幻の青函連絡未成線をゆく
日清戦争以降国防の重要拠点として重視されてきた津軽海峡。
その最狭部に至る鉄道路線が戦時中に建設されていた。
そして幻に終わった戦後の青函トンネル計画。その痕跡を辿ると、国策の暗部が見え隠れする。
文・写真=松村真人/写真協力=深町ただし/地図製作=モロオカタカブミ
text & photo by Matsumura Makoto, cooperate photo by Fukamachi Tadashi
未成線とは何か?
鉄道路線は計画からいくつかの段階を経て開通に至る。計画だけで終わった路線も多い中、用地買収や工事を行ったまま建設中止になった路線がある。その痕跡は地形や道路に残り、鉄道構造物が残っている場合もある。有名な例では、紀伊半島を貫いて奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ計画であった「五新線」などがある。
防衛拠点という観点からも 運用が期待されたが……
下北半島には現在のJR大湊線に加えて、下北から大畑をつなぐ国鉄大畑線(国鉄再建により下北交通に引き継がれたのち、2001(平成 13 )年に廃線)が走っていた。そしてさらに下北半島の先端、本州最北端の町、大間へと向かって約 30 キロメートル、建設途中で放...