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DARKtourism JAPAN

ダークツーリズム厳選記事

  • ドイツ・グーベンに「人体標本」の制作現場を見に行く~前編 ドイツ・グーベンに「人体標本」の制作現場を見に行く~前編

    すべてはハーゲンス博士からはじまった。 日本では「人体の不思議展」として広く親しまれたプラスティネーション人体標本。 ある時期から日本に入り込んだ中国産のプラストミック標本が囚人の遺体を使っている疑いがあることから、 人権問題に発展し、いまでは日本国内での人体標本展示は見られなくなってしまった。 しかし、ドイツのグーベンにあるハーゲンス博士の研究所は、人体標本の制作現場まで公開し 世界中から献体希望者たちを集めているのだ。 文・写真・構成=ケロッピー前田 text & photo & composit by Keroppy Maeda プラスティネーションは、人体をプラスティック合成樹脂で加工する標本技術として、日本でもよく知られている。今回、その開発者であり、啓蒙者でもあるグンター・フォン・ハーゲンス博士のプラスティネーション研究所「プラスティナリウム」を、ポーランド近くのドイツの街グーベンに訪ねた。   ここは、もともとの東ドイツ領内にあるため、英語が通じない場合も多い。実際、とても辺鄙な街で、道には人通りはまったくない。車もほとんど走っていないという感じである。グーベン駅か...

    2017-04-05

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  • 独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く その2 独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く その2

    1942年10月 北部の工業地帯が戦場に 9月27日、ドイツ軍はスターリングラード北部の工場地帯や、ソ連軍の司令室が置かれていたママエフの丘へ総攻撃を開始します。 北部へのアクセスはトラムが便利な工業地帯 ヴォルゴグラードの街は、レーニン大通りと並行してトラムが走っています。市街地では地下の中を走っていて、北部の工業地帯では地上を走っています。ママエフの丘など、北部に行く場合はトラムの利用が便利です。 乗り方は簡単です。切符は停留場ではなくトラムの中で購入します。トラムの中には、切符売りの青い制服を着た女性の車掌さんが必ず乗務しています。乗客が乗るたびに、車掌さんが1人1人声をかけてくれるので、そこで買えばいいシステムです。 市内を走るトラム 市内を走るバス 料金は一律20ルーブル(約40円)。ちなみに市内を走るバスは一律10ルーブル(約20円)。 バス、トラムの切符 旧共産主義の国なので、公共交通機関の料金が安いのが、旅行者にはありがだいです。 トラムや地下鉄は、自動改札などがありません。他のヨーロッパの都市の駅の券売機で切符を買い、車掌さんの検札があった場合のみ、切符を提示する...

    2017-03-14

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  • 戦後の闇市跡で飲んで食う 戦後の闇市跡で飲んで食う

    闇市が後世に与えた影響は数多あるが、食文化への貢献は計り知れないものがある。 「やきとん」や「もつ煮込み」、餃子やお好み焼きなどの「粉もの料理」、 さらに「酎ハイ」も闇市から生まれたものだ。 ここでは東京の盛り場で今も闇市時代の面影を残すスポットを紹介しよう。 文・写真=藤木TDC text & photo by Fujiki TDC ■新宿・思い出横丁 戦後からずっと同じ場所で当時の面影を残したまま存続している点で、JR新宿駅西口の「思い出横丁」はもっともも有名な闇市跡だ。そこを愛して通い詰めた客たちは、尊崇の念を込めて「ションベン横丁」と呼ぶ。闇市成立当初は、線路側の通りで高架の盛り土に向って豪快にジャーッと放つ人間が多かった。だから「ションベン横丁」。 ションベン横丁に行くには、下水臭こもる高架下トンネルをくぐるのが良い。トンネルを出た瞬間「ああ、ここが闇市か」と納得できる景色が広がり、トンネル出口の目の前、地下に降りるバー「みのる」はまさに昭和のトリスバーをそのまま残すたたずまいだ。 かつて小便の小川が流れた線路通り沿いにある「第二宝来家」は中通りの「第一宝来家」とともに、横丁の歴史を見守ってきた老舗で...

