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「最高刑は流刑」史実をベースにした源氏の都落ちプラン

兄・朱雀帝の寵妃、朧月夜との大スキャンダルにより、ついに無位無官となった源氏。右大臣と太后からの圧迫は日ごとにひどくなり、謀反の罪をでっちあげて流刑に、という動きも見られるようになってきました。

どんな時代でも、謀反は重大な犯罪です。時代劇などでは”謀反人=死刑”というイメージですが、平安時代は公刑としての死刑がなかった時代ともいわれ、最高刑は島流しなどの流刑でした。命があるならいいじゃん、という気もしますが、「京こそこの世の全て」といってもいい貴族階級の人達からすれば、京以外の所に行かされるのは人生が終わったも同然です。

もちろん、源氏は朧月夜と関係してはいましたが、政治転覆を図るつもりなど毛頭ありません。濡れ衣を着せられる前に先手を打ち、田舎で謹慎することを計画します。いろいろ検討した結果、場所は須磨(兵庫県明石市須磨区)に、出発は3月20日(旧暦)すぎと決めました。

源氏の都落ちは、史実を元にしていると言われています。安和の変(969年)です。時の左大臣・源高明が謀反を企てているというざん言があり、結果、彼は3月26日に太宰府(福岡県太宰府市)に移送されます。高明の源氏勢力が拡大するのを怖れた、藤原氏の陰謀でした。

源氏と高明との違いは、罪を言い渡される前に自分から都を出て行くこと、場所が大宰府よりは京にずっと近い須磨だということ。この時代は須磨まで行くのにも数日かかる道のりでした。作中では、須磨は漁師の家がわずかにある程度の、とても寂しい場所だと書かれています。

さらに、本当に罪に服すのなら刑期明けに帰ってこられます。源氏の場合は自分でする謹慎なので、ほとぼりがさめるのが3年なのか5年なのか10年なのかわからない。なんとなく芸能人や有名人の自主謹慎にも似ていますね。

「すべてが悪夢のよう」源氏、女性たちとの別れにいそしむ

源氏はあちこちにいる恋人や、愛人たちとの別れを惜しみました。生活の面倒を見ている花散里にも細々と心配りをし、事の発端となった朧月夜にもなんとか手紙を届け、別れの挨拶をします。あんなに華やかにしていた源氏が、今や粗末な車に身をやつしての移動…。まるで悪い夢を見ているかのような、信じられない光景です。

あの藤壺の宮も、世間の目を気にしつつもまめに便りをくれます。源氏は「出家前にこんな風に思ってくださったならどんなによかっただろう」と思わずにいられないのですが、今となっては仕方のないことです。

源氏は旅立ちの直前に、義父の左大臣に挨拶に行きました。葵の上が命と引き換えに残した息子・夕霧はもう5歳。久しぶりにパパが来たので、ひざに抱っこしてもらってご機嫌です。

左大臣はおいおい泣きながら「本当に長生きするものではないですね、まさかこんなことが起こるとは。もう世も末です。娘の葵が死んだ時もとても悲しかったですが、こんな目を見せずに済み、かえって良かったのかもしれません…」。

葵の上とギクシャクしてばかりだった源氏をあらゆる手段で歓待し、いつも優しくしてくれた義父・左大臣の悲しみは、本当の父親にも劣りません。夕霧はパパとおじいちゃんの間を行ったり来たりして、無邪気にはしゃいでいます。そのうち、頭の中将も顔を出し、夜も遅いので泊まることに。

実は源氏は、葵の上がいた頃からずっと愛人にしている中納言の君にも逢うつもりで、左大臣家に来たのです。皆が寝静まったあと、彼女の部屋で別れを惜しみます。マメですね…。

男女が逢ったあとは、夜明け前に帰るのがマナー。源氏も彼女と語らっている所に、大宮から連絡が来ます。「直接お会いしてお別れをいいたいけれど、悲しみのあまり寝込んでいます。それにしても、夕霧がまだ眠っているのに、顔を見ずに行ってしまうのですか」

