貝塚の正体はわずか2センチほどのイボキサゴ。
貝塚は何を意味するのか?
▲全国に2400か所ほどある貝塚の内、700か所を保有する千葉県。写真は、千葉市にある加曽利貝塚の貝層断面。
ヤッホー!ヤーマンです。
祝日「山の日」を勝手に応援している山と鳥のハーフのヤーマンです。
山と溪谷社の営業部員のヤーマンです。
僕の知り合いの知り合い(遠いなぁ)に縄文女子がいると聞いて話を聞いてきたよ。
縄文女子の譽田(こんだ)さん!こんにちは!!
はじめまして〜。
縄文時代に魅せられ、土偶のこととかあれこれ書いております、こんだと申します。
さて、突然ですが、今日は皆さんと一緒に貝塚について考えてみたいと思います。
と言われても、貝塚とか、興味ないよねー(笑)。
だけれど、
「日本の出汁文化のはじまりは縄文時代にあった!?」
って言われたら、ちょっと気になりません?
ウソでもなるって言って!(笑)
そして、気になってなくても、強引に話を進めちゃうから(キリっ)。
ところで、
「貝塚」って聞いて、何を思い浮かべましたか?
「縄文時代のゴミ捨て場」
と思い浮かべる方が一般的だと思うのですが、実は今では、それだけではないんじゃないかと考えられています。
というのも、貝塚には、貝殻はもちろんのこと、縄文人の人骨や、壊れた土器や土偶、彼らが食べた動物や魚の骨や植物の残りカスとか、それはもう、いろいろあるのです。
つまり、貝塚は貝殻ばかりが捨てられた場所じゃなかった、ということ。
そして、人骨があるっていうことは、単なるゴミ捨て場じゃなかったんじゃないか、ということ。
縄文人の世界観のなかで、すべてのもの(有機、無機にかかわらず)に命が宿ると考えていたならば、その命の役目が終わった時に、「ありがとうね」の想いを込めながら、この場所に置いたのではないか(天に命を返す儀礼をしていたのではないか、という研究者もいます)とも言われています。
確かなことは分かりませんが、そうだったとしたら、なんか、優しいなと思いますよね、縄文人(笑)
ということで、「貝塚」というのは、ただのゴミ捨て場ではなく、彼らの暮らしの痕跡が分かる場所なのですよ。
って、言ったって、この積み上がった貝の量はどうよ!
正気の沙汰とは思えない量を彼らは食べていたのです。それも、2センチほどのちっちゃいちっちゃいイボキサゴを。
これ、本当に食べていたのか?
そして、美味しいのか?
実際に食べてみなくちゃ分からない!ということで、今回は特別に許可を得て、イボキサゴを獲りに行くことにしました。
縄文人たちが食していた貝を採集しに!
一体どんな貝なのだろう?
▲鬱蒼とアシが茂る小径をひたすら歩く。
今回は木更津の海へ行くことに。
当時は加曽利集落付近から丸木舟に乗って海へとやって来て、ごっそり貝を採集して帰って行ったんじゃないのかなー、なんて想像しながら、とぼとぼ歩きます。千葉とは思えない景色にビックリしました。
私たち、まるで、夏休みの小学生(笑)
▲やっとこさ干潟に到着。
と・お・い!
もう、めっちゃ遠い! 干潟を30分は歩いたでしょうか。
でもね、イボキサゴは波打ち際にいることが多いらしく、
遠いとか、日焼けするとか言っていられない状況。
そしてようやく採集作業開始です。
▲へ、へっぴり腰でイボキサゴ採集中。
▲採れた!イボキサゴ!ちっちぇー。
▲ご満悦。左の方は今回アレンジして下さった千葉市教育委員会の木口さん。私、足開いてる……。閉じろ、足。
▲15分ほどでこの量になります。よく見ると、いろんな色がある。今のシジミぐらいの大きさでした。
いよいよイボキサゴを調理。
まずは火起こしから!
▲縄文時代に想いを馳せて、火を起こすことから始めます。
私、イボキサゴを食べるためなら何でもやるよ!
見た目以上にきつい火起こしだったけれど。
▲火種をそっと炉の中へ。
火起こしって毎回は大変だから、きっと縄文人は、一年中、炉に火を絶やさなかったんじゃないかしら。煙で竪穴住居を燻して害虫駆除をしていただろうしね。
▲懸命に風を送って種火を作ります。
私、ここでも足開いてる。閉じろ、足。
▲やっと火がついた!
炉に土器(出土品ではありません)を置いて、まずは温めます。
そこに、イボキサゴを投入。
しばらくすると
「ぷしゅぷしゅ」
という音が土器から聞こえてきたので覗いてみると、イボキサゴからジワジワと水分が出てる!
これ、貝のエキスなんじゃないの?
私「なんで最初に貝を煎るのですか?」
木口さん「こうした方が美味しいスープが出来るんですよ。いろいろやってみて、この方法が一番美味しかったから」
はっは〜ん。そういうことか。貝のエキスが出やすくなるんだな。
ここからが長い! 深鉢といわれる、縄文時代の鍋を使って調理したんだけれど、水が沸騰するまでに小一時間はかかってしまいました。
なんて気長な作業なんだ。私は、ぼーっと火を見つめていましたが、当時の母ちゃんたちは、土器でスープを作りながら、その傍らで木の実を潰して擦って、団子にしたりしていたんでしょうね〜。
ちょっと土器の中を見てもらえますか?
白く泡立っているのは、貝から出てきたアク。
完成まで、あと一歩!
アクをすくって(当時はしてないと思う、たぶん)、ここで秘密調味料!
塩を少々。
縄文時代の後期になると、太平洋側の一部の集落では、塩を作り出していて、塩作り専用の土器が見つかったりもしています。
ってことは、それまでは貝に含まれる塩分が本当に貴重だったはずだよね。
それに、貝ってタウリンや亜鉛、鉄分、ビタミン類も豊富だし、ミネラルも豊富。旨味の成分であるグルタミン酸もあるから、このスープは美味しいに決まってる!
旨味がスープに溶け出すってことは、ほら、これ!出汁じゃん!
このスープをベースに、シカ肉を入れたり、旬の山菜を入れたりして、きっと縄文人は滋味深い一杯を食べていたんじゃないかしら。
エキスが出ちゃった身は小さすぎて取り出しにくいし、飽きるほど食べてもカロリー少ないから腹の足しにはならなかったかもしれない。でも、命をちゃんと頂く彼らだろうから、チマチマ貝殻から身をとって食べてたんだろうね。私には到底出来ないけれど。聞けば、身の味も悪くないそう。貴重なタンパク質になったんだろうなぁ。
▲澄んだスープなのに、めっちゃ深い味わい。
いざ、実食!
うまーーーーーーい!
まあ、塩は入れましたが(汗)それ以上に、イボキサゴをから煎りしてるのが効いてる気がします。とっても濃厚な出汁で、アサリなんかより深い味わいでした。この出汁でカップラーメンを食べると、堪らん旨さになるそうです。なんと!
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、大きな流れで見れば、その源流は縄文時代まで遡れるのかもしれませんね。
そんな食通の縄文人たちが作り出した、奇想天外な土偶や土器、生活用具からアクセサリーまでを紹介した本はこちら。
めくるめく縄文の土偶・土器・装飾品・道具……。縄文遺物85点以上の素敵で楽しい出会いがある1冊です。
『ときめく縄文図鑑』(山と溪谷社)
著者:譽田亜紀子
定価:(本体1,600円+税)
ISBN 978-4-635-20236-7―― 見たことのないものを見に行こう 『ガジェット通信』
(執筆者: yamakeipr) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか