鼻血問題・・・公害の立証責任は誰にあるのか? 政府・マスコミの変容(中部大学教授 武田邦彦)

今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

■鼻血問題・・・公害の立証責任は誰にあるのか? 政府・マスコミの変容(中部大学教授 武田邦彦)
小学館のマンガに「被曝で鼻血がでた」という内容があったということで、福島県知事、大阪市長、地元の町長などから一斉に反撃の手が上がり、さらに本来は「鼻血が出た」ことを心配しなければならない環境大臣までが、「不快だ」というような事態である。

相変わらずマスコミは「流れに乗る」ということで無批判に作者のバッシングに参加しているが、「公害=原発事故による放射性物質の拡散による被害」の場合は、通常の犯罪などと違って「調査や立証は発生元、もしくは政府、自治体」にあるというのが大原則で、これまではマスコミもそれを声高に言ってきた。

たとえば1960年代に四日市で起こったゼンソクでは、住民は「新しい工場ができた少し後から、咳こむようになった」と言えばよく、「そんな証拠はどこにあるのだ! データを示せ」などと言わなくても良い。これは公害における大原則である。

数人のゼンソクがみられる時に、テレビ局がゼンソクを発症していない人を数人取材して、それを放映するという手段は犯罪に近い。今回でも「私は鼻血を出さなかった」という取材をして放送していたところもあった。

つまり、公害は「健康に住んでいる人が、何らかの障害を受けた場合、個人は障害を訴えればよく、それが多くの人に該当するのか、何が原因なのかは政府、自治体、発生元と考えられる機関」の責任である。

それなのに、今日のテレビを見ていたらある首長が「鼻血が出たというならデータを示せ」とか、「多くの人が鼻血が出ているかどうかわからないのにいい加減のことを言うな」と言い、それをテレビが放映していた。

これまでの公害では全く見られなかったことで、このようなことが起こったのは、マスコミが「権威に従う」ということ、つまりNHKの会長が言ったように「政府が右と言ったのだから、右と放送せざるを得ないじゃないか」という現代のマスコミの倫理観を示している。

福島原発以後、私は「なんということか!」と驚くほど、それまでの発言や報道と正反対のことが多い。少しの被曝も怖いと言ってきたのに「平気」になり、公害をまき散らす企業を糾弾してきたのに「教えてください」と東電に言い、環境を守るはずの環境省が法律で決まっていたがれきの処理基準(100ベクレル/キロ)を8000まで上げるなどが起こっている。

心理学者はこれを「危機に瀕して、判断力や胆力がない」場合、正反対に動いたり、極端なことをするようになると解釈している。まさに日本中の歯車が狂った状態と考えられる。

公害で国民の健康を守る原理原則は「被害を受けた個人は、被害を受けたと言えばよい」というもので、つい最近までそれは政府、マスコミ、専門家を含め「異論もなく、決まりきったもの」であった。それなのに、「鼻血がでたというなら立証しろ」とは驚くべき変わり身である。こんなことが起きたら、今後、私たちの環境は基本的に破壊されてしまう。

「被害を受けた人がおとがめを受ける」というのは江戸時代にはあったし、明治時代などには残っていたが、戦後の公害を経て全滅したと思っていたが、またその醜悪な姿を現した感じがする。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年05月21日時点のものです。

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