    2016-11-18

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  • 夏草や兵どもが夢の跡 アテネオリンピックの荒野 夏草や兵どもが夢の跡 アテネオリンピックの荒野

    東京に 1964 (昭和 39 )年以来 64 年ぶり 2 回目のオリンピックがやって来る。 その 2020 (平成 32 )年開催に向けて、競技場建設等の本格的な準備が進んでいる。 国民の期待を背負って作られる五輪競技場だが、過去の開催地では大会終了後、もう使われずに放置されたままの競技場もある。 2004 (平成 16 )年夏、世界を湧かした「アテネオリンピック」だが、その競技会場がいま〝廃墟化している〟という。 来たる東京オリンピックの事後を気にしつつ、アテネの〝いま〟を観に行ってみた。 文・写真=カイ・サワベ text & photo by Kai Sawabe   ■墓標のようにそびえる高飛び込み台  アテネ市郊外北東部の町、マロウシ。オリンピック〝元〟メイン会場の西端に屋外水泳会場がある。観衆のいないふたつの観戦スタンドに挟まれた〝谷底〟に、青く水を満たした競泳用 50 メートルプールから「ピシャ、ピシャ、ピシャ」と練習中の選手が水面を叩く音が響く。 この 50 メートルプールに隣接して高飛び込み用のプールがあるが、こちらは底に少量の水が溜まっているだけだ。この高飛び込み用プールは、オリ...

    2016-10-28

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  • 鯨漁解禁の日 鯨漁解禁の日

    和歌山県太地町を反捕鯨の活動前線基地として抗議行動を続ける 反捕鯨団体の『シー・シェパード』と『ドルフィン・プロジェクト』。 彼らは鯨漁解禁日に大挙して押し寄せ、過激な抗議行動を起こすことで知られているが、 解禁日には毎年、何かが起きてしまうのだろうか? 2015 年は反捕鯨活動団体のほか、報道関係者や警察、海上保安庁まで町に大集結 !! 静かな鯨漁の町で起きたニュースな数日を密着ルポした!   ■彼らは鯨漁解禁日にやはり来るのか 9 月 1 日、和歌山県太地町では、イルカやゴンドウクジラなど小型鯨類の追い込み漁が解禁となる。その日に合わせて、反捕鯨を訴える外国人が小さな港町に集まってくる。 なかでもよく知られているのが、米サンフランシスコ連邦高裁に「海賊」と認定された反捕鯨団体シー・シェパード(以下、 SS )だ。彼らはこれまで世界各地で捕鯨を行う船舶に対し、危険な妨害活動を行ってきた。南氷洋で活動する日本の調査捕鯨船に、ロケット砲から信号弾を発射するなどをして調査妨害する彼らのニュース映像を覚えている方も多いだろう。 日本に対する彼らの活動は、 2003 ...

    2016-10-19

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  • 鎮魂 東京大空襲 鎮魂 東京大空襲

      【東京都台東区─墨田区間 言問橋】 その夜、東京下町の各所で悲劇は起きた。言問橋での惨禍もそのひとつ。 警視庁の調べでは死者 8 万 3793 名、負傷者 4 万 918 名。 その数字以外に行方不明者が数万名といわれる。   ■渡るも地獄、残るも地獄の悲惨 隅田川に架かる言問橋は、大正 12 年の関東大震災による復興事業の一環として建設され、昭和 3 年 2 月に完成した。震災では多くの橋が損傷を受けたため、言問橋は大地震に耐えうる頑丈な橋として設計された。 橋長 240 メートル、幅員 22 メートル。 3 月 10 日の大空襲では、この橋も惨劇の場所となった。 午前 0 時 8 分、数百機の B29 が東京の空に現れた。深川、本所、浅草、日本橋に初弾が投下され、闇を赤々と照らす紅蓮の炎を目印に、次々と焼夷弾が落とされた。絨毯爆撃は午前 2 時半まで続いた。 浅草と本所を繋ぐ言問橋には、激しい火焔から逃れようとする人々が集まってきた。言語を絶するほどの大量の焼夷弾が雨のように際限なく降り注いだのである。いたるところで火災旋風が発生し、次々と人を飲み込んで火勢を増していく。 焼け出...

