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この本には、異常な地方が描かれているのではない。
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この本には、異常な地方が描かれているのではない。

2012-11-10 14:00
    この本には、異常な地方が描かれているのではない。

    今回は上山和樹さんのブログ『Freezing Point』からご寄稿いただきました。

    ■この本には、異常な地方が描かれているのではない。

    むしろ、私たちの日常が曝露されている。

    あのとき、大川小学校で何が起きたのか(青志社)

    池上正樹,加藤順子(著)

    http://www.amazon.co.jp/dp/4905042577/?tag=hatena_st1-22&ascsubtag=d-12vc

    目の前の山に逃げれば、亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、地震発生から50分間も校庭に待機させた。

    「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。

    その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。

    ●制度の前提がおかしい

    「学校管理下で死亡事故が起きた場合の対応として、報告しなければならないという法律の根拠がないのです」

    (文部科学省の「スポーツ・青少年局〈学校教育健康課〉*1 」課長補佐、本書 p.146 より)

    実際にあったことは徹底的に検証すべきだし、それに応じた責任追及が必要だと思う。

    と同時に、考えなければいけないのは、

    「人は失敗するし、失敗しても、責任を取ろうとはしない」ということ。制度は、「理想的人間像」を前提にはできない。(注1)

    むかつくエピソードを読みながら、ずっとそれを考えていた。

    *1 : 文部科学省HP スポーツ・青少年局<学校健康教育課>
    http://www.mext.go.jp/b_menu/koueki/sports/04.htm

    注1:これほど極端な事例がろくに検証されないなら、日常的な問題提起など、揉み消されるに決まっている。

    ●登場人物は、「極端な人たち」ではない

    加藤順子(かとう・よりこ)氏*2 の記すエピローグから(強調は引用者):

    何とかしたく思っていても、組織の理屈がなんとなく優先されてしまうために、自分のできる狭い範囲だけで片づけようとする。役割を根底から考え直し、変えていかなければならないときにすら、いままでの状態を維持しようとしてしまう。そんな普段の感覚を、これだけの規模の事故の対応においても変えられなかったことが、なんとも気持ちが悪い。

    でもそれは、どんな人の中にもある感覚かもしれない。

    私自身は、市教委の対応を批判的に語るたびに、ニーチェの「汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝を覗き返している」(注2) という言葉が気になって仕方がなかった。 【略】

    大川小の問題は決して人ごとではなく、自分の内面や、自分が生きる世の中の構造が置き去りにしてきた問題の部分を、同時に覗き込むような作業でもある気がする。 (本書 p.314)

    この加藤氏のコメントには、内省的な問題意識がある。

    本書に登場する「おっさんたち」は、そのへんに居るようなタイプばかりだ。

    これは、

    《責任を果たすとは、ルーチンをこなすことだ》 と考える大人たちが、
    レールを踏み外すことを極端に怖がり、子どもを何十人も死なせてしまった上に、
    「自分たちのやり方に問題があった」という事実すら、認めようとしない

    ―― そういう事件ではないのだろうか。

    注2: 《怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ》*3

    *2 : 加藤順子(かとう・よりこ)氏 twitter
    https://twitter.com/katoyori
    *3 : フリードリヒ・ニーチェ wikiquote
    http://ja.wikiquote.org/wiki/フリードリヒ・ニーチェ#.E3.80.8E.E5.96.84.E6.82.AA.E3.81.AE.E5.BD.BC.E5.B2.B8.E3.80.8F

    ●日常と非日常

    1995年の阪神・淡路大震災では、次のような証言があちこちで聞かれた。

    日ごろ何もしないで、ひきこもっていたような人たちが、活き活きと炊き出しや人助けを行い、
    逆に勤め人だったお父さんたちは、避難所でぐったりしていた。

    《日常》 を生きていた常識人がつぶれてしまい、「非常識な」人たちが、当たり前に動いていた。

    本書では逆に、

    非日常の状況下で、日常的な配慮が人を殺した

    ように見える。(注3)

    注3: 親御さんたちが言うとおり、「先生がいないほうが、助かった」。

    ●あなたの日常は?

    難しい思想の研究者は、どうしてこういう 《ふつうの問題》 を、扱ってくださらないのだろう。

    その知的風土じたいが、《問題》 の一部じゃないか。

    私たちが「しょうがない」と言って過ごす日常と、海の向こうのバカげた行為は、そんなに違うか?

