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苦しく切ない愛の歴史、最愛の女性との別れ

明日はいよいよ、須磨へ旅立つ日。源氏は藤壺の宮(以下、宮)と亡き桐壺院の御陵へ挨拶に行きました。「見に覚えのない罪に問われましたが、私が思い当たる罪はただ一つです。そのことだけは、たいへん恐ろしく思います。ただ皇太子さまが無事に御即位くだされば。私はどうなっても構いません」。

謀反の罪には覚えがないが、宮との不義、そして生まれた皇太子のことこそ、源氏が唯一認める罪でした。宮もそのことが痛いほどわかるので、胸が詰まってまともな返事ができません。2人にしかわからない、苦しく切ない愛の歴史。

源氏も、宮に言いたいことが山ほどあるのですが、この期に及んで色恋の話をしては嫌われるだけだし、何よりそんなことを言っている場合じゃないと自制します。

源氏の「父上の御陵に参りますが、ご伝言は」という言葉にも、宮はろくに答えられません。宮にとって源氏と皇太子は紛れもない家族。家族を守るために出家したのに、祈った甲斐もなかったと嘆きながら、源氏を見送りました。

不思議体験の始まり…源氏が一瞬だけ見た”父の幻”

源氏は5、6人の従者を連れ、馬で桐壺院の御陵にお参りしました。お供の中には、以前葵祭で源氏の警護を務めた右近将監(うこんのぞう)という若者もいました。彼は家来ではありませんが、源氏と親交があったので、干されて仕事もできなくなってしまったのです。

道中、上賀茂神社が見えたので下馬し、彼は祈りを捧げます。「葵祭で晴れの役目を務めましたのに、ご加護が得られず残念です」。源氏も「あの時は彼も前途洋々だったのに。出世の望みも消えて、どんなに辛いだろう」と思わざるを得ません。

御陵の前には森が広がり、雑草が生い茂っていました。源氏の脳裏に父上がいた頃の思い出がまざまざと蘇ります。「あれほどご遺言くださったのに、今やまったく無意味になってしまいました」。源氏は父上にあれこれと訴えますが、もちろん返事はありません。

源氏が一心に祈っていると、ふと桐壺院の姿がはっきりと見えました。幻にしてはリアルすぎるお顔に、源氏は思わずゾッとします。「父上は、私を天からご覧になったのだろうか」。ちょうど月が雲に隠れた時の幻でした。

この時源氏に見えた桐壺院の幻は、このあと再び登場します。源氏が須磨にいる間は、夢での暗示、天変地異、異形の神、霊など、スピリチュアルな展開が集中的に登場します。

今まで登場した生霊やもののけが、あくまでも現実をベースに生み出された存在であるのとは違い、須磨という場所が現実世界の中心である京とは離れた、一種の聖域のような役割を担っているからでしょう。ここで登場する桐壺院の幻は、源氏の不思議体験の始まりを暗示しています。

「みんな自分が可愛い」世知辛さを痛感

源氏は最後に皇太子に挨拶をします。かつて源氏と宮の密会を手伝った女房・王命婦は、今は皇太子に仕えていたので、彼女宛に手紙を出しました。

皇太子はすでに8歳。手紙を読んで神妙な顔をしています。王命婦が「お返事はどうなさいますか」と聞くと「しばらく会わなくても寂しいのに、遠くに行っちゃったらなおさら寂しいよ、って書いて」。なんで源氏が遠くへ行くのか、事情はよくわからないけど、子ども心にとても心細そうなのが何ともいたわしい限りです。

源氏と宮を引き合わせた張本人・王命婦も、2人とともに罪に苦しんだ1人でした。源氏が恋に狂って押しかけ、密かな逢瀬を重ねたあの時、この時。自分が手引をしなければ、誰もこんな苦しみを味合わなくても良かったかもしれない。そう思うと、自分を責めずにはいられません。

「いつまた、都の春を見ることが出来るだろう?」という源氏の和歌に、命婦は「必ず良い時が訪れます」。しかし、それ以外の内容は悲しみのせいで、要領を得ない返事でした。宮が言葉を返せなかった状態によく似ています。

7歳の頃から父帝の側にいた源氏。その影響力は絶大で、源氏に引き立てられた官僚は数知れず。それ以下の下級役人や、雑用係、トイレ掃除の下人に至るまで、多くの人が源氏に恩義を感じていました。たとえ直接声をかけられなくても、源氏の姿が見られれば嬉しく、ありがたく感じていたわけです。

世の人すべてが、源氏は悪くないと知っています。源氏がいなくなったらどんなに寂しいだろうとも思います。でも、源氏に与すれば今の政権からどんな仕返しをされるかわからない。内々に政府批判をしているものの、正面切って政府に訴えよう!!源氏を助けてやろう!という人は皆無です。やっぱり世の中って世知辛いですね。

「みんな自分が可愛いのだろう。仕方ないとは言え、私が世話した人もたくさんいるのに……」。結局みんな、自分が大事。ヒーローだの、ジェントルメンだのそうそういないのです。変わらぬ人間のエゴというものを感じます。

「命なんか惜しくない」孤独な妻の魂の叫び

出発の当日は、紫の上と一緒に過ごしました。都落ちは、夜明け前に出ていくのが決まりです。わずかなお供と、少しの荷物、地味で質素な旅装束に着替えた源氏は、紫の上に見送りをうながします。

「月も出た。もう少し出てきて、見送って。毎日、あなたに話したいことが山ほどたまるだろうね。1日2日、会わなくても話したいことがありすぎるのに」。

紫の上はためらいながら縁側まで出てきます。この時代、外から見えるような位置に高貴な女性が出てくるのは大変はしたないことなのですが、源氏とのお別れなので例外的です。

月の光に浮かび上がった紫の上の姿は、とても美しく見えました。「もし自分が死ぬようなことがあれば、この人はどうなってしまうのだろう」。不吉な考えがよぎります。そんな事を言っても彼女がますます悲しむだけなので、源氏はわざとそっけない風に「生き別れというのがあるのに、生きている間は一緒にいられると信じていたよ」

紫の上は「あなたを引き止められるなら、私の命に代えてもいい。命なんか惜しくないわ……」源氏に育てられた約10年、他に頼るべき人もない孤独な妻の、魂の叫び。源氏も見捨てていくのが辛くてたまらないのですが、心を鬼にして背を向けます。

源氏一行はまず淀川まで出て、そこから船で大阪へ川下り。さらに大阪湾から須磨に向かいました。都から出たことのない源氏には、すべてが初めての体験でした。

簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。

3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/

(画像は筆者作成)

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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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