「全力で無駄なことをやりきる」ということに、久しぶりに出会えた感あるこの書籍のタイトルは『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』。
なんとなく実用書っぽいタイトルこそ付いているものの、おそらく全く役に立ちません。
この本にはあらゆる作家、文化人の文体や口調をトレース、エミュレートした“カップ焼きそばの作り方”が書かれています。例をあげてみましょう。
もしも村上春樹がカップ焼きそばの容器にある「作り方」を書いたら。
きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。
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勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて三分待てばいい。その間、きみが何をしようが自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるとにかかわらず。
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読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分間待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。*
ただ、一つだけ確実に言えることがある。*
完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
古くは『2ちゃんねる』や『はてなダイアリー』でも“爆発コピペ”として作家風の文体いじりが多数登場しました。「背後で爆発音がした」という文章を作家ごとにアレンジするのですが、その筆頭として登場するのが村上春樹氏であり村上龍氏でした。現在ではその“戯れ”が「カップ焼きそばの作り方」としてtwitter上で続いています。
この本はそうした“戯れ”を1冊にまとめたものなのです。もうひと方、紹介してみましょう。
もしも太宰 治がカップ焼きそばの容器にある「作り方」を書いたら。
第一の手記
申し上げます。申し上げます。私はお腹が空いてしまいました。このままでは得意のお道化芝居もままなりません。空腹に耐えかね、私は台所の戸棚を出鱈目に開けました。
これは、ヘノチモン。
これは、パビナール。
これは、カルチモン。
うわっはっは、と私は可笑しくなりました。これは真っ当な人間の生活ではありません。
第二の手記
私は賭けに出て、最後の戸棚を開きました。カップ焼きそばがありました。
カップ焼きそばは、まずお湯を入れなければいけません。私に立ちはだかったこの敢然たる事実は、私を湯の沸騰へと向かわせました。
点線まで蓋を開け、かやくを振りかけて、お湯をかける。そうれ、俺ならできる。自分で自分を鼓舞しながら、私はお湯を注ぎ込みました。
私に湯切りをする資格があるのでしょうか。きっと、あるのです。あるはずなのです。
「許してくれ」
そう呟きながら、私はお湯を捨てました。第三の手記
カップ焼きそば。良い湯切りをしたあとで一杯のカップ焼きそばを啜る。
麺から立ち上がる湯気が顔に当たって
あったかいのさ。
どうにか、なる。
こんな感じです。ほかにも松本清張、沢木耕太郎、百田尚樹、糸井重里などなど、ひたすらこんな感じで続きます。その数、そろいもそろってなんと100人分。内訳はこちらです。
作家系:62人
評論家系:6人
ミュージシャン系:2人
文体が特徴的なもの:18種
その他(口調・画像パロディ):10種
ちなみにこの「画像パロディ」を手掛けているのは“イタコマンガ家”としても名高い(?)田中圭一先生。コンセプトが一貫しすぎています。
個人的に「本当ひどくて好き」だと思ったのは「池上彰のそうだったのか! 学べるカップ焼きそば」と「イケダハヤト まだカップ焼きそばで消耗しているの」、「[対談]村上龍 × 坂本龍一」「ヒカキン カップ焼きそばを食べたらすごかったw」あたり。怒られるんじゃないかって思います(笑)。
100パターンもあると、おそらく知っている文体にきっと出会うでしょう。出会って爆笑するか失笑するかはわかりませんが、あなたの日常に思わぬ潤いを与えてくれるような気がします。
『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(宝島社)
神田桂一・菊池 良/著
定価:980円(税込)
発売:2017/6/7