    2016-10-14

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  • 深川通り魔殺人事件現場のいまを歩く 深川通り魔殺人事件現場のいまを歩く

    スカイツリーに下町グルメ。現在、多くの観光客が押し寄せる東京都江東区森下。 しかし1981(昭和56)6月17日、この地で覚せい剤常用者による衝撃的な通り魔事件が起きた。 新大橋通の商店街で幼児を含む4人が殺害、2人が柳刃包丁で負傷させられたのである。 時は流れて店や町並みも変わり、いまでは事件の記憶を知る人も少なくなったが、 この地には、そんな悲しい記憶が宿っているのだ。 森下を訪れたら禍々しい事件の被害者の鎮魂のために、そっと手を合わせてみてはどうだろう。 取材・文◉藤木TDC/写真◉石渡史暁 text &by Fujiki TDC, photo by Ishiwata Fumiaki グルメの町に残る暗く悲しい惨劇の記憶 都営地下鉄新宿線を森下駅で下車、地下ホームから地上へ上ると、そこは清澄通りと新大橋通りが交差する広い交差点だ。四つの角に、ここが江戸時代からの由緒ある下町であることを示す火消し纏の巨大なモニュメント❶。八代将軍吉宗の時代に結成された町火消「いろは四十八組」の深川中組の纏である。 交差点の北東側には白いのれんの大衆酒場。そこは東京三大煮込みの一軒に数えられるもつ料理の『山利喜』❷で、連日、夕方5時の開店前から長い行列が...

    2016-09-20

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  • 独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く 独ソ戦の転換期となった街、スターリングラードを歩く

    どこにある?スターリングラード スターリングラードは、現代では「ヴォルゴグラード」という地名に改名されています。 ヴォルゴグラードは、ロシアの首都、モスクワから飛行機を使って南へ約2時間ほどの場所にあります。ヴォルゴグラードはカスピ海へ流れ出るヴォルガ川の沿岸にある街です。 日本から行く最短ルートは、アエロフロートロシア航空でモスクワまで行き、ヴォルゴグラード行きの国内線に乗り換えます。毎日1便、成田空港からお昼前後に出発して、現地時間の夕方前にはモスクワに着きます。モスクワからヴォルゴグラードへは、毎日4-6便のフライトがありますので、日本を出たその日に着くことも可能です。 スターリングラードの歴史 ヴォルゴグラードの街が歴史上に登場するのは、16世紀のことです。当時の帝政ロシアが1589年に街を建設して、ツァーリツィンと呼ばれました。ヴォルガ川の婉曲部に位置するために、交通の要所として栄え、周辺民族の間で争いの対象となってきました。 ※スターリンの彫刻 ツァーリツィンは第1次世界大戦後のロシア共産主義革命で、帝政支持派(白軍)と革命派(赤軍)の争いの舞台となります。その時の赤軍の司令官...

    2016-09-15

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  • 2泊3日で青森県の不思議を旅する 2泊3日で青森県の不思議を旅する

    かつて「中央」から蝦夷と呼ばれた「辺境」の地、青森県。こうした「中央」と「辺境」の関係性は、現在にも残されている。たとえば 2015 年にセブンイレブンが初出店したニュースも記憶に新しいが、逆に言えば「辺境」だからこその独自文化がグローバリズムの波に負けずに残された土地でもある。しかし表面を撫でるように旅しただけでは、その特殊性はわからない。地層の下に隠された歴史を掘ったり、目立たないが重要な「この土地の現在」へ光を当てるには、ちょっと変わったスポット巡りが必要だ。そこで筆者が提案するのは、青森のミステリーに迫る 2 泊 3 日の弾丸ツアー。 3 日で青森県を味わえる旅として、ぜひとも参考にしてもらいたい。 文・写真=吉田悠軌 text & photo by Yoshida yuki   ■ 1 日目  午前の便にて青森空港に到着し、そのままレンタカーを調達する。ひと口に青森県といっても西の津軽、東の南部とで文化圏はまったく異なる。まず、目指すのは津軽方面だ。   ●川倉賽の河原地蔵尊  最初に訪れたのは、川倉賽の河原地蔵尊。水子供養やイタコの口寄せで知られる津軽の民間信仰の拠点だ。イタ...

