しく素晴らしくなられる」。もう初恋の人とかなんとかいうより、『藤壺の宮フェチ』みたいな感じですね。
愛の呪縛、手に巻かれた長い黒髪
源氏は我慢ができず、宮の衣の裾を引っ張ります。源氏の薫りがさっと漂ったので、宮は驚くやら呆れるやら。源氏が押さえた衣だけを脱いで、トカゲの尻尾きり状態にして這い出して逃げようとするも、源氏の手には宮の長い長い髪の毛が絡め取られています。
十二単の襲(普段は3~5枚程度重ねる)は、袖口のグラデーションを見せるため、下が大きく上が小さい重ね着です。そのため、いざという時(?)はまとめて着脱でき、下着と袴になれるとか。でも衣の脱げても、髪は捨てられない!源氏に髪を取られて反り返る宮の体、平安時代の長い髪だからできる、ラブシーンの表現。官能的です。
宮は運命のすべてを哀しく思いました。源氏は理性を忘れ、狂ったように宮への想いを切々と訴えます。愛の言葉には応えず、「とても具合が悪いので…」としか言わない宮。彼女の「絶対に過ちを繰り返さない」という決意は固く、あくまでも柔らかく源氏を拒み通します。
源氏が絶賛する宮の良さ、それは犯しがたい気品です。源氏も力づくで宮を従わせることはせず、ひたすら独り言をぶちまけて夜明けが来ました。
「今日のところはこれでいいです。今後、近くで私の気持ちを聞いてくれるなら、それ以上の無礼は働きませんから」。これも宮の警戒を解く方便なのですが、そんな手に乗る彼女ではありません。宮はもう半分死んだようになっています。
夜も明けてしまい、人目については大変と、秘密を知る女房たちが慌てますが、なかなか帰らない源氏。しまいには「たとえ死んでもあなたへの想いは変わらない。何度転生しても、未来永劫あなたに執着し続けます」。言葉のあや、そして両思いとは言え、未来永劫つきまとうとか、怖すぎ。
仏教の世界では、執着を残す方はもちろん、残される相手も罪深い、ということになっているそう。ここまできたら愛情というよりは呪縛です。生霊になる六条よりも怖いかも。
愛の呪縛に囚われた源氏は、この一連の場面では『をとこ』と書かれています。『をのこ』は今で言う男性、という意味合いに近く、『をとこ』は、夫や情夫といった性的な意味合いを持つので、使い分けられるんですね。
理性を失って迫る源氏は、恋に狂ったただの『をとこ』。対して、もう絶対に間違いを犯さない!と踏みとどまる宮は、『をんな』ではない…。というところがポイント。それにしても、どうやって侵入したのか?丸1日もいて、怪しまれなかったのか?トイレなどはどうしていたのか?など、数々の疑問が残るシーンでもあります。
根に持つ源氏、恋よりも我が子を取る宮
源氏は宮に拒まれたことを根に持って、「向こうがかわいそうだと思ってくれるまで、もう皇太子にも付き添わないし、手紙もしない!」。スネまくった挙句「世の中には嫌なことが多すぎる。もう出家しようか」。でも、自分だけを頼りにしている紫の上がかわいそうで、そんなこともできません。
源氏は自分にされた仕打ちを忘れず、あとあとしっかり報復していく辺りがエグい男。源氏はこのあと、雲林院(ういんりん)という所に参詣し、亡き母・桐壺更衣の兄が僧になっているお寺に行って、お寺で引きこもりライフを送ります。
宮もあの一件が尾を引いて、普段通りではありません。皇太子を守るためには源氏をひきつけておかないといけないのに、源氏に出家されては大変。でも源氏があんな風にたびたび言い寄ってきたら、いつか根負けしてしまう。どうしたらいいだろう?
院は、後ろ盾のない皇太子を守るため、宮を中宮という位に就け、源氏を後見人に選びました。ところが、太后や右大臣がのさばる世の中になってから、今やそれも形式だけのもの。
宮の脳裏にはある故事がよぎります。中国の前漢の時代に、高祖に寵愛された妃と皇太子が、彼の死後、太后に廃されて、四肢切断され、目と耳と喉を潰され、厠に投げ込まれて人豚と呼ばれて惨殺された『戚夫人』の話です。
「あんなことまでされないまでも、このままでは何か起こるに違いない。いっそ出家しよう」。その前にひと目息子に会おうと、宮中に参内しました。
皇太子は6歳になり、しばらく見ない間にすっかり成長。久しぶりにお母様に逢えたのが嬉しく、ずっと甘えてくっついています。しばらく来ない間に、宮中の空気が変わり、ただこうして我が子に面会に来るだけでも、太后側に不快がられて辛い限りです。
宮は「しばらく会わない間に、私の姿が変わったらどう思う?」皇太子は不思議そうにじっと見つめ「お母様が、式部(女房の名前)のようになるの?そんなことないでしょう」。と無邪気に笑います。
「式部は年を取ったのであんな風になったのよ。そうじゃなくて、髪はもっと短くなって、僧のような黒い衣を着るの。そうなると、今よりもっと会えなくなるでしょうね」。「今だって、なかなかお会い出来なくて寂しいのに」。母に涙を見せまいと、いじらしく顔を背けます。
皇太子は、ますます源氏にソックリ。目元、髪の様子、笑った時に奥歯が少し虫歯になって見えるのも可愛らしく、女の子にしたいような愛らしさ。それにしても「こんなに似ていたら、出生の疑いを持たれるかも」。宮が絶対に源氏と関係しない、と思い決めているのも当然、既にここに源氏の子がいるわけですから。
母は強し。我が子を守るためにはどんなことでもしよう!と宮も思います。そのためには源氏に絡め取られた長い黒髪を切り落とし、出家することが最善の道。恋よりも我が子を取る、母としての宮の成長が印象的です。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか
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