    私たちは、この本に描かれたような環境に、その加担者として生きている。

    問われているのは、《順応すること》、それ自体だ。

    この本は、就労や人のつながりをめぐる支援事業の、一環といえる。(注4)

    注4: 本書を執筆されたお二人とは、昨年11月、ひきこもり関連のイベントでご一緒している。*4

    *4 : 「ライブトーク 《ふたつの「あの日」が揺らしたもの - 大震災が問うひきこもり問題 - at神戸》」2011年11月10日 『Freezing Point』
    http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20111110

    ●元になった連載:「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”」*5 (ダイヤモンドONLINE)

    書籍には、詳細な証言記録、それに基づく当日の再現、情報・考察のディテール等が追加されている。

    大まかなまとめ記事としては、第15回(2012年10月30日)の

    「明らかになった真実、隠され続ける真相とは」*6

    何事もない日々であればさほど問題ではありませんが、今回のような事態では大問題です。あの日、「責任とれるのか」といういつもの判断基準が、(教諭たちの間で)どうしても頭から離れなかったのです。あの日の判断の遅れには、2年間で蔓延した極端な「事なかれ主義」が大きく影響しています。 【略】

    誰が主導権を握るか、というパワーバランスも無関係ではなかったと思われます。子どもの「山へ逃げよう」という声を取り上げなかったことでも分かります。 【2012年10月28日、7回目の保護者説明会で遺族側】

    文科省の試案では、<事故当日とそれ以前の状況・対応について> は検証の範囲とするが、事後対応については、検証に含めないとしている。

    *5 :「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実” 記事一覧」『ダイヤモンドONLINE』
    http://diamond.jp/category/s-okawasyo

    *6 :「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実” 第15回」2012年10月30日『ダイヤモンドONLINE』
    http://diamond.jp/articles/-/27043

    ●【参照】 amazon以外で、ネット購入できるところ

    ・honto ネットストア  http://honto.jp/netstore/pd-book_25372904.html
    ・MARUZEN & ジュンク堂  http://www.junkudo.co.jp/detail.jsp?ISBN=9784905042570
    ・紀伊国屋書店 BookWeb  http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4905042577.html
    ・楽天  http://item.rakuten.co.jp/neowing-r/neobk-1372092/
    ・7net Shopping  http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106224063/subno/1

    ●【11月6日17時頃の追記】 「事なかれ主義」で判断遅れ=大川小遺族が検証 *7 (時事ドットコム)

    資料は、地震発生から津波到達までの出来事を時系列で示し、同小だけが避難の遅れで甚大な被害が出た原因を考察した。学校側は津波の危険を把握していたのに「何かあったら責任問題になる」との考えに縛られ、防災マニュアルにない裏山への避難に踏み切れなかったと分析。「判断の遅れには、極端な『事なかれ主義』が影響した」と指弾した。 (2012/10/28-20:24)

    今回取り上げた本に出てくるのですが、裏山は子どもたちにとって、シイタケの栽培もしている慣れた場所で、むしろ教員が山に向かわなかったことに、異様なバイアスを感じるのです。

    そしてにもかかわらず、私も同じことをやってしまうかもしれません。記事タイトルにも示したとおり、今回の判断ミスは、「誰にでも起き得るのではないか」という怖さがあります。(どんなに周到に準備しても、盲点は残ります。それをイザというとき、どう処理するか。これはどんなに頑張っても、残る問いです。)

    コメント欄でいただいた、「適切な責任の取り方がない」*8 という声がリアルです。 責任の取りようがないなら、改善もない。

    責任をめぐる環境が、社会的に設計されていないかも知れない。だからこそ、いちど失敗すれば、取り返しがつかない。だからこそ、すべて隠蔽されてゆく―― そういう要因が、ないかどうか。

    *7 : 「「事なかれ主義」で判断遅れ=大川小遺族が検証-宮城」2012年10月28日『時事ドットコム』
    http://www.jiji.com/jc/zc?k=201210/2012102800199

    *8 :「はてなブックマーク」2012年11月4日 (2) 『CITRON'S BOOKMARK』
    http://b.hatena.ne.jp/citron_908/20121104#bookmark-118201214

    執筆: この記事は上山和樹さんのブログ『Freezing Point』からご寄稿いただきました。

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