    2016-09-09

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  • ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦跡 ヨーロッパで訪れたい世界大戦の戦跡

    ヨーロッパは国同士が陸路でつながり、通貨も統一されていて、国境を越えて旅をするのはとても容易です。しかしヨーロッパには、国家間で戦争を繰り返してきたという歴史もあります。 20 世紀に世界の国々を巻き込んだ二度の世界大戦もヨーロッパが舞台でした。その歴史を忘れないためのモニュメントが、ヨーロッパ各地にはたくさんあります。 たとえば、観光地となっているポーランドの「アウシュビッツ強制収容所跡」、オランダの「アンネフランクの家」などには世界中から観光客が訪れます。今回は、観光地の真ん中にあったり、気軽に日帰りで往復が可能な、あまり知られていない欧州の世界大戦の戦争遺跡を紹介してみましょう。ヨーロッパに行かれたときは、戦争の歴史をほんの少し学んでみてはいかがでしょうか。 文・写真=HIRO text & photo by HIRO   ■チャーチル戦時内閣執務室(イギリス/ロンドン)  第 2 次世界大戦中、ヨーロッパの大陸の国々がナチスドイツに屈服するなか、イギリスはチャーチル首相の強いリーダーシップによって、痛手を負いながらの孤軍奮闘の末に勝利しました。勢いの増すドイツ軍の空襲を避けるため...

    2016-08-09

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  • 人口2000人弱の過疎村で起きた『卑弥呼の里』リゾート開発狂想曲 人口2000人弱の過疎村で起きた『卑弥呼の里』リゾート開発狂想曲

    阿蘇の雄大な大パノラマが広がる人口 2000 人足らずの村、熊本県産山村。過疎に悩むこの村は 1978 (昭和 53 )年、リゾート開発に問題解決の活路を見出そうとした。ところが、開発を託していた東京の不動産デベロッパーが不渡りを出して倒産。 247 億円を投入し、村に大型保養基地を作るという構想は夢物語に終わった。それからは村議会、建築会社、国税局、出資者たちが上を下への大騒動。終わってみれば、そこにススキの原野と灰色のガイコツ物件だけが残った……。 文=中田薫/写真=中筋純 text by Nakata Kaoru & photo by Nakasuji Jun   過疎村対策のお手本になろうとして 阿蘇外輪山の雄大な光景が 360 度の視界で広がる、人口 2000 人足らずの村、熊本県産山村。こののどかな村が、リゾート開発の荒波に巻き込まれたのは 1978 (昭和 53 )年のことだった。当時の村長が東京の不動産開発会社ドッパーとユニークな過疎対策事業を立案。村おこし事業の目玉として、総合リゾートタウン『卑弥呼の里』を作ると発表したのだ。 卑弥呼の里は、産山村の村有地を含め 105 ヘクタールの用地に 247 億円の資金を投入し、分譲...