大宮は葵の上の女房が、源氏の愛人になったことをこころよく思っていませんでした。直接には書いていませんが、別れを惜しむ2人の所に、タイミングよく(?)大宮からの使いがくるあたりがなんともいえません。

源氏は「幼いわが子の顔を見れば、旅立ちの決意も鈍ってしまうでしょう。私も大宮さまにお話したいことがいろいろありますが、急ぎ失礼するのをお許し下さい」。

そう告げて朝帰りする源氏の姿は清らかに美しく、「虎や狼であっても涙を流しそうであった」と表現されています。こと女性に関しては、虎や狼もびっくりなほど精力的ですね。

「これ以上いやなことがあるの?」残念すぎる妻の実家

源氏は朝方、左大臣家から自宅の二条院に帰宅します。惟光や良清など、源氏の腹心たちも一緒に須磨に行くので、今日はそれぞれ自分の家族と過ごしており、誰も出勤してきていません。

以前は客人が絶えなかった二条院。源氏が都を発つというのに、誰も彼も世間体を気にして挨拶にすら来ません。人が来ないので、台所にもホコリが積もり、畳なども上げられています。「自分がいなくなったら、どんなに荒れ果てるだろう」。先が思いやられる光景です。

紫の上は部屋で源氏を待っていました。「遅くなったから左大臣家に泊まったよ。あなたは他の女性のことを勘ぐって不快だったかもしれないが、どうしても挨拶したい人たちがいてね」。勘ぐるもなにも、愛人とよろしくやってきたわけですが…。わざわざ言い訳するあたり、普段からツッコまれている感じが出ています。

紫の上は悲しそうに「あなたが行ってしまう以上に、いやなことなんて何があるの?」。実は、紫の上の実父(藤壺の宮の兄)の兵部卿宮は、太后を怖れて、源氏に距離をおいていたのです。意地悪な継母は「あの娘の幸せはいつも儚いわねえ。母親とも祖母とも、夫ともすぐに別れる運命なのね」と高笑い。

この話は紫の上にも伝わり「親子だと名乗らなければよかった。悲しいし辛いし恥ずかしい」。今や親子は絶交状態。兵部卿宮は、娘の紫の上だけでなく、妹の藤壺の宮も源氏のバックアップを得ているのだから、もっと源氏の味方をしてしかるべきだと思うのですが、ピンチのときこそ誰が本当の味方かわかるというのはこういうことですね。

この時代、左大臣のように、お婿さんの世話は妻の実家がするもの。紫の上は源氏と最初から同居婚というイレギュラーケースで、兵部卿宮は義父らしいことをほとんどしていないのに、その上この塩対応とは…。なんともガッカリです。

紫の上の悲しみと心細さはひとしおです。源氏も紫の上がかわいそうで、一緒に須磨に連れて行こうか、とも思いますが、謹慎するのに妻を伴うとくればまた何を言われるかわかりません。

昼ごろまで紫の上とゴロゴロしていると、源氏の弟の帥の宮(そちのみや)と頭の中将が来訪。源氏は着替えるために鏡の前に座りますが、つくづく眺めて「やつれたなあ。鏡に写った姿も衰えて影みたいだ」

着替えを手伝う紫の上は、涙を浮かべてじっと源氏を見つめます。「本当に、鏡にあなたの姿が残ってくれたらいいのに。寂しい時は鏡を見て過ごせばいいものね」

源氏は持っている荘園や牧場、倉などの資産のすべてを紫の上名義に書き換え、自分づきの女房たちにも「私の帰りを待つものは、紫の上に仕えなさい」と指示します。留守中の家の管理はもとより、万が一自分に何かあったとき、紫の上が困らないようにという配慮でした。

源氏がいかに紫の上を重んじているかは、この手続きからもよく分かるのですが、もうすぐいなくなってしまうのに、夫は愛人との別れに忙しい。その上、協力どころか嫌味を言ってくるような残念な実家…。いかに財産を与えられようと、紫の上の孤独と大変さは埋められないような気がします。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。

3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

(画像は筆者作成)

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