    2016-07-28

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  • 河童を探す 妖怪の実在と災害史への旅 河童を探す 妖怪の実在と災害史への旅

    古来よりフォークロアで伝えられてきた日本各地の妖怪話。 それは単なるオカルト話ではなく、教訓として伝えられる天災の記憶そのものだった。 妖怪奇譚残るところに災害あり。民話が伝える現代への教訓。 日本で河童の痕跡を探す旅をすれば、それは水害の歴史を辿る旅ともなるのだ。   文・写真=畑中章宏 text & photo by Hatanaka Akihiro   ■遠野の河童淵 妖怪の「実在」を前提にして日本列島を歩くと、それまで見てきた風景がまったく違うものに見えてくる。妖怪たちの多くが、災害によって生み出されてきた「うしろめたさ」の影だと理解するとき、風景の変貌はなおさらのことになる。「おばけ」や「幽霊」の怖ろしさは、だれか特定の個人を念頭に浮かべることができるものだが、これに対して「妖怪」は、集合霊の抽象化や象徴化によって、生き永らえてきたのである。 河童も天狗も雪女もザシキワラシも、この列島を襲ってきた天災の記憶そのものだった。 なかでも河童は、河川や湖沼の氾濫、異常気象による飢饉の死者が反映されている。 「川には川童多く住めり」と書くのは、柳田國...

    2016-07-21

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  • アウシュビッツ〝凡庸なる悪〟の末路を見る アウシュビッツ〝凡庸なる悪〟の末路を見る

    人類史上最大の犯罪と言われている第2次大戦時のナチスによるホロコースト。 その舞台となったアウシュビッツ収容所は70年経った今でも当時の記憶を赤裸々に物語る。 戦争の狂気が蔓延する中での「凡庸なる悪」の実体がそこに……。 写真・文=中筋純 text & photo by Nakasuji Jun ■「凡庸なる悪」の記憶 「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」  数百万人のユダヤ人、ソ連軍捕虜、ロマを強制収容所に送る指揮をしたナチスSS/アドルフ・アイヒマンが、戦後の1961(昭和36)年にイスラエルの法廷で放った言葉だ。  第2次世界大戦時、鉄道要所であったポーランド南部、チェコとの国境付近に位置するオシフェンチム市に、アウシュビッツ、ビルケナウ、モノビッツ(現存せず)の3つの強制収容所がナチス・ドイツにより建設された。この最大級の強制収容所は通称「アウシュビッツ強制収容所」と呼ばれ、1940(昭和15)年から1945(昭和20)年のわずか4年の間に100万人に及ぶ「統計上の死」があったと言われている。 2013(平成25)年、映画『ハンナ・アーレント』で話題内なった亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは、戦後アルゼンチンに...

    2016-07-15

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  • 亡命チベット人が築いた山間の町ダライ・ラマ14世と生きる人々を訪ねて 亡命チベット人が築いた山間の町ダライ・ラマ14世と生きる人々を訪ねて

    1949年、中国共産党が中華人民共和国の建国を宣言。 まもなくして、中国人民解放軍が東チベットへ侵攻した。 ダライ・ラマを護るべくラサの市民たちは蜂起したが、 民衆の太陽はこれ以上の流血は無用とチベット脱出を決意。 2500キロの旅路の果てに辿り着いた地が、この町だった。 文・写真=小川真利枝 text & photo by Ogawa Marie その名はリトル・ラサ インドの首都デリーからバスに揺られること 10 時間。いろは坂のような曲がりくねった道をぬけると、雪をかぶった山々が目の前に飛び込んできた。ひんやりとした空気が肌をなでる。気づけば、デリーの喧騒も灼けるような暑さも忘れていた。 標高1800メートルの山間の町ダラムサラに到着─。 ここは、インドといえどもチベット人が1万人以上も住み、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ 14 世が暮らす場所。ある人は「リトル・ラサ(=チベットの中心の町)」と呼ぶ。少し町を歩けば、チベット仏教に欠かせない仏具、マニ車をもった人々がコルラ(巡礼)をし、チベット様式のお寺では袈裟をまとったお坊さんが経を唱え、問答を...

    2016-06-09

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  • チェチェン戦争で国を追われた避難民たちの村─グルジア、パンキシ渓谷の観光開発

    ロシアの度重なる武力侵攻により、チェチェンは全土がロシアにより占領、制圧された。 避難民はカフカス山脈を越えてグルジアのパンキシ渓谷に逃れ、やがて村を形成。 荒廃の時代もあったが、現在は伝統的な生活を取り戻し、復興の道を力強く歩いている。 文=常岡浩介 text by Tsuneoka Kosuke, photo by AFP=Jiji Press チェチェン人たちのパンキシ渓谷 チェチェン戦争をご存じだろうか? 1994年から 96 年までと、 99 年から現在に至るまで二度にわたって続いているロシアと少数民族チェチェン人の戦争だ。現在も完全には収まっていない。 これまでにチェチェンの全民族人口の4人に1人にあたる 20 〜 25 万人が殺害されたとされる。チェチェンの国土は破壊され尽くし、伝統的な建造物も、歴史を伝える風物も、多くが灰燼に帰してしまった。 この戦争の結果、チェチェンはロシアに全土占領され、ロシア政府傀儡の首長が独裁者として君臨している。現在、ここで観光旅行は可能だが、観光客は独立を求めた人々をテロリストと呼び、プーチン大統領を礼賛するロシア政府のプロパガンダだけを見せられること...

    2016-06-09

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  • チェルノブイリの隠された高線量スポットを行く チェルノブイリの隠された高線量スポットを行く

    いまだに透明、無臭の放射線という銃弾が飛び交うチェルノブイリ。 現在は原発事故を学ぶツアーも盛んだが、上級者はさらなる旅の深みに。そこで見た衝撃の光景とは? 文・写真=中筋純 text & photo by Nakasuji Jun   「ついてからのお楽しみ」というその場所は…… 悠々と流れるドニエプル川に面したウクライナの首都キエフ。ソフィア大聖堂をはじめ、ビザンティン様式の教会群の楼に載った金色の〝タマネギ〟がキラキラと輝く坂道の古都。 ウクライナの栄光かつ悲哀の歴史を語るこの町が、1986(昭和 61 )年に世界を震撼させたチェルノブイリ原発のわずか120キロ南にあることを知る人は少ない。 合流したドライバーとともに、今にも黒煙を噴き出しそうな旧ソ連製の四輪駆動車LADAは北を目指す。 現在でも立ち入り禁止となっている発電所 30 キロ圏の検問所があるジチャーチクまでの3時間は、賑やかなキエフからは想像できないウクライナ平原の牧歌的なポプラ並木の田舎道を疾走する。 検問所では必要書類を見せ、熊のような巨大な体躯の無愛想な警官に舐められるようにチェックされた後、木製...

    2016-06-09

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  • 幻の青函連絡未成線をゆく 幻の青函連絡未成線をゆく

    日清戦争以降国防の重要拠点として重視されてきた津軽海峡。 その最狭部に至る鉄道路線が戦時中に建設されていた。 そして幻に終わった戦後の青函トンネル計画。その痕跡を辿ると、国策の暗部が見え隠れする。 文・写真=松村真人/写真協力=深町ただし/地図製作=モロオカタカブミ text & photo by Matsumura Makoto, cooperate photo by Fukamachi Tadashi 未成線とは何か? 鉄道路線は計画からいくつかの段階を経て開通に至る。計画だけで終わった路線も多い中、用地買収や工事を行ったまま建設中止になった路線がある。その痕跡は地形や道路に残り、鉄道構造物が残っている場合もある。有名な例では、紀伊半島を貫いて奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶ計画であった「五新線」などがある。 防衛拠点という観点からも 運用が期待されたが…… 下北半島には現在のJR大湊線に加えて、下北から大畑をつなぐ国鉄大畑線(国鉄再建により下北交通に引き継がれたのち、2001(平成 13 )年に廃線)が走っていた。そしてさらに下北半島の先端、本州最北端の町、大間へと向かって約 30 キロメートル、建設途中で放...

    2016-06-09

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  • 日本文学でめぐる色街 幻風景の旅「神町紀行」 日本文学でめぐる色街 幻風景の旅「神町紀行」

    昭和戦後期の一大集娼地帯となった山形県の基地の町「神町」。 戦後日本の縮図を描いた『シンセミア』の世界を歩いた。 阿部和重の長編小説『シンセミア』は山形県東根市神町が舞台である。小説は阿部の故郷である神町でパン屋を営む実家を中心にして、かつて神町に存在した米軍基地と町の歴史を絡めながら物語は進行していく。中学生と肉体関係を持ち続ける警察官や町中で盗撮を続ける集団などが登場し、次から次へと、事故や失踪事件が発生していくその根底には、アメリカによって占領された日本の影が常につきまとう。 山形の田園地帯に米軍が駐留することがなければ、この『シンセミア』という小説は生まれることはなかった。終戦の年から神町に駐留した米軍は朝鮮戦争の終結とともに神町を去った。ただ、町には米軍がいた時代の名残があるという。 私は、神町へと向かった。   片田舎の町に建つ巨大な木造の駅舎 強風の影響で 30 分ほど新幹線が遅れて、山形駅に着いた。そこからレンタカーで神町へと向かう。 山形から車で 30 分ほど走っただろうか、お椀を伏せたような神町の象徴とも言うべき若木山が見えてきた...

    2016-06-09

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  • 愛ゆえに男性器を切断した女の足跡を訪ねて 阿部定が最期に見た風景 愛ゆえに男性器を切断した女の足跡を訪ねて 阿部定が最期に見た風景

    純愛が極限まで高まったその果てに、愛人を殺害して男根を切り落とした女がいた。 幾多の映画や小説にもなった、阿部定である。狂気と波乱に満ちた彼女の人生を辿った。 文・写真=八木澤高明 text & photo by Yagisawa Takaaki   「そんなに男が好きなら芸妓にでもなれ」 実父に家を追われ、 日本中の歓楽街を彷徨った阿部定。 その旅は出所後も続き、 最後の消息はわかっていない。   15 年にわたって彷徨った流浪の女 ウチのオヤジと乳飲み兄弟って聞いてますよ。ウチの婆さんが9人も子供を生んでいて、おっぱいの出がよくてね。それで阿部定のお母さんってのが、あまり子育てができない人だったようで、あまってるからウチのおっぱいあげるよってね」 東京千代田区神田多町。現在オフィスビルが建ち並ぶ一角で、阿部定は生まれ育った。すでに生家の痕跡は残っていないが、生家跡からほど近い場所に暮らす男性が、彼の祖母と定との浅からぬ因縁を話してくれた。 阿部定は、明治 38 (1905)年5月 28 日に生を受けた。定が生まれた頃の神田周辺は、すでに当時の面影はないが、職人とそ...

    2016-06-08

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  • カラマツ林とミカドブランドの融合~歴史に支えられた町 軽井沢

    ビル・ゲイツのもとの思われる巨大別荘が軽井沢に建設中だという。 数多くあるリゾート地でなぜ軽井沢が選ばれるのか、その強みとは。 文=猪瀬直樹 text by Inose Naoki   平日、軽井沢北口の軽井沢本通りから旧軽井沢商店街に向けて歩くとシャッターを閉めた店が目立ち、そこに貼られた「テナント募集」といった文字が目につく。休日やシーズンでもなければ別荘エリアも人影はまばらで、喫茶店で珈琲を飲めば店主が「軽井沢? ぜんぜんダメ。ペンションなんて、ほとんどツブれちゃいましたよ。商店街のお客さんだって、みんな南のアウトレットに取られてね」などとぼやく。 八ヶ岳、蓼科、清里、越後湯沢、山中湖。景気が良かった時代、企業の保養所や研修所の建設、サラリーマン向け別荘の分譲が進んだそれらのリゾート地では、長い不景気の間に町の疲弊が進行し、廃墟化が著しいところさえある。 だが、この軽井沢という町は不動産や別荘の販売価格は相変わらずの高値で、旧軽井沢商店街のテナント料もけして安くはない。一見寂れたようにも見えるが、軽井沢のブランド価値はなお維持されているのだ。この町の強みは、いったいどこ...

    2016-